
以下は日心会MLに、せいちゃんさんからあった投稿です。
非常によいお話が書かれています。
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有森裕子さんと言えば、オリンピックにも出場した日本が誇る女子マラソン選手です。
今は現役を引退しています。
その有森裕子さんが平成4年(1992)のバルセロナオリンピックに出場した時の話です。
日本からは、他にも山下佐知子さん、小鴨由水さんも参加していました。
女子マラソンは18時30分スタート。
レースは猛暑と高い湿度、コースは高低差が激しく大変過酷なレースとなります。
15キロから20キロ地点を通過し、先頭集団は17人に絞られます。
有森選手もその中にいました。
コースの途中数箇所で給水地点があり、選手は自分のドリンクを取って水分補給したり、頭から被ったり、足にかけたりしながらレースを走り続けます。
空になったボトルはどうするか?
選手は全員、そのままコースに投げ捨てて先を急ぎます。
ところが、ただ一人コースを外れて道路の反対側まで走り寄って、空になったボトルを捨て、再び集団まで戻ってくる選手がいます。
有森裕子選手です。
TVでその様子を見ていた地元スペインの人達は最初、「あの選手は何をしているのか??」不思議に思ったそうです。
しかし、すぐに理解します。
有森選手は後続ランナーが空ボトルに躓いて転倒しないように、わざわざ道路の端に捨てていたのでした。
また有森選手は、走りながら沿道の応援に向かって笑顔を返し、軽い会釈を送ります。
声援を送る日本人たちへの答礼でした。
30キロ地点からは、トップのエゴロワ選手(ロシア)と有森選手の差は56秒差、そこから有森選手は猛烈な追い上げを見せ、36キロ地点でついに並びます。
そこからは約6キロにわたる上り坂、「モンジュイックの丘」になります。
二人はマラソン史上に残る熾烈な戦いを、そこで繰り広げます。
離されるか?いや、ねばる。抜けたか?いや、まだ付いてくる・・・
そしてこの激しいデッドヒートの最中にも、有森選手は空ボトルをコースの端に捨てます。
結果、有森選手はトップと8秒差で2位となりました。
しかし、彼女の素晴らしいマナーは多くのスペイン人に感銘を与えます。
スポーツは手段を選ばず、ただ勝てば良い。というものではなく、その美しさも感銘を与えるものであることを多くの人に伝えました。
日本に帰ってから、有森選手はあるパーティーに参加しました。
そこで出席者の一人が、彼女の行為を褒めたところ、「はあ?そうでしたか」と不思議そうな顔をしていたそうです。
彼女にとっては、意識して行ったわけではない、まして功名心や偽善者を装うつもりなんていっぺんも無い、純粋な彼女のスポーツマンシップから出た行為でした。
それが世界に感銘を与えたのでした。
世界には夫婦喧嘩でさえ、往来に出て大声で自分の主張の正しさを辺りに風潮する文化を持った国もあります。
自分さえ勝てれば手段は問わないのです。
また、審判を買収してまで徹底的に勝ちにこだわる国もあります。
そうした中で、自分のことだけでなく後続ランナーのことまで考慮し、沿道の応援に答え、そしてそれを武勇伝がごとく自慢すらしない。
こうした潔さを持った人物が日本の代表だった事が、日本の誇りだと思います。
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江戸時代の代表的スポーツといえば、やはり武芸がこれにあたります。
その武芸は、戦国時代から江戸太平期に至って、大きく変化したといわれています。
いちばんわかりやすい例が、柳生新陰流です。
柳生新陰流は、尾張徳川や、福岡藩の武芸として、江戸時代を通じて人気を誇ります。
代表的武芸者には、よく時代劇などで登場する柳生十兵衛がいます。
柳生流は、もともと柳生宗厳を改祖とします。
この柳生流が「陰流」となっていることには、理由があります。
昔は攻撃術を「陽流」、防禦(ぼうぎょ)術を「陰流」と呼んだのです。
つまり、柳生新陰流は、防御を中心に構成されている武芸である、ということがその名称にあらわています。
戦国時代の武芸は、まさに「陽流」です。敵を倒すためのものです。
ところが、江戸期はいると、武芸は武士のたしなみに変化します。
民を治めるための武芸であり、人を攻め滅ぼすためのものではない。
柳生新陰流といえば、「無刀取り」が有名です。
これは刀を持たずに、刀を持った敵と戦う技です。
「素手」対「素手」ではなく、日本刀などの刃物を持った敵に対して、その本義が発揮されるように構成されています。
素手で、武器を持った敵と対峙し、それを制するのです。
そのためには、刃を突きつけられてもひるまない「心」、相手の白刃を受け取る技、そのために必要な「体」を鍛えることが重要となります。
だから、武芸は「心・技・体」なのです。
そしていちばんたいせつなものは、「心」であると説かれます。
西洋式スポーツは、ずっと「陽流」のまま発達しています。
つまり、とにかく「戦いに勝つこと」を追求した。
ですから、格技においても、球技にしても、陸上、水泳等、どの種目をとっても、まずは、筋力を鍛え、パワーを養うことが、その練習方法の最大の課題となっています。
しかし、筋力とパワーだけの勝負なら、筋力(体)があり、パワーとスピード(技)がある者には誰も勝てない。そこに「心」は要求されない。
しかし、たとえば武術において、どんなに体を鍛え、技を習得しても、外筋の強化は、年齢と共に威力を失ないます。当然、スポーツマンの寿命は短いものとなる。
若い時は見事な肉体美の持ち主でも、その鍛えられた外筋は、歳を取れば見る影もなくなるし、筋肉はだぶついた脂肪に変化してしまう。
さらによくよく考えてみると、たとえば相手が体を鍛え、技を極めたた世界最強の武術家であったとしても、ボクが拳銃でバンとやったら、その人に勝ててしまう。
ところが「心」年齢に関わらず鍛え上げることができる。「技」もそれなりに鍛えることができる。筋力の衰えは隠せないけれど、「心」は年齢とともに、ますます強くなることができます。
だから日本古来のスポーツ(武芸)は、なによりもまず心を鍛えることを優先した。
強ければいいというものではない。
強く、そしてやさしく、何ものにも動じない「心」をこそ、尊敬の対象としています。
そして日本武道(柔道、剣道、合気道、空手)などが、世界に広がったのも、その「心」を鍛える精神構造からであるといわれています。
たとえば柔道などは、最近の日本ではすっかり流行らないものになっている(?)けれど、欧米では日本とは比べモノにならないほどの柔道人口がいます。
空手においても、欧米の道場には、父兄が子供たちをこぞって入門させる。
なぜかといえば、そこでは子供たちに礼儀を教え、強い心を養うからです。
ここに日本のスポーツにおける「陰流」と、欧米の「陽流」の違いがあります。
冒頭にご紹介した有森選手が、スペインで、優勝選手よりも大きな拍手喝采となったのも、スペインの多くの人々の心に、有森選手のスポーツマンとしての素晴らしい「心」をみたからに相違ありません。
最近、とかく流行している格闘術やアクション映画で、相手を叩き殺せばいい、ねじ伏せて頸動脈を締め上げ、窒息させればいい、あたかもそれが格闘技であるかのような誤解を招く風潮がありますが、日本の武の心は、決してそういうものではありません。
軍人勅諭には、武について、次のように書かれています。
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軍人は武勇を尚ふへし
武勇は、我国では、昔から尊ばれてきたものです。
軍人は、戦に臨んで敵に当たる職ですから、片時も武勇を忘れてはなりません。
その武勇には「大勇」と「小勇」があります。この2つは同じものではありません。
血気にはやって粗暴な振舞などをするのは、武勇とは言わないのです。
軍人は、常に能く義理をわきまえ、坦力を練り、思慮をして事をおこないなさい。
弱い相手でも侮らず、強い相手でもひるまず、自分自身の武職をつくすことが本当の「大勇」です。
ですから「武勇」を行う者は、常々人に接するときは、温和を第一とし。人々から愛され敬われるように心がけなさい。
理由のない勇を好んで、猛威を振るうのは、世の中の人が、最も忌み嫌うと知りなさい。
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武士は武士です。
間違った相手であれば、相手が相撲取りのような大男であり、自分が小柄で筋力のないひょろ長男であったとしても、またあるいは、病気で体が弱っていたとしても、相手が銃や刀を持っていてい、自分が丸腰であったとしても、正々堂々、立ち向かっていかなければなりません。
そして相手を制し、誤りを悔い改めさせる。
そのために必要なことは、単に筋力や体力、敵の首を絞めて窒息させる技ではなく、立派な心で、相手を従えなければなりません。
それがわかるか、わからないかの違いが、スポーツにおいて、もっとも大切なことである、そんな気がしています。
その意味で、有森選手の行動は、まさに日本の誇る武道家そのものの姿であった。
そんなふうに思ったのですが、みなさんはいかがお思いでしょうか。
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