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昨年の衆院解散時の万歳写真
なにがどう違うか、おわかりになりますか?
正しい万歳の仕方

万歳(ばんざい)と言いながら両手を高く掲げる習慣は、日本、China、朝鮮でも行われる風俗です。
「万歳」を日本では「バンザイ」と呼び、Chinaでは「ワンスイ」、朝鮮では「マンセー」と唱えます。
万歳という言葉は、もともとはご長寿を祝う言葉です。
千秋万歳(せんしゅうばんざい)、千秋万古(せんしゅうばんこ)、千秋万世(せんしゅうばんせい)といった類義語もあります。
日本で、万歳という言葉が登場するのは、11世紀に書かれた「新猿楽記」で、そこには「千秋万歳之酒祷(せんずまんざいのさかほがい)」という記述がみてとれます。
つまり、平安時代には、すでに「万歳」ということばが使われていた。
そして平安時代に全国的に広がった雅楽には、君主の長寿を祝うめでたい曲として、千秋楽(せんしゅうらく)とともに、万歳楽(まんざいらく)という曲が伝えられています。
千秋楽と万歳楽、この2つのめでたい曲が、くっついてできた言葉が、千秋万歳(せんずまんざい)で、農家の玄関先などでお祝いの猿楽などにも発展し、そこから万歳=漫才が発展しています。
千秋万歳というのは、豊年の秋が千回万回迎えられるようにという意味で、これはまことにおめでたい。
ちなみに万歳は、もともとChinaで皇帝を称える言葉として使われたのがはじめだという説もあるのですが、具体的にその出典となると、残念ながら判然としません。
Chinaでは、17世紀に明朝の秘密警察あがりの宦官として一世を風靡し、反対派を大弾圧した魏忠賢(ぎちゅうけん)が、「九千歳!」と唱和させたという記述があり、どうして「九千歳」かというと、「万歳」は皇帝にしか使えないためだったからであるとものの本には書いてある。
ところが当時、魏忠賢は、みずからを「尭天舜徳至聖至神」、つまり「神」であると名乗り、皇帝を軽んじた。自分は、皇帝より偉い「神」であると、うぬぼれていたわけです。
そういう男が、万歳が皇帝用の言葉だから、遠慮して九千歳としたなどと、どうも説得力がない。
魏忠賢なら、皇帝が万歳ないら、自分は「億歳」であるくらい言い出しかねない男です。
さらにいうと、宦官魏忠賢が権勢を誇った時代は、17世紀初頭です。
日本では11世紀に書かれた「新猿楽記」に、万歳の記述がみられることからすると、どうも、日本のほうが万歳の起源が古そうです。
ちなみにこのあたりは、ねずきちもあまり自信があるわけではないので、もし読者の方で、Chinaに日本の「新猿楽記」より古い万歳の記述があることをご存知なら、是非、教えていただきたいです。
ボクも勉強したい。
朝鮮における万歳(マンセー)は、これは単純に日本統治の時代に、日本から仕入れた習俗であり、もともと朝鮮には、「万歳」と唱える習慣はなかったし、そうしたことを記述した文献もない。
いつものとおりの、日本からのコピーでしかないです。
さて、その万歳とともに両手を高く掲げる習慣ですが、どうやらこれは、明治時代に始まったらしく、比較的歴史は新しいもののようです。
バンザイと唱えて両手をあげる習俗は、明治22(1893)年2月11日、大日本帝国憲法が発布されることを記念して青山練兵場に向かう明治天皇に向けて、皇居前で東京帝国大学の学生などが明治天皇の馬車に向かって「万歳! 万歳!」と唱えたのがはじまりとされています。
ちなみに、本来の段取りは「万歳! 万歳! 万々歳!」と言うことになっていました。しかし、後の首相で、この時に旗手を務めた若槻礼次郎によると、一番最初に「万歳!」と言ったところ、馬が驚いてしまい、唱和する側も驚いてしまって、2回目の「万歳!」のは、いささかトーンダウン、さらに3回目に言うはずだった「万々歳!」はついに言えずに終わってしまったそうです。
当初は、「奉賀(ほうが)」がいいでねえの、という案もあったようですが、連呼すると「ア・ホウガ(阿呆が)」と聞こえることから、却下。まぁ、そーでしょうね。
そこで、謡曲の高砂(たかさご)の「万歳楽には命のぶ」から「万歳」を使用することになったとのこです。
謡曲の「高砂」というのは、ほんのちょっと前までは、日本の結婚式の定番曲で、昔は、村で結婚式があると、歌のうまいオヤジが、「♪たぁ~かぁ~さぁご~やぁ~~」と歌った。
「高砂」の歌詞には、実はあらすじがあって、おおむね次のような内容になっています。
~~~~~~~~~
熊本の神主(かんぬし)さんが、京都見物のために船にのって兵庫県の高砂の浦の海岸に立ち寄ります。
すると熊手をもったお爺さんと、ホウキを持ったお婆さんが、松の木陰を掃いている。
神主さんが、二人に、名所といわれる「高砂の松」とはどの木ですか?と尋ねると、いま掃き清めているこの木がそうですと答える。
さらに神主さんが、兵庫の高砂の松と、大阪の住吉の松は離れたところにあるのに、どうして「相生(あいおい)の松」(=一緒に生えている仲良しの松)と言うのですか? と訊ねると、
爺さんは、住吉の住人、婆さんは高砂の住人で、遠く離れて住んでいても、夫婦の心は通い合う。
植物である松にさえ相生(あいおい)の名はありまする。まして人なら、ともに相生(あいおい)の夫婦となりましょう、と答えます。
やがて、爺と婆は、本当は自分たちは高砂の松と住吉の松の精ですと告げて、去っていく。
~~~~~~~~~~
歌詞は、
高砂や この浦船に帆をあげて
月 諸共に 出で汐(しお)の
波の淡路の 島陰や 
遠く鳴尾の沖すぎて
早住の江に着きにけり
と、ここからはじまって、最後の千秋楽に向かいます。
千秋楽(せんしゅうらく)は民をなで
万歳楽(まんざいらく)には 命をのぶ
相生(あいおい)の松風
颯々(さつさつ)の聲(こえ)ぞ楽しむ
颯々の 声ぞ楽しむ~~♪
となる。
この最後の部分が、千秋楽と呼ばれる部分で、謡会や能の最後の日によく歌われた。
で、催し物の最終日に歌われたから、転じて最後の日、という意味になり、大相撲の千秋楽、演劇の楽日などの最終日を指す言葉になったのだそうです。
さてその万歳の作法ですが、よく、万歳をするときに、両手を上にあげたとき、手のひらを前にする人がいるけれど、これだと「バンザイ」ではなく、「降参」になってしまいます(笑)
実は、1999年に「万歳三唱令」なる明治12年発の太政官令なるものがあったという風説が流れたことがありましたが、これ自体は偽文書なのだけれど、そこに書いてある万歳の作法は、本物です。
以下に示します。
くり返しますが、この万歳三唱令は、ニセモノです。
しかし、書いてあることは、正しい万歳の仕方です!
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「萬歳三唱令」
別紙ノ通相定来明治十二年四月一日ヨリ之ヲ施行ス
右奉 勅旨布告候事
施行 明治十二年四月一日太政官布告第百六十八号
第一条 萬歳三唱ハ大日本帝國及ヒ帝國臣民ノ天壤無窮ノ發展ヲ祈念シ發聲スルモノナリ
第二条 發聲ニ當リ音頭ヲ爲ス者氣力充實態度嚴正ヲ心掛クルヘシ
    亦唱和スル者全員其心ヲ一ニシテ聲高ラカニ唱和スルモノトス
第三条 唱和要領細部ニ附テハ別ニ之ヲ定ム
朕萬歳三唱ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
此布告ハ明治十二年四月一日ヨリ施行スヘキコトヲ命ス
御名御璽
「萬歳三唱ノ細部實施要領」
一 萬歳三唱ノ基本姿勢ハ之直立不動ナリ
  而シテ兩手指ヲ真直下方ニ伸ハシ身体兩側面ニ完全ニ附著セシメルモノトス
二 萬歳ノ發聲ト共ニ右足ヲ半歩踏出シ同時ニ兩腕ヲ垂直ニ高々ト擧クルヘシ
  此際兩手指カ真直ニ伸ヒ且兩掌過チ無ク内側ニ向ク事肝要ナリ
三 萬歳ノ發聲終了ト同時ニ素早ク直立不動ノ姿勢ニ戻ルヘシ
四 以上ノ動作ヲ兩三度繰返シテ行フヘシ
  何レノ動作ヲ爲スニモ節度持テ氣迫ヲ込メテ行フ事肝要ナリ
【口語訳】
≪本文≫
発声は、大日本帝国と帝国臣民の永遠の発展を祈って行うこと。
音頭を取る者は、気力充実・態度厳正を心掛けること。
唱和の際には、全員心を一つにして声高らかに行うこと。
≪実施要領≫
(1) 基本姿勢は直立不動で、両手は指をまっすぐ下方に伸ばし体の側面にしっかり付ける。
(2) 万歳の発声とともに右足を半歩踏み出し、同時に両腕を垂直に高々と挙げる。その際、両手の指をまっすぐに伸ばし両掌を内側に向けておく。
(3) 万歳の発声終了と同時に素早く元の直立不動の姿勢に戻す。
以上の動作を三度、節度を持ちかつ気迫を込めて行う。
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日本人たるもの、万歳を三唱するときは、気合を込めて堂々とした万歳三唱を唱えたいものです。
すくなくとも、両手の手のひらを前にむけた「降参」スタイルの万歳だけは、避けておきたいものです。
ちなみに、昔の陸軍の教本によると、朝鮮兵は、敵弾が飛んでくると、すぐに「アイゴー」といって、地面にひれ伏し、両手を高く掲げて銃を捨てて逃げてしまう。だからまともな戦いには彼らは絶対に「使わないこと」と書かれています。
で、その朝鮮式マンセーは、両手の手のひらを前に向けた降参スタイルです。
さて、冒頭の写真ですが、日本式教育をちゃんと受け、日本を愛する心をもった人と、そうでない人は、万歳の姿ひとつにも、違いが簡単に表れるという見本です。
日本を学び、日本を活かそうとする人は、ちゃんと両手が内側を向いている。
日本をないがしろにし、日本を学ぼうとしない者は、両手が前に向いている。
こういうちょっとした仕草に、反日に染まった人か、日本に目覚めた人かが簡単に表れる。
実にわかりやすいですね。
PS:(注)
一般の人にはあまり関係がないかと思いますが、陛下に相対したときの万歳、および神々に相対したときは、片足を半歩前に出してはいけません。
神々や陛下に失礼にあたります。
この場合は、両足は揃えたままで万歳をするのが作法です。
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