
実は日心会の企画で、お正月休みに故郷へ帰省したら、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんから、戦時中のお話等を聞いてこよう、というイベントが行われたのです。
その中で、紹介されたお話を、ご紹介します。
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私の両親は残念ながら数年前に他界していて聞く事が出来ません。
孝行が足りなかったのか、お墓の前で手を合わせても何も答えてくれませんので、自力で思い出すしか有りません。
家内の両親はお陰様で、弱ってはいますがまだ健在です。
そこで、帰省に当り、
昨年の終戦の日に熊本護国神社から頂いて来た「終戦の詔勅」
福岡会議でねずきち会長から頂いた「日心会八つの活動基軸」
PDF資料「日の丸、君が代、教育勅語、等」を用意しました。
おじいちゃんは、元教育者でしたのでまず「教育勅語」をみせると、
「今でも全部覚えてるよ」と言って
暗記朗読を始めます、1箇所少し引っ掛かりが有りましたが完璧でした。
おじいちゃんのスキルも然ることながら、当時の勅語の存在の大きさは、今の我々の想像を超えていると思います。
勅語は「天皇陛下のおことば」なのでその取り扱いは、正装をして白い手袋をして最敬礼で受け渡しをしていた、と言う事でした。
「終戦の詔勅」に関しましては、当時「玉音放送」を聞いたけど雑音が酷くて全部聞き取れなかった、(その雑音も曰く付みたいでしたけど?)
未だ全文を認識していない、図書館等で探すけど置いていない、欲しくてたまらなかった、それを何故君が持ってるんだ? 今始めて全文を認識した。
護国神社から頂いた直ぐ「終戦の詔勅」を読みました。カナを振ってあるので読む事は辛うじて読めましたが、意味がサッパリ解りません。
60年程前の「天皇陛下のお言葉」を同じ国の国民が理解出来ないと言う事は、とてもおかしな事だと思います、GHQによる分断でしょうね。
悔しかったので何度も何度も読んで今ではほぼ理解できました。
今は理解してるって言うのに、おじいちゃんは読んでは解説し読んでは解説し、段々私に擦り寄って来て、しまいには「今日は一緒に寝よう」って、84歳のおじいちゃんが55歳のおっさんにいったい何をしようと?!
いくら、おばあちゃんが病院に入院してるからってそれはいけません、
よっぽど嬉しかったのでしょうね。
「終戦の詔勅」は、おじいちゃんにプレゼントしました。
おじいちゃんの部屋には以前本棚一杯大東亜戦争にまつわる書籍や資料が置いて有りましたので、あわよくばそれを譲り受けようと思って尋ねてみると、全部処分したそうです!
アア-惜しい勿体無い!古い教育の本等も有った筈なのに、アア-もう少し早く目覚めていたら!、 無知は矢張り罪でした。
おばあちゃんは、年末に転んで入院中です、お見舞いに行ってお話しを聞きました。
おばあちゃんは、満州生まれ、→奉天→北京→(引き上げ)日本、今思うと凄く危ないルートを良くご無事で。
「中国でね、赤ちゃんが泣いて見つかると殺されるとよ。
○○さんはそれで仕方無く泣く泣く子供を置いてこらしたとよ。
中国はねまだよかとよ。中国人はまだ子供を預かって育てる人がおったの。
でも朝鮮はね・・・・
おばあちゃんの言葉が一瞬詰まったので私が、
「朝鮮はダメだったんでしょ。」って言うと、
「朝鮮はだめやった、みんな殺された。」
ネットに書いてある通りでした。
壮絶な時代を生き抜いてきた、壮絶な人生を、我々今の時代の人間が理解しないで、壮絶な人生を生き抜いてきた人達が浮かばれる筈も無いし、日本が正しい方向に向かう筈も無い。
今までノンポリにのほほーんと生きてきた自分を戒める意味でも、これからもお話を聞いて自分なりにまとめようと思います。
おじいちゃんもおばあちゃんも、次に合った時何を話すか、考えておくから、と言っています。
考える、脳みその刺激になる、内臓が活発化する、お腹がすく、食欲がわく、ご飯が美味しくなる、良く食べる、健康になる、寿命がのびる、→ → → 親孝行。
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私は祖母、祖父が戦争を体験しています。
すでにこの世にいないので、戦時中の事は小さい時に少しだけしか聞いていませんでした。
祖母は、包囲殲滅型の空襲について話してくれた事があります。
甲府盆地の北に愛宕山と言う山があります。
夜、その愛宕山上空に照明弾が投下されました。空襲の開始です。
祖母は甲府盆地の中央部から必死に南部に逃げだそうです。
その時の凄惨な様子は、他の空襲体験者の方々の話と同じです。
私が幼心に、空襲の残酷さを感じたのは、祖母の次の言葉です。
「北から南に逃げだけど、もう少し早く逃げていたら、死んでいた。
焼夷弾は甲府市の周辺から中央に向かって、落されていったから。
先に逃げていた人たちや、もう少し南に住んでいた人たち爆撃で死んでいた。
おばあちゃんは運が良かったんだよ。」
私は、小さい頃から日本の自虐史観を色濃く受け入れる事はありませんでした。
もちろん、保守の立場なんかとは程遠いのですが、戦争において日本だけが悪いとは考えませんでした。
今考えれば、大好きな祖母が、
「戦争でアメリカ軍に殺される正当な理由は何もない」=「戦争では理由もなく、無差別に人が死ぬ可能性がある」=「日本だけが、戦争の加害者のように悪く言われる理由がない」
という気持ちがあったのだと思います。
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死んだ親父は、歴代陛下のお名前を、初代神武天皇から125代の今上天皇まで、全部順番に名前が言えるのが自慢でした。
そういえば、教育勅語と軍人勅諭も、なんども暗唱して聞かせてくれた。
きっと、倅にも覚えさせたかったんだろうな、と思います。
でも自分は、幼心に、難しい言葉の意味もわからず、ただ嬉しそうに暗唱する親父の姿に「いまどきそんんなん学校で教えんし!」とテイコーして覚えようとしなかった。アホな息子でした。
伯父貴は、戦争で片腕をなくして帰国しました。
爆風で左腕を付け根からもぎとられた。そうするとね、人間の体って、重心を失ってコマみたいにくるくるまわるのだそうです。
戦後間もないころ、あまりの朝鮮人達の横暴に耐えかねて自警団を組み、片腕で朝鮮人と銃撃戦をして、大怪我をしてました。
一緒に風呂に入ると、横腹にある弾痕を「おじちゃんには、おへそが2つあるんだ」と自慢していた。
そんな伯父貴も、もうずいぶん前に他界しています。
婆さんは、下町で雑貨屋を営んでいたのだけれど、艦砲射撃で、全部焼かれた。
実家に位牌があるのだけれど、戦前のものは、どれも真っ黒なんです。
艦砲射撃をくらって、大火災が起きた時のすすが、いくら拭いても取れない。
でもね、家財道具全部まる焼けになったのに、なぜか位牌は、ちゃんとした姿で残った。不思議なことです。
戦争は、どこか遠い異国の話でもなければ、映画館のスクリーンの向こうの架空の世界の話でもない。ぜんぶ、身近な、血のつながった私たちの親や祖父母、曾祖父母が体験してきた現実です。
マルクス史観というものがあります。
マルクス主義(共産主義)を正当化するために、歴史を「道具」として利用する歴史観です。
当然のことながら 「マルクス主義」に忠実であればあるほど、「マルクス主義」にとって有利な事柄を過大に評価し、その反面不利な事実を無視し、時には歴史を平気で ねつ造するという極端な偏向性を持つ歴史観です。
歴史を検証すれば明らかな如く、共産党、社民党、中国共産党、北朝鮮、あるいはその影響を受けた韓国、在日コリアンなどの左翼・反日主義者たちがどれ程言葉巧みに歴史を捏造し、偽造変造してみても、彼らの究極の目的は 、
「手段を選ばない階級闘争による、日本の解体」です。
そのイデオロギーの信奉者たちが主張し、本に書き、教える歴史は、真実や公平性とは無縁のものでしかない。
なぜなら、彼等にとって重要なことは真実よりも、イデオロギーであり、自分たちの悪辣非道な歴史の事実の隠ぺいにすぎないからです。
戦後65年。わたしたちは、歴史の真実に目覚めるべきときにきているのではないでしょうか。
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