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稲穂

ねずきちなどが子供の頃は、教科書に「稲作伝来」などという言葉があって、稲作は、中国中南部から、朝鮮半島を経由して、北九州から日本に伝えられたと教えられたものです。
ところが、地理の時間に教わる日本最古の田は、なぜか高知県にある棚田。
日本史の授業では北九州から伝わったと教わり、最古の田は四国は高知にある。
なんだかおかしいけれど、そう教科書に書いてあるから、そのように答えないとテストで良い成績をもらえないから、そう答えた(笑)
ところが近年にいたり、いろいろなことが明らかになってきた。
まず、Chinaから朝鮮半島を経由して伝えられたとされる証拠が見つからない。
遼東半島や朝鮮北部に、水耕田跡が見つからないのです。
また、朝鮮半島で確認された炭化米は、紀元前2000年頃のものが最古です。
ところが、日本には6000年前の稲が他の食物に交じって確認されている。
さらに稲のSSRという遺伝子(いくら時を経ても全く変化しない遺伝子)の分析によると、China、朝鮮、日本で栽培している250種の稲には、abcdefgh という8つの変形版が見つかった。
これによると、
日本の品種 abの2種類
Chinaの品種 abcdefghの8種類全品種あるが、aが少ない。
朝鮮の品種 acdefgh の7種類で、aが60%で、bがない。
どういうことかというと、朝鮮半島には、「b」遺伝子を持つ品種がない。
日本では、弥生時代中期(紀元前2200年前)遺跡である唐古(奈良)や池上曽根(大阪)の炭化米からも「b」遺伝子が発見されています。
「ない」ということは、稲は、朝鮮半島を「通らずに」、日本にやってきたということになります。
もともと稲というのは、熱帯性植物です。
水田は、乾田で栽培した苗を、水をひいた水田に植えて栽培し、収穫の前には田の水を抜く。
これは、熱帯地方の乾季と雨季を人工的に作っている者です。
稲が生まれたのは、インド南部のタミール地方で、古代タミール語では、稲は「ine」と発音します。つまりイネです。同様に、「chichi , haha」(父・母)なども日本語と同じ発音で、タミル語の「ya」は「日」、「moto」は「下・本」を意味します。
つまり、タミール語の「yamoto」は、太陽の下=東のはずれ=日の下で、漢字で意訳すると「日本」となります。
ここで生まれた稲が、海洋ルートを伝って北上し、マレー半島、ベトナムを経由して一部はChinaへ、一部は沖縄→日本へと伝わった。
SSR遺伝子から稲の流れをみると、およそ次のようなことがわかります。
~~~~~~~~~~~~~~~
1 a品種は、対馬暖流ルートに乗って、
  紀元前7世紀頃(2600年前)日本に伝来した。
2 日本は、aを国内や済州島、朝鮮南部に伝えた。
3 日本では、改良された品種bが生まれ、abが
  栽培された。
4 Chinaでは cdefgh が栽培された。
5 朝鮮半島はChinaの属国となり、cdefghを得た。
  そして日本から伝来のaを加えacdefghとなった。
6 日本からChinaにab品種が伝えられ、Chinaはabcdefghとなった。
~~~~~~~~~~~~~~~~
この流れは、下の図をみると一目瞭然です。
稲の道

つまり、稲作は、日本から朝鮮に伝えられたのです。
おそらく当時、西日本と済州島、朝鮮南部には、稲作の一大文明圏があったのでしょう。
しかし朝鮮は、紀元前108年に、Chinaの漢の武帝によって衛氏朝鮮が滅ぼされてしまう。
漢の武帝は、朝鮮半島に楽浪・臨屯・玄菟・真蕃の4郡を置いた。
朝鮮半島は、Chinaの支配下に置かれたのです。
日本では、西暦57年に、漢倭奴国王の金印が渡っており、後漢書「孝安帝紀東夷伝」によると107年に「倭国王帥升等が生口160人を献じ、謁見を請うてきた」とあることから、当時日本の一部の部族とChinaとの交流はあったようです。
まるで小沢一郎が生口600人を従えてChinaに謁見を請うてきた、ことに似ています。
簡単にいえば、当時も日本にはChinaの属国となる道を選ぼうとする人たちがいた。
そうすることによって権力を得ようとする人たちがいたわけです。
そういう不埒なヤカラが現れることで、日本国内はチヂに乱れます。
卑弥呼は、これを鎮め、国内を安定させた(239年魏志倭人伝)。
歴史の流れを巨視的にみると、Chinaは、稲作をする農耕民族と広大な大地を必要とする放牧民族との殺しあいの歴史です。凶作になって飢えれば、他の地方の作物を奪う。殺しあう。
農耕民族が鍬一本で北上し、放牧地を奪う。奪われた牧畜民族が、これを襲って、互いに殺し追い払う。Chinaはずっとその歴史です。
朝鮮半島は、放牧地ではありません。農耕によって食が賄われている。Chinaは、朝鮮半島を支配下に置いて、食と兵力の収奪を続けていた。簡単にいったら、朝鮮半島は、ずっとChinaの植民地にされていた。
そしてその間Chinaは、半島の一部の人間だけに特権と利益を与え、民からの収奪を続けていた。
Chinaの対朝鮮政策は、ずっとこれが成功していたのです。
その間、ずっと朝鮮半島の一般民衆は、貧困のどん底に置かれた。
朝鮮半島にいる民の暮らしが豊かになるのは、Chinaの支配と収奪から逃れて、日本から文化・文明を受け入れたごくわずかな期間だけです。
古代の稲作文明の伝播、戦前の日本統治下の朝鮮など、そのいい例です。
数千年の昔から、日本は独自の平和な文化を築き上げ、隣の朝鮮は、Chinaから収奪され続けてきた。
いまChinaは、小沢をかつての朝鮮の李氏、民主党をかつての朝鮮の両班にみたて、日本をかつての朝鮮のように、支配下に置き、日本の民から収奪をほしいままにしようとしています。
その流れは、別に最近にはじまったことではなく、太古の昔から、China、半島、日本の関係には、そうした危険がいつもつきまとっていたし、Chinaに媚びて日本国内の権力をほしいままにしようとする者はいた。
しかし過去6000年の歴史の中で、それが成功したことは一度たりともありません。
日本は、そんなChinaの謀略を、結局は常に跳ね返してきた。
歴史は繰り返すといいます。
いま、日本には、Chinaに媚びを売り、権力をほしいままにしようとする売国奴が現れています。
国内は、これから乱れに乱れることでしょう。
でも日本は、必ず正常化します。
Chinaの陰謀は、結局のところ成功しないし、日本に手を出したら、その手を出した方の国が最後は必ず滅びるのです。
日本を売ろうとする者たちも同じです。最後は必ず滅びる。
日本は、殺しあいの文化、収奪の文化の国ではありません。
みんながひとつになって、礼儀正しく、約束を守り、正しいことを正しく生きるのが日本人です。
小沢民主党の出現によって、日本の国内はこれからどん底のような混乱が始まるでしょう。
しかし多くの日本人が、日本の本当の正しい歴史に目覚めたとき、この日本は生まれ変わります。
そのためにボクたちは、みんなで力を合わせて、この日本を護るため、ひとりひとりができることを、ほんのちょっとずつでもはじめて行こうとしています。
正しい日本、みんなが安心して暮らせる安全で安心な日本を護るため、みんながちょっとずつ行動する。
ひとりひとりにできることは「ほんのちょっぴり」でも、それが1万人集まったら、一万倍の力、10万人集まったら、10万倍の力です。
ほんの60年前に、この国を護るために、命を賭けて戦ってくださった人たちがいました。
そのおかげでいまの私たちがいる。私たちが生きている。
私たちも、この国を護るために、いまこそ立ち上がるときです。
日本を護ろうと思う方
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小沢一郎幹事長 人民解放軍.ts