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七代目松本幸四郎の弁慶
七代目松本幸四郎の弁慶

一昨日の「李氏朝鮮の時代」の記事で、小朝さんから非常によいコメントをいただきました。
16世紀のイエズス会宣教師ヴァリニャーノが書いた“日本人の短所”です。
以下転載します。
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この国民の第二の悪は、其の主君に対してほとんど忠誠心を欠いている点である。
人々は主君の敵と結び、都合のよいときに主君に対して謀反をおこし、自ら主君となる。
さらに反転して再び味方となり、また新たな事態に対して謀反する。
だが、これによって、彼らは名誉を失うことはない。
こういう事情であるから、自分の領地で安心しておられるものは皆無であるか、あるいは僅少であり、私たちが今見るように、激しい変転と戦乱が行われるのである。
血族や味方同士の間で数多の殺戮と裏切りがくりかえされるが、領主たちはそうしなければ自分の希望が達せられないからである。
 
日本における主従関係はひどく放縦でヨーロッパとは異なっており、諸領主の支配権なり地位は私たちのものと違っているので、彼らの間に裏切りや謀反が起こるのは不思議なことではない。
この点では、仏僧たちも少なからぬ責任がある。なぜなら、彼らは自分たちが勢力を得るために、通常、これら反逆の主要な役割を演ずるか黒幕的存在であるからである。
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いっけん、非常に辛辣にみえるヴァリニャーノ神父の報告ですが、このことについて、弁慶の「勧進帳」をもとに考えてみたいと思います。
「勧進帳」というのは、歌舞伎や文楽のファンなら、ほんとうに「ご存知!名一番!」といわれるくらいの有名な芝居です。
あらすじは次の通りです。
源頼朝の怒りを買った源義経一行が、北陸を通って奥州平泉へ逃げようとする。
頼朝は義経を捕えるために、道筋に多くの関所を設けた。
一行が加賀の安宅の関(石川県小松市)に差しかかったとき、関守の富樫左衛門は、そこを通ろうとする山伏の一行が、変装した義経たち一行ではないかと怪しみます。
弁慶は「自分達は東大寺修復のための寄付を募る勧進をしている山伏である」と主張します。
富樫は、「勧進のためならば勧進帳を持っているであろう。ならばそれを読んでみよ!」と命じた。
そこで弁慶は、たまたま持っていた白紙の巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げる(勧進帳読上げ)。(これが実にかっこいい♪)
富樫は、なおも疑い、弁慶に山伏の心得や秘密の呪文について問い正す。
弁慶は、間髪をいれず問いに対して淀みなく答えます(山伏問答)。
富樫は、この時点でそれが義経の一行だと見破りますが、一方で弁慶の堂々とした振る舞いに心を動かされる。
このとき、部下のひとりが「そこにいる小男が義経ではないか」と申し出る。
ヤバイ!!
富樫もこれを無視するわけにいきません。
富樫は弁慶に、「そこにいる小男が義経ではないか」と問います。
すると弁慶は、やにわにその小男を
「お前が愚図だから怪しまれるのだ」
と、金剛杖で殴りつけます。
金剛杖というのは、いまでもお遍路さんなどで使われる、六角形、または八角形の木の杖です。これで殴られたら、そりゃ、痛い!
しかし、家来が主君を棒で殴るなどありえないことです。
富樫は弁慶の振舞に心を動かされます。
富樫は、一行の関所通過を許します。
これは頼朝からの恩賞を放棄したことでもあるし、関守としての明確な職務違反でもあります。
それでも富樫は、義経一行の通行を許可します。
そして同時に、自分が義経に気付いたことを周囲に悟らせないように振舞う。
それを知られたら自分だけでなく、主君を棒で叩いた弁慶の名誉すらも傷つけることになるからです。
弁慶もその富樫の心遣いに気がつかないふりをする。
感謝などしたら富樫の立場を失わせることになるからです。
二人は眼と眼でわかりあいます。
歌舞伎では、この間、ずっと無音です。
笛や太鼓や歌などにぎやかな演出が多い歌舞伎ですが、この「勧進帳」では、最後の弁慶が花道を立ち去るシーンまで、無音の中でのやりとりが続きます。
高度な緊迫感がただよう。
最後に富樫は、「失礼なことをした」と一行に酒を勧め、弁慶はお礼に舞を披露します(延年の舞)。
弁慶は舞ながら義経らを逃がし、弁慶は富樫に目礼して後を急いで追いかける(飛び六方)。
ちょうどこのシーンでは、弁慶が花道を踊りながら去ってゆく。
観客はここで拍手喝采を送ります。
勧進帳の読み上げや、山伏問答における弁慶の雄弁。
義経の正体が見破られそうになる戦慄感。
義経と弁慶主従の絆の深さの感動。
舞の巧緻さと飛び六方の豪快。
見どころが多いこの勧進帳は、歌舞伎のなかでも、実に素晴らしい演習となっています。
この物語は、もちろん芝居の脚色です。つまりフィクションです。
しかし、ここで登場した富樫左衛門は、実在の人物です。
実名を富樫泰家(とがしやすいえ)といい、1182年、木曽義仲の平氏討伐に応じて平維盛率いる大軍と加賀・越中国境の倶利伽羅峠にて対陣し、燃え盛る松明を牛の角に結びつけ、敵陣に向けて放ち、夜襲をかけて、義仲の軍を大勝利に導いた大将です。
木曾義仲が源義経に討たれた後は、頼朝によって加賀国の守護に任ぜられた。 
肚のわかる豪胆で立派な武士だったようです。
この「勧進帳」で大切なことがひとつあります。
それは“武士は上からの命令だけで動くものではない”という点です。
富樫が上の命令だけに忠実であるなら、この時点で義経一行を逮捕しています。
しかし彼はそうしなかった。
義経一行と見破りながらも、義経主従の、そして弁慶の立派な態度に心を打たれ、彼らの通行を許可しています。
そして歌舞伎の観客は、そうした富樫の態度に、拍手喝采を送った。
同時にその拍手は、日本人の非常に日本的な美意識に基づくものだったといえると思うのです。
単に上からの命令に服従するだけなら、バカでもできる。
そうではなく、自分自身の価値観に基づいて、その場を判断し最大限責任をもった対応をする。
同様の物語は、赤穂浪士で大石内蔵助が、江戸に向かう道中で本物の垣見五郎兵衛と出会うという物語にもみることができます。
物事に対し、命令だからと反応的に行動するのは、パブロフの犬と同じです。
ベルを鳴らす。犬がよだれを垂らす。
命令がある。その通りに行動する。
日本人の伝統的価値観は、こうした反応的行動を非常に蔑みます。
ベルが鳴っても、人としてそれが正しい生き方といえるか、自分の行動が先祖や天地神明に誓って正しい行動といえるか。そうした価値観の上で判断して行動する。これを日本人は美徳とするという伝統的な価値観を持ちます。
だから、先の大戦で、東条英機の戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けず」という一文があったから、玉砕戦を戦ったのだ、という戦後左翼のプロパガンタを、ねずきちは頭から否定するのです。
護らなければならないものを、ひとりひとりがちゃんと持ち、それを必死で守ろうとしたから、全員が玉砕の道を選んだ。命令だからではない。
以前、アッツ島の戦いの記事を書きましたが、ここでも、大将が既に突撃して死んでいるのに、残された兵士たちは最後の一兵まで戦っています。
沖縄戦もまたしかりです。
冒頭に書いたヴァリニャーノ神父は、「謀反しても、それによって彼らは名誉を失うことはない」と、実にこれを不思議な日本人の行動として見ているけれど、われわれ日本人からしたら、これは当然のことです。
民百姓のため、正しいことを為すことを、名誉と考える。当然です。
ですから日本における忠義は、単に支配層に服従することではありません。
ときに上長に逆らってでも、正しいことを為すことが、忠義であり、名誉であると考える。
歌舞伎は、単に服装や舞の華美を競うものではなく、日本的美意識を見事なまでに描写したから、多くの人々の共感を得たのです。
日本の心は、単に職務を忠実に果たすだけではない。
相手の心情をおもいやり、行為の前に“心”を大切にする。
刺激を受けてただ反応するのではなく、刺激と反応の間に日本的価値観と美意識を置く。
そこに日本の文化の、ひとつの本質があるように、ねずきちには思えるのです。
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