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秋吉台
秋吉台

山口県美祢市といえば、自動車好きの方ならMINEサーキット、観光ファンなら秋吉台が有名なところです。
その秋吉台は、実はカルスト大地と大嶺炭田という二つの化石のメッカとしても有名なところでもあります。
その美祢市に、大正13(1924)年、地元呉服屋の長男として岡藤五郎は産まれます。
五郎は、みんなからゴロちゃんと呼ばれる元気な子供で、川で小魚を追ったり、野山で遊び、伸びのびと自然に親しむのが大好きな少年だったそうです。
終戦後、中学校の理科の教師になった岡藤は、自分が培ってきた経験から「理科の学習は教室だけではだめだ」と、野外研究として生徒たちを連れて化石を集めを始めました。
岡藤はいつもいつも穏やかで、生徒からも「ゴロちゃん」と慕われており、授業もとても情熱的だったそうです。
特に課外活動の生物クラブの指導には熱心で、生物クラブは第10回日本学生科学賞をはじめ数々の賞を受けてます。
岡藤は、仕事の合間を縫って、早朝や夕方、休日などを利用して、化石を採集するためバイクで走り回ります。
遠くは大分まで、バイクで出かけたそうです。50ccのスーパーカブです。山口までは片道300km。いやはやすごい情熱です。
ある日、お巡りさんにリュックサックを調べられ、中から石ころばかりが出てきてお巡りさんをびっくりさせたこともあったとか。
岡藤は、化石の先生として地元で有名になり、“化石の先生”を知った人が化石を持って来てくれたり、情報を伝えて来てくれたりと、地元ならではの応援もあって、気がつくと先生の家の床下には化石ばかりか、化石になる前の動物の骨もゴロゴロしている状態となったそうです。
そのうえ、怪我をしたコウモリやふくろうが持ち込まれて家で飼われていた。
モリアオガエルがタンスの上で冬眠していたこともあった。
化石を見つけたときには、自分の頭がい骨よりも大切なのか、ヘルメットを脱いで、その中に大切に入れて持ち帰り、奥さんから「それだけはやめて!」と何度も叱られたそうです。
ゴロちゃん先生はいいます。
「自分は専門学者ではないです。第一線にいる化石収集家にしかすぎないです。でもその化石を調べる為には、幅広い知識が必要なのです」
彼は、古生物学、地学、人類学、考古学等の文献を調べ、大学などの専門の学者との交流を深め、13もの学会にも加盟します。
そして彼は「研究をひとりのものにしてはいけない」と、収集した化石を全国の博物館や大学に惜しげもなく配った。
化石研究に来た多くの研究者を採集現場へ案内した。
彼は、目が回るほど忙しい時でも、収集された化石を見学に来る一般の人や、子供たちをいつも笑顔で迎え、実にうれしそうに化石の説明をしたそうです。
岡藤五郎の調査活動のなかで大きな比重をもつものに、洞窟探査があります。
秋吉台一帯には横穴、竪穴、複合穴と大小300近い洞窟があります。
大半は人がまだ入ったことのない洞窟だった。
先生は同好グループのリーダーとしてこれらの穴を調査し、化石などを収集します。
やがてこれが教え子たちによって、いまも続くケービングクラブになった。
昭和43年のことです。
山陽無煙炭桃木鉱の露天掘り現場で植物化石群がみつかった。
会社側の理解で先生の自由入山は認められたのだけれど、採炭作業の邪魔をしないこと、一人でやることが条件になった。
岡藤は、連日学校が終わると現場へ駆けつけ、日暮れまで化石を探し続けます。
彼が化石採掘のためにひとりで運んだ重たい石は、トラック数台分にもなるそうです。
岡藤五郎の作業の細やかさと根気を知るには、何万と集められた微少ほ乳類(ねずみ、こうもりなど)の骨を見るとわかるといいます。
化石は、洞くつのなかに積もった土や、長い年月をかけて石灰岩(せっかいがん)の割れ目のなかに流れ込んで石のように固まった「テラロッサ」と呼ばれている土の中に混じっています。
ちょうどゴマがクッキーの生地の中に混ぜ込まれたような状態になっている。
岡藤は、石のように堅くなった土のかたまりの中から、その小さなもろい骨を取り出すために、実に気の遠くなるような方法を考案していた。
その方法というのは、ドラム缶に雨水を溜め半年も一年も水漬けし、土が自然に柔らかくなったところで水洗いして、骨だけを抽出するという方法です。
そして抽出したゴチャゴチャの骨を、ピンセットと爪楊枝でひとつひとつ分類した。
岡藤五郎、化石の採集現場にて
岡藤五郎

五郎が発見した化石のなかには、岡藤五郎自身の名前が付いたものもあります。
シダの仲間の「アステロテーカ・オカフジアイ」
トクサの仲間の「パラスフェノフィルム・オカフジアイ」
ゴキブリの仲間の「オカフジムカシゴキブリ」
などなど。
また岡藤が発見した
「トウヨウゾウ」
「サイ」
「トラ」
「ヒョウ」
「オオツノジカ」などの化石からは、氷河期に日本列島の一部が中国大陸や朝鮮半島、シベリア大陸と陸続きになったり離れたりした時期や、当時の気候が現在とはかなり異なっていたことが明確に立証された。
岡藤が発見した化石は、日本列島の歴史や気候を知る上での重要な手がかりとなったのです。
岡藤は、教員として、そして美祢の化石発掘者として約30年を過ごされ、美祢の化石研究になくてはならない存在となりました。
給料やボーナスを奥さんに手渡されるとき岡藤先生は、
「好きなことさせてもらって、こんなにもらっていいのかな」と笑っておられたといいます。
先生のまじめでお金に無頓着な、研究心以外は無欲無心を物語る一面です。
岡藤が収集した化石は膨大な量となり、その収容の為、昭和47年、大嶺高校に化石展示室がつくられました。
先生は亡くなられる前のレポートに、こう書いています。
「毎日が教育と研究でたのしい。 大嶺炭田の植物化石。 ジュラ紀の植物化石。 洞穴動物、西日本のプラナリア、 ミジンニナ、カタツムリ、ほ乳類と、 あまりに手を広げすぎて、反省している。
しかし、体力のある限り調査したい」
岡藤五郎は、昭和53年7月20日の午後、太陽がかんかんと照り付けて焼け付くような石灰岩の採掘場で化石を採集中に、突然襲った心臓病のために倒れて、帰らぬ人となりました。
亡くなられた先生の、しっかりと握りしめたこぶしのなかには、小さな化石があったということです。
世の中には、正しい歴史さえも、政治的に歪曲したり、否定したり、存在を抹殺したりする国家や政党や国民がいたりします。
しかし、真実を探求する努力というのは、地味な何十年もの積み重ねによるものです。
地位も名誉も関係ない真実を知ろうとする真摯で無私なたったひとりの情熱が、何十年もかけて世の中の真実を伝え、あばく。
岡藤五郎先生の生きざまは、ひとすじに生きることの素晴らしさをボクたちに教えてくれているような気がします。
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