札を下げている文化大革命時の写真

中国といえば、いまの中華人民共和国の建国の父が、毛沢東。
その毛沢東が、1960年代後半から1970年代前半に権力闘争のために仕掛けたのが、有名な“文化大革命”です。
この文化大革命は、伝統的文化を否定し、理想社会の実現を企図するものとして、当時、日本国内でも少年たちによる紅衛兵の躍進運動などが、あたかも“素晴らしいもの”として宣伝された。
毛沢東語録という赤い表紙の小さな本が、日本国内でも出回り、なかにはこれを人生の教科書とまで謳いあげる人もいた。
しかし、後年、そこで行われた実態が知られたと、いつの間にか左翼活動家たちが誰も語らなくなった、というのが、その文化大革命でした。
その文化大革命で、実際に中国国内で行われていたこととは、いったいどんなだったのか。
毛沢東の私兵である10代の少年たちからなる紅衛兵が、ありとあらゆる過去の権威や伝統を破壊し、思想を統制し、大人たちを拷問し、つるし上げ、暴行、恐喝、財産没収、糾弾、時には殺人などを行い、徹底的な毛沢東への個人崇拝を強制した。
そして、階級闘争び、人々を出身階級ごとに色分けし、出身階級が良いもの(紅五類)が、悪いもの(黒五類)を一方的に迫害し、弾圧した。
・紅五類 労働者・中農以下の農民・兵士・革命幹部・革命烈士
・黒五類 旧地主・旧富豪・反動分子・悪質分子・右派分子
具体的にどのようなことが行われたのか。
はてなキーワードに、わかりやすい説明が出ていたので、引用します。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CA%B8%B2%BD%C2%E7%B3%D7%CC%BF
以下の内容は、眼を覆うばかりの事実ですが、もし、日本に、日教組による文部科学省支配や、それら政治的勢力による政治支配が実現したら、これらは日本の現実になっていく危険がある。
眼をそむけずに、実際にあった過去の事実をみてみましょう。
-------------------------------
◆学校では、教師がつるし上げの対象となった。
生徒が校長を追放し、授業は行われず、労働が奨励された。
この時期に学生をしていたものは高等教育を受ける機会を奪われた。
授業はもっぱら毛沢東の著作の研究に終始した。
学校では、毎日のように出身階級が悪い生徒が集団でつるし上げをくらい、殴打され、悪罵を投げられ続けた。
※ これと同等の事件が日本でも起っています。
いきなり30人の小学生に取り囲まれて、「土下座しろ!謝れ!」
国立第二小学校事件です。
詳細は↓
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/5533/kunitati-index.htm
◆親が共産党の幹部でも安心はできなかった。
三代前まで遡って査定され、祖父が小さな商店を経営していたというだけで「資本家」のレッテルを貼られた。
資本家のレッテルは、当時の中国ではそれは死刑判決にも等しかった。
※ 人権擁護法案というものがあります。
悪いことをする集団がいたら、人々がそれを“警戒”するのは当然のことですが、彼らはその“警戒”を“差別”だといい変えて、“人権を守るため”に、警戒する普通の人々に対し吊るしあげを行います。
在日が権力をとった日本国内企業では、こうして多くの日本人社員がリストラの名のもとに職場を放逐されている。
◆ある女性が集団でリンチを加えられていた。
殴打されているので理由を尋ねると、
「この女は地主の娘だからだ」という答えが帰ってきた。
◆紅衛兵は宗教、伝統のある物、古い物を敵視した。
造反有理(反逆することに理がある)という毛沢東のスローガンの下、既成概念、既成の政治権力、既成の秩序を徹底的に破壊しようとした。
※ ↑この文章の“紅衛兵”を“日教組”と読み替えてみてください。
◆仏教寺院やキリスト教の教会は破壊された。
凄まじい数の仏像と経典、文化的価値のある建築物が灰燼に帰した。
僧侶やシスターたちは侮辱をうけ、暴行され、時には殺された。
文革の後半になると、批林批孔運動の名の下に、儒教と孔子も徹底的に攻撃され、破壊された。
※ 実際に靖国神社への破壊活動が先日起りました。
◆紅衛兵はとにかく古い物を敵視した。
中国各地の博物館や美術館、遺跡には紅衛兵が殺到し、重要な文化財を次々に破壊していった。博物館の学芸員たちは、文化財に毛沢東語録の一節を紙に書いて貼り付けることで、多くの美術品や文化材を守った。
◆ある男は道を歩いているといきなり紅衛兵に殴打された。
男が身に着けていた毛沢東バッジを見咎められ、
「出身階級が悪い貴様に毛首席のバッジをつける資格はない」と言われたのである。
その男は、
「私は毛首席を愛する権利がある。」と反論し、
次の日から毛沢東に対する忠誠を表すために裸の皮膚にバッジを刺して着けたという。
◆弁護士、医師、学者など、あらゆる知識人や文化人が修正主義者、あるいは走資派として批難と弾圧の対象となった。
◆スーツやイタリア製の靴を着用しただけで「西洋かぶれ」として紅衛兵に詰問され、没収された。
◆ある老夫婦は、地主をしていたというだけの理由で家宅を紅衛兵に捜索され、家財を没収された。
老夫婦が紅衛兵にお茶を出してもてなそうとすると、
「お茶には毒が入っている!」と決め付けられ、息も絶え絶えになるほど殴打された。
◆この頃の中国では、金目の物をもっていることはそれだけで弾圧の対象となった。
夜中になると高価な美術品や家財を川に投げ込む音が聞えてきたという。
◆文化大革命は中国人の家庭にも深刻な傷を残した。
批難する対象を血眼で探し、見つけられなければ実の親子同士で告発をしあった。
夫婦、兄弟、親友、全ての人間が信じられなくなり、人間不信で自殺する人がひきもきらない状態となったという。
◆文革時、中国人はありとあらゆる場で派閥を作り、抗争に明け暮れた。
家庭、職場、学校、隣近所で、派閥が違えば争いの種になった。
傍観者でいることは許されず、どちらかの対立軸に属さなければ迫害を受けた。
当初は棍棒や投石が主たる武器であった派閥抗争は、やがて銃器まで使用されるまでになり、中国全土で内戦状態とも見紛う惨状を呈した。
◆中国で理系の超名門とされる清華大学では、二つの派閥に分かれた大学生同士で、日常的に殺人が横行していた。
清華大学の科学教室棟にたてこもった派閥は、食料が尽きたためにトンネルを掘削して脱出しようと試みたものの、敵対派閥の学生達が地震計でトンネル工事を発見し、坑道に爆薬を仕掛けて爆破したため、多数の死傷者を出した。
消防車がすぐにかけつけたものの、銃で武装した学生たちに阻まれ、消火活動は難航した。
◆劉少奇(中華人民共和国第二代国家主席)や小平は党の機関紙である人民日報などで、走資派として名指しで批判され、凄惨な迫害を受けた。
劉少奇を初めに糾弾しはじめたのは清華大学の学生たちだったが、北京大学の学生達はそれを見て「先を越された!我々は小平を血祭りにあげるぞ!」と言ったという。
そして劉少奇は国家主席であったにもかかわらず人民裁判でつるし上げを受け、監禁されて、警備員や担当の医師からも暴行を受けた。
共産党を永久追放され、除名されたが、そのニュースを強制的にラジオで聴かされた。
入浴や散髪を禁じられ、持病の薬も取り上げられた彼は、最後には寝たきり状態となり、糞尿の処理もされぬままに放置され、1969年非業の死を遂げた。(1980年に名誉回復)。
◆職場が派閥抗争の場となったため、国内の生産活動が止まり、工場は廃墟と化した。
また、文革の最中はアルバニア、ポル・ポト政権下のカンボジアなど、ごく一部の例外を除いて国交が断絶された。
さながら鎖国状態となった為、中国の近代化は30年遅れたと言われている。
-----------------------------
↑いま、日本に起ころうとしていることが、これ?
友愛の名のもとに、日本に文化大革命をしかけようとしている不埒な輩を断固許しちゃいけないですよね。
階級闘争主義者なんてものは、ろくな現実を産まないのです。
日本を階級闘争主義者から守れ!と思う方、
↓クリックを↓


