人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。
1848年、マルクスとエンゲルスによって執筆された「共産主義宣言」は、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」という有名な書き出しで始まっています。
自由民と奴隷、都市貴族と平民、領主と農奴、ギルドの組合員と職人、親子の関係、社内の上下関係など、すべての社会関係は“圧制者と被圧制者の対立と闘争”にあると説いている。
世の中のすべてを「階級闘争」として把握するのですから、会社の中は、社長と社員の階級闘争の場だし、親子の関係も、夫婦の関係も、恋人同士の関係も、すべて「階級闘争の場」となります。
上司と部下の関係も、闘争関係にあるのですから、上司は部下を批判し、部下は上司を批判します。
互いに批判し合うのですから、まさにそれは「闘争」の場であり、そのなかで上司が部下に何かを命令し、何かをやらせようとするならば、当然、強権を発動しなければならない。
どうしても部下が言うことを聞かないのなら、それは「闘争」ですから、その部下の首をきらなければならない。つまり「粛清」です。
首を切られる方の部下は、これも「闘争」ですから、上司を「批判」し、革命を起こして上司の首を取らなければならない。
同様に、マスコミの最大の使命は、それが政治部であれば、政治家を批判し、政治家のすることなすことすべてを否定し、批判し、政治の恥部を洗い出し、政治家を追い出すまでこれを続けることになる。つまり政治の粛正です。
政治家が、これを黙らせようとするなら、強権を発動し、当該マスコミそのものを粛清(全員皆殺し)にしなければならない。
親は子を、よい大人に育てるために叱るけれど、これも階級闘争だから、子は親に叱られたとき、逆に叱った親を批判し、親に土下座して謝らせるまで、徹底して親を追い込まなければならない。そのためには、ときに子供同士で連携し、団交までする必要がある。
恋人同士も、階級闘争です。
男は、夫唱婦随を思い描き、亭主関白を目指そうとするから、女は、これに対して「闘争」し、女性の人権を唱えて戦い、男を社会から放逐する。
女性だけの社会を作り、男性は必要に応じて精子を提供するだけの存在であれば足りるところまで、闘争を行い続けれなければならない。
生まれてくる子供は、優秀な遺伝子を持った男性を選び勝ち取った女性の階級闘争における勝利の産物であり、男性にとっては、女性を下にひいて自分の種を植え付けることができた
という、これも階級闘争の勝利となる。
施政者と庶民の関係も同様に、階級闘争となります。
施政者は権力を行使し、常に庶民から収奪しようとするから、庶民はこれに対抗するために、常に施政者を監視し、批判し、施政者のあらゆる施策を弾劾し、放逐しなければならない。施政者が漢字を読み間違えたときなどは、まさに施政者を批判する絶好の好機であり、そのチャンスに批判し、施政者を追い込み、施政者を退任させ、身分をはく奪し、二度と庶民の前に顔を出すことができないように完膚なまでに叩きのめさなければならい。
隣国との関係も同様に、「階級闘争」です。
となりに経済的に成功し、発展し、世界の信用と信頼を勝ち得た国があれば、自分の国が負けているわけですから、階級闘争に勝利するよう、徹底的にその国の成功を阻止し、発展を阻害し、世界の信用と信頼を徹底的に破壊しつくさなければならない。
こうした「階級闘争主義」が、大量殺戮を屁とも思わない国民性(ロシア)や、残虐行為を好む国民性(シナ)、火病を起こして自己の権利だけを主張し、強姦を好みとする国民性(半島)と結びつくと、何が起こるか。
スターリンによる粛清、文化大革命による粛清、ポルポトによる虐殺、戦前の日本共産党による同士の粛清、戦後の日本赤軍のリンチ殺人、その他これまでの記事でご紹介した通州事件、尼港事件、和夫さん一家殺害事件等々、その残虐性がいかんなく発揮された各種事件が、まるごと正当化されることになる。
これに対し、日本の基底にあるのは、ぼくは「信頼主義」であると思っています。
上司は部下を信頼し、部下は社長を信頼する。
夫は妻を信頼し、妻は夫を信頼する。
恋人は、相手を心から信頼し、愛を育む。
生まれてくる子供は、特定の男女の信頼の証だし、夫婦が互いに信頼の絆を深めることで生まれた子供は、父母の信頼関係を見習い、みずからも信頼に足る大人に育とうとする。
教師は生徒を信頼し、生徒も教師を尊敬し、信頼する。
施政者は、庶民を信頼し、庶民は施政者を信頼する。
約束事は、相互の信頼によってなりたち、企業取引も、売掛・買掛ともに、相互の信頼関係によって成り立つ。
そして社会のいかなるポジションにあったとしても、自省し、常に人から信頼される自分になるよう、努力する。
10時30分発の急行電車がホームにはいってくる。
みんなが、その電車は当然10時30分にホームにはいってくると信じている。(=信頼されている)。
電車も、みんなの信頼に応えるよう、しっかりと時間を守る。1秒の狂いも許さない。
互いの信頼関係あってこそです。
電車が万一時間どおりにはいってこなかったら、これは電車側と乗客の階級闘争なのだから、乗客は電車を批判し、必要に応じて電車を弾劾し、時間に遅れた電車は破壊しつくさなければならないなどとは、誰も考えない。
電車が遅れたら、それは運行契約不履行にあたるから、電車会社は、乗客に対し、事前に契約に定めた損害賠償金を支払わなければならず、もし、そのような賠償義務を負わないような運行契約を定めている会社があれば、それは公序良俗に反する行為だから、その電車会社を被告として契約約款の訂正とこれまでの遅刻行為に対する損害賠償を求めて裁判を行う・・・などとは、誰も思わないし、考えない。
電車が遅れたら、その電車の運行関係者は、乗客の信頼を失ってしまう。だから信頼を失わないように必死で努力し、なんとか電車を時刻通り正確に運行させるべく努力する。
乗客も、その日頃の運航会社の努力を信頼し、少々のことがあっても、次には必ず時刻通り運航してくれると、その会社を信頼し、無用な騒ぎはおこさない。
根底に相互の「信頼」があるからです。
信頼主義のもとでは、不足があれば、それはまず、みずからの努力に不足があったのではないかと、自省します。
これに対し、階級闘争主義では、不足があればそれはすべて相手のせいにします。
自分が不幸なのは、国の政治が悪いからだ。だから施政者を批判しよう。
自分が貧しいのは、国の政治が悪いからだ。だから施政者を批判しよう。
自分の成績が悪いのは、国の政治が悪いからだ。だから施政者を批判しよう。
自分がモテナイのは、国の政治が悪いからだ。だから施政者を批判しよう。
自分が出世しないのは、国の政治が悪いからだ。だから施政者を批判しよう。
自分の給料が安いのは、国の政治が悪いからだ。だから施政者を批判しよう。
etc....etc...
批判するだけでなく、弾劾し、中傷し、揚げ足を取り、引きずり降ろし、破壊しつくす。
ありとあらゆる暴虐の限りを尽くす。
ねずきちにいわせれば、共産主義も、社会主義も、「階級闘争主義」です。
そして昨今のマスコミも、この階級闘争主義に汚染され、染まりきっている。
とにかく批判し、人のせいにすることがよいことだと勘違いしている。
問題が起きたら、ひとのせいにするのは簡単です。
自省するのはつらい。
みずからの非を認めなきゃなんない。
自分自身が努力して改善していかなきゃなんない。
だけど、自省し、反省し、改善しなかったら、成長なんてない。
互いの信頼がなかったら、この世がどんなにさもしいものになるか。
恋人との関係が、階級闘争の場だなんて、ボクは悪いけど願い下げです。
産まれてくる子供が、階級闘争の勝利の証だなんて、思いたくもない。
子は、夫婦の愛のあかし。信頼の絆のあかし。そして天からの授かりものです。
日本の良さとは何かと問われたら、ボクはなにより
「日本は相互の信頼を根底においた国ですから」と答えたい。
夫婦の良さとは何かと問われれば、ボクはなにより、
「互いに信頼しあっていますから」と答えたい。
政治とは何かと問われたら、
「国家と民衆の信頼である」と答えたい。
日本という国は、信頼主義の国家なのだと、ぼくは思います。
戦前の日本が目指した「八紘一宇」も、「大東亜共栄圏」も、国家間の相互信頼を実現した世界を目指すものだったし、亡くなられた日本の軍人さんも、駐留地で、その地の信頼を勝ち得るために、必死の努力をした。
その日本が、いま、階級闘争主義に大きく汚染されようとしています。
信頼主義が、階級闘争主義に打ち勝つためには何が必要なのか。
それを考えるとき、やはりわたしたちは「真実を知る」ことが必要なのではないかと思うのです。
---------------------------------
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。
情(じょう)に棹(さお)させば流される。
意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。
とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
【草枕 - 夏目 漱石】より
--------------------------------
信頼主義が良いと思う方
↓クリックを↓
人気ブログランキング

中国共産党の正体 九評共産党 第三評 中国共産党の暴政 1/7

コメントは受け付けていません。