昨日、「中間を知り過ぎた男」の記事の中で、普通の国民さんが「有名なネット小噺」として、次のお話を紹介してくださいました。
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神はまず天と地を作った。
それから海と山を作った。
そして日本という国を作った。
日本には世界一勤勉な人々と、
世界一うつくしい風景と、
世界一おいしい食べ物と、
世界一過ごしやすい気候を作った。
天使が言った。
「神様、これではあまりに日本が恵まれすぎています!」
神は答えた
「心配するな。隣に韓国を作った。」
もし付け加えるなら、以下の言葉でしょう。
「...さらに中国という最悪の試練を与える予定じゃ。」
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インド半島の南東に浮かぶ島スリランカ。その対岸にあたる地域が、タミル地方といいます。
稲作発祥の地ともいわれるタミル地方ですが、実は、そこで話されていた古代タミル語が、日本語の原点であるという説があります。
イネ、ハハ、チチなど、原始日本語ともいえる単語が、古代タミル語と日本語で共通なのだそうです。
その古代タミル語で、
ya とは、日、太陽
moto は、下
つまり、yamoto は、日のモト という意味なのだそうです。
そしてyamotoがなまって、yamatoとなった。
yamatoを同意の漢字にすると、日本となります。
つまり、ヤマト=日本となる。
稲作というのは、田に水を引いて田植えをし、その田から水を抜いて稲を収穫します。
これは、熱帯地方の雨季と乾季を人工的に作り出しているのだとか。
大昔、タミル地方で生まれた稲作の技術を持った人々が、海を渡り、日本に来た。
最初に日本で稲作が営まれたのが、高知なのだそうですね。
そこにある棚田は、日本最古の田んぼといわれ、山の斜面を利用して、灌漑をし、雨季と乾季を人工的に作り上げた。古代人の知恵です。
大和と書いてヤマトと読ませるけれど、これは単なる当て字なのだそうです。
中国では、古来、異族を称するに、その国の人々の一人称を漢字に当てはめました。
日本人にあてられた字は「倭」。
倭は、ちっぽけな蛮族という意味の漢字ですから、日の昇るところの天子の国にとっては、きわめておもしろくない(笑)
で、当時の日本人は、「ワシ」の「ワ」は、「輪」であり、「環」であり、「和」であると号し、和の人々の集合体だから、大きな和の国だと、同意語の「日本」を、あえて「大和」と号したといいます。
ちなみに、男言葉と女言葉。。。
男は、語尾に「よ」をつけ、女は語尾に「わ」をつけます。
「よ」は「世」です。常に世間や世界を考え行動するのが男。
「わ」は「和」です。人の和を大切にし、隣近所との輪を築き上げるのが女。
それを語尾につけて発音することで、男は世界を、そして名誉を重んじ、女は人の和を重んじる生きざまを人々の心に植え付けた。
誰が考えたのか知りませんが、実にうまい言葉を作ったものだと感心します。
ともあれ、日本人は、伝統的に「和」を重んじる。「和」を大切にするから約束を守る。嘘は人の環を崩壊させるからです。そして相手に尊敬の念を持ち、謙譲の心を大切にする。
こうした「和」の精神は、武道のような敵を倒す技術においてすら中心に据えられます。
たとえば柔道の投げ技は、投げた側が相手の頭部を持ち上げ保護します。
柔道から発展しプロレス技になった腕ひしぎ十字固めなどの関節技も、相手を骨折させるのではなく、折れそうな苦痛を与えて、相手を懲らしめるための技になっています。
首を絞める絞め技にしても、相手の首の骨を折って殺害するための技術ではなく、気絶させ、懲らしめたら、ちゃんと蘇生させる技術を学ぶ。
水戸黄門も、ラストシーンで、抵抗する悪代官の一味に言う言葉は
「助さん、角さん、懲らしめてやりなさいっ!」(笑)
人を抹殺する、抵抗する者を皆殺しにするという文化は、日本にはないんですね。
大切なのは、あくまでも「人の和」だ。
これに対し中国は、抵抗する者は皆殺しにする。抹殺する。
大切なのは人の和ではない。自らの皇帝が大切なのであって、皇帝の贅沢な暮らしのためなら、いかなる嘘も正当化される。それによって他人が傷つこうが、文句があろうが、抵抗するなら抹殺するだけです。
このあたり、似たような顔をしている東洋人でありながら、その精神構造はまるで違う。
日本では、天皇陛下の贅沢な暮らしのためなら、どのような嘘でも許されるなどと考えている人は、おそらく、誰もいないのではないか?
陛下が民の幸せを願ってくださる。その思いに応えるためにも、日本人は、感謝の心をもって、合い和して生きていこうとする。
さらにいえば、日本人はその特徴として、人間を利用主義的に利用することを極端に嫌う。
会社勤めであれ、家庭生活であれ、日本人の感覚に共通しているのは、人は利用するものではなく、互いに助け合い、支え合うものであるという意識であろうと思う。
NHKは、中共のご機嫌を伺い、あたかも日台戦争があり、日本は台湾で差別的極悪政治を行ってきたことにしたいようです。
しかし、当時、国民一人当たりに割り当てられた日本の歳費は、日本本土民がひとりあたり2円だったのに対し、台湾の人々へは3円です。
差別というなら、むしろ日本政府は、本土に住む日本人を差別していた(笑)
でも、当時の日本人の誰もが、それを差別などとは一切感じていなかった。
日清戦争で割譲を受け、日本となった地域が、国土が荒れ、部族が対立し、疫病が絶えず、学校もない。
ならばそうした地域に優先的に歳費を割り当て、社会資本を整備して、現地の人々が豊かで暮らしやすい国に早く仕立ててあげる。それを誰もが「良いこと」だと信じていたし、実際、客観的に見て、日本統治は、極めて素晴らしいものであったといえる。
考えてみていただきたい。日清戦争で台湾が割譲されたとき、当時の清国からしてみれば、台湾は、領外の地。漢族の支配を受けず、言語の統一もなく、疫病が流行る貧しくて危険な地域だった。
当時の欧米列強でさえ、台湾には手を出していない。植民地化もしていない。
植民地にするだけの魅力がまったくなかったのです。
そういう島を、日本は割譲され、50年間、そこを日本国内として統治した。
結果、どうなったか。
少なくとも、太平洋戦争終結時のみならず、いまでも、台湾の国民ひとりあたりの生産高、国民所得とも、中国国民よりもはるかに高い経済水準にあり、民衆の知的レベルも高い。
馬鹿にされ割譲された島の民衆が、馬鹿にした大国よりもはるかに大きな富と国富を築き上げた。
逆にいえば、中国共産党にとって、自分たちの根源的な誤りに国民に気付かせないようにするためには、兎にも角にも、日本や台湾を「悪者」に仕立て上げなければならない。
中共は、正義を否定し、悪を肯定しなければならない。
その時点で、中国共産党は、もはや普遍的な正義を失っている。
いま、世界に広がりつつあるのは、中共の文化です。
日本にも深く入り込んできている。
しかし、人々が幸せになりたいなら、世界が平和になりたいなら、人類が幸せになりたいなら、普遍性を持つべきは、日本の文化、和を大切にする文化ではないかと、ボクは思います。
【参考】Nextmaruniというブログで、日本人の美意識を8つにまとめて紹介していました。とっても素敵な分析です。一度ご覧になることをお勧めします^^
http://www.nextmaruni.com/concept/concept_3.html
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