Atahualpa

めずらしく名画?(笑)
いあいあ、そうではありません。
実はこの絵は、悪名高い征服者フランシスコ・ピサロと、インカ帝国最後の皇帝アタワルパの会見の図です。
黄金郷(エルドラド)を求めて殺戮と破壊、強奪と強姦を繰り返し、ついにはインカ帝国の首都クスコを廃墟と化した男の得意満面の表情。
そして敵の前に引き立てられてなお、その矜持を失わずに戦おうとするアダワルパ王の表情がここに描かれています。
フランシスコ・ピサロは、スペインのエスロラマドゥラ地方で私生児として誕生。母親は売春婦だったといいます。
生まれるとすぐに町の教会の前に捨てられ、豚小屋で雌豚から乳をもらって育った。
成長して豚飼いを生業としたけれど、やがて新大陸に幸運を求める一旗組に身を投じた。
南米に渡ってきたのは1531年、ピサロ39歳のとき。
皇帝アダワルパを追って南進したピサロは、翌1532年にカハマルカでアダワルパと会見し、その場で彼を生け捕りにした。そのときの模様が、上の絵です。
ピサロは、このときアタワルパの身代金として巨額の金銀を受け取ります。しかしその翌年には彼を殺してしまいます。理由は、アダワルパを生かしておいたら、ペルーの民衆が彼を担いで反乱を起こす危険があるから。
ピサロは、現在のペルーの首都、リマ市を建造した英雄と称えられています。
けれど、殺戮と略奪の限りを尽くし、歴史あるインカ文明を完膚なまでに滅ぼし、いまやその片鱗さえもうかがい知ることができない状態にまでしてしまった大悪党でもあります。
歴史は常に勝者に寛大であるといいます。
しかし、勝利者であるピサロの行った殺戮、略奪、強姦の限りは、果たしてそれが正義といえたのか。
ピサロの人生を振り返るとき、彼は単に、自身の出自の卑しさのストレスを、南米における圧倒的な火力使用による権威の破壊で暗い自己満足に転嫁していただけ、といえなくもない。
現世人類はいまから約5万年前にアフリカ中央部で誕生し、世界に散ったといわれています。
日本は、東のはずれ。
各地で様々な文明の衝突を繰り返してきた人類が、最後に築いた平和の楽園。それが日本だったのではないか、などとねずきちは考えます。
大陸における文明の衝突は、敵となった相手を完膚なまでに滅ぼす。
大陸では、城塞都市を築きます。高い壁に囲まれた都市国家を建設した。そこまでして守らなければならない理由があった。
戦争が起き、敗れれば、年寄りや男は全員皆殺し。子供は高い城壁から突き落として殺し、年頃の女性は全員強姦され、好きでもない男の子を作らされるか殺される。
闘わずに降参すれば、男は奴隷に取られ、女はやはり慰み物になり、年寄りと子供は殺される。
そのことは現代でも変わりません。
共産主義成立以来1億の人類が殺されてきた。
そして今も中共では殺戮が行なわれ、チベット、南モンゴル、 東トルキスタン(新疆ウィグル自治区)では、ナチスドイツ以上の民族浄化(民族の種を途絶えさせる)が行なわれています。
以下、櫻井よしこさんのブログからの引用です。
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中国共産党が用いた弾圧の口実は「内モンゴル人民革命党」である。
彼らは同革命党を反中国、反社会主義の総本山で、メンバーは修正主義者で反毛沢東思想の輩だと決めつけ、粛清した。
1966年7月2日、小平もモンゴル人の指導者、ウラーンフを呼びつけ、厳しく批判した。
反毛沢東、反社会主義の輩を「えぐり出して粛清する」運動は、「挖粛(ワーソ)」と呼ばれた。
『実録』によると、挖粛によって、内モンゴル人民革命党員とされたのは34万6,653人、当時の内モンゴル自治区のモンゴル人の人口140万人弱の約4分の1に相当する。
うち1万6,222人が殺害され、烈しい拷問による障害が残ったのは8万7,188人だったという。
しかし、『実録』におさめられた右の数字は、1980年に中国の最高検察院特別検察庁、つまり、中国政府当局が発表したデータで、少な目に見積られている可能性がある。実際の犠牲者はこれよりはるかに多いと、モンゴル人たちは訴える。
中国共産党はまず、ウラーンフの例でわかるようにモンゴル人の指導者と知識人たちを狙った。
文字を読める人は殆ど生き残れなかったと言われるほどの粛清が行われた。
50種類以上の拷問が考案され、実行された。
たとえば、真赤に焼いた棍棒で内臓が見えるまで腹部を焼き、穴をあける。
牛皮の鞭に鉄線をつけて殴る。
傷口に塩を塗り込み、熱湯をかける。
太い鉄線を頭部に巻いて、頭部が破裂するまでペンチで締め上げる。
真赤に焼いた鉄のショベルを、縛りあげた人の頭部に押しつけ焼き殺す。
『実録』には悪夢にうなされそうな具体例が詰まっている。
女性や子どもへの拷問、殺戮の事例も限りがない。
中国共産党の所業はまさに悪魔の仕業である。
http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2008/06/19/%E3%80%8C%E2%80%9C%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E4%BA%BA%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8E%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89-%E5%AE%9F%E9%8C%B2%E2%80%9D%E3%80%8D/
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日本でも戦乱は数多くありました。
しかし、日本では、相手を全滅させその文明を完膚なまでに滅ぼすということは、していない。大将が戦った責任をとって、切腹か斬首となれば、それでおしまい。
だから町を塀で囲むこともしていないし、戦いのための城ですら、塀は低い。
日本は戦前、なるほど東亜各国に進駐した。
しかしそこで日本が行ったことは、植民支配層である白人と戦い、占領地の人々には高い教育を施し、産業を育成した。
そこには、勝って皆殺しにするという大陸型の思想はまったくありません。
いや、なんで今日はそんな話を書いているのかというと、
映画「南京!南京!」という映画についての報道記事を読んだからです。
<記事引用>----------------------------
■記事:映画「南京!南京!」撮影秘話=日本人俳優、エキストラの全裸女子大生相手に苦悩の演技―中国 Record China
http://news.livedoor.com/article/detail/4116581/
2009年4月16日、南京市で映画「南京!南京!」のプレミア試写会が開催された。
席上、陸川監督が撮影秘話を明かした。17日、重慶晨報が伝えた。
劇中、従軍慰安婦に関するシーンが続くが、大量の史料を元に考察されたものだという。
慰安婦役を務めたエキストラのほとんどは女子大生。
全裸になる必要があるにもかかわらず、女子大生らは全く迷いも見せずに撮影に参加したという。
脇で泣き崩れるさまを見た日本人俳優は押しつぶされそうな気持ちとなり帰りたいと思ったほどだという。
こうしたなか、レイプシーンの撮影では日本人俳優は女性に手を触れることすらためらうありさまだったが、陸監督は、
「きみがOKを出さないと女性は裸でまちつづけなければならない」と諭し、撮影を続行したという。
「カット」の声が響くと、日本人俳優はすぐに裸の女性に服をかけ、ふかぶかとおじぎしていたと陸監督は話している。
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嘘にウソを重ねて、ありもしない南京大虐殺や、日本軍による慰安婦徴用、レイプをでっちあげ、それを映像にしたてあげた映画「南京!南京!」
嘘の教育を受け、「日本を許せない!」と感情が火となった中国の女子大生たちは、自ら進んで柔肌を晒したのでしょう。それが単なるプロパガンタであり、嘘と知ったなら、彼女たちの行動はなんと哀れなことか。
レイプ役の日本人俳優は、そうした全裸の女性に“手を触れることすらためらった”といいます。
全裸で泣き叫ぶ女性を見て、そういう気持ちになるのが日本人です。
そして「カット!」の声が響くと、日本人俳優はすぐに裸の女性に服をかけ、ふかぶかとおじぎをしたという。。。。
南京従軍した村田和志郎(第18師団歩124歩兵伍長)の日記に、こんな記載があります。
<引用>------------------------------
湖州は浙江省の首都、呉興県政府の所在地。
城壁をはいると家屋は焼けて一面の焼け野原となり、殆ど瓦礫の巷と化していた。
とくに商店街は影も形もなく、処々に多数のChina兵の死骸が生々しい姿で倒れ転がっていた。誠に見るも無残な有様であった。
街には人影がみられない。
それでもどこからか若い女が三人でてきた。
我々の姿を見ると、彼女らは我々をぽつんと残った唯一の焼け残りの小屋へ招きいれ、いち早くズボンを脱ぐと、進んで下半身を丸出しにした。
助けてくれと一心にわれわれを拝んだ。
我々は三名で巡察の途中で思いかけぬ出来事に遭遇してしまった。
一人は娘、残る二人は人妻らしい体つきだった。自分達は彼女らをそっとして置いてやった。
それでも恐怖に怯え、彼女ら三人はおののいて、脱いだ紺色のズボンを容易に身につけようとしなかった。
体を提供しても生命さえ助けてもらえれば、これに越したことはないと観念していたかに見えた。
また、ある民家では中年の女性が寝てうめいており、下半身を露出して指さして示し、何かわからぬ言葉を喋っていた。China兵は逃亡の際、この女性に迫り、拒絶されると腹を立て、銃剣を一突きにそこに突き刺したに違いなかった。
夥しい出血で苦しんで訴えている。
すぐに治安維持会(既に結成されていた中国人の自治組織)に連絡して看護員を連れてきた。さて助かったかどうか。
このようにして略奪と暴行のあとを見せつけられた。
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戦前も、現代も、日本人の心はそんなには変わりゃしません。
大東亜戦争の出征は、なんといっても、ボクたちの血の繋がったおじいちゃん達の多感な若き日の出来事だったのです。
だいたい、30万人とか、100人斬りとか、非常識極まりない。
司馬遼太郎さんも書いておられますが、当時の日本の機関銃というのは、カラシニコフとか、AK-30とかの欧米仕様のものと性能がまるで違う。
機関銃というと、たいていの方が、ダダダダダダ・・と連射する機銃を思い浮かべますが、当時の日本軍が持っていた機関銃は、当時の映像とか見るとあきらかですが、タン・・タン・・・タン・・・タン・・単発中の連射に毛の生えた程度の性能しかなかった。
仮に30万人を殺すとしたら最低でも30万発の弾薬が必要だったけれど、物資の窮乏していた当時の日本軍に、そんなタマの無駄遣いをする余裕なんてなかった。
100人斬りなんてのは、もっての外で、100人も連続して斬れるほど日本刀の切れ味を評価してくれるのはありがたいけど、実際には3人も斬ったら脂にまみれて、人を斬るなんてできなくなった。
話は飛びますけれど、中国の昔の戦記ものの映画などを見ると、よく、矢が、黒雲のごとくドバッと飛んでくるシーンが出てきます。
昔の戦場において、最も殺傷力が強く、多くの敵兵を殺したのは、刀でも槍でもなく、実は弓矢だったというのは、歴史家のいわば常識ですが、この矢、日本の昔の戦記では、黒雲の如く矢が飛び交うなんてシーンはまるで登場しません。
那須の与一が扇の要を射たというのは有名な逸話ですが、黒雲の如く大量の矢が飛び交うというシーンは、まるで記録にない。
実は、戦場において、そんなに大量の矢は、もったいなくて使えなかったといわれています。
戦場に行く兵士は、たいてい農家を兼業する武士(専業武士が登場するのは信長の時代から)。その武士は、殿様から戦の声がかかると、郎党小物を従えて参集した。
たいていの場合、戦で最初の合戦は、この小物達の石投げから始まったのが日本の戦だったといいます。
もうすこし詳しくいうと、最初、双方の軍が対峙すると、どちらかの軍から、いわゆる腕自慢の武士が「やあやあ我こそは、なんとか郡の生まれ、なんのたろべいと申すもの。腕に自慢のある者、お出会えそうらえ!」とやる。
それで相手の陣から、やはり腕自慢の武士が登場、二人が激しく戦い合う。
実はこれ、現代で言ったら、K-1の試合みたいなもので、東西の名うての武士が、合戦に集った多くの観客の前で腕を競って戦い合う。
これが楽しみで戦に参加する人たちも多かったのだとか。
そして期がみつると、熱くなった観衆(兵士たち)が、相手の陣地に石を投げ始める。これが開戦。
矢なんて使いませんよ。もったいなくて(笑)
こうした民族性は、大東亜戦争時代でもまったく同じで、とにかく弾薬を惜しむ、惜しむ。
うちのじいさんから聞きましたが、とにかく、弾薬の数には上官はめちゃくちゃうるさくて、戦のあとに、弾があと何発残っているか勘定させられるし、次の戦では、弾はひとり何発までしか打っちゃいかんと、お達しがある。
弾の都合で味方の命を犠牲にさせられるんだからと、じいちゃんは笑っていました。
軍に対する批判じゃありません。それくらい日本軍はモノを大切にしたということです。
強姦についても、そんなことしたら軍法会議ものだし、そんなことでもし刑務所にでも送られたら、刑務所の中で強姦犯は、いちばん卑しまれる、いじめられる、殴られる。なによりお国に帰って、親戚や地元の人たちに合わせる顔がなくなる。
そうは言っても、日本ではいまでも、女子高生コンクリート詰め殺人事件とか、英国女性監禁殺害事件とか、幼女への性的暴行事件が起こっているじゃないかという声も聞こえてきそうですが、ググったらすぐに出てきますが、犯人はいずれも、在日半島人。通名の日本名で報道されているので、多くの日本人は、犯人は日本人と思っていますが、なんのことはない、ことごとく在日外国人です。
その構造は昔も今も全然変わっていなくて、日本軍の虎の威を借りて、自国民に対して暴虐の限りを尽くした韓国人の所業が、ことごとく日本人がやった残虐行為として、韓国歴史館に等身大人形で展示されている。
アメリカに行くと、リトルトーキョーとか、キョウト・シティとかいう売春宿があるけれど、そこのオーナーも、働いている売春婦も、ことごとく中国系、韓国系東南アジア人。
日本が「誇り~伝えよう日本のあゆみ」なんて映画を作ると、中韓から猛烈な抗議がくる。
日本の国会でもどこの国の政党かわからない野党から、政府に対して「こんなものを野放しにするのか」と猛烈な追及がある。
中国は日本との報道協定で、中国に不利益な報道をしたメディアは、中国国内での活動を禁止させられることになっている。
さらに中国共産党のナンバー5の広告宣伝相が来日して、日本の大手メディア14社の社長を呼びつけ、中国に都合の良い報道を依頼。日本のメディアの社長たちは、大喜びでこれにひれ伏した。
今日のこの項、何をいいたいのかというと、
嘘を放置することは、その嘘に加担することと同じだ
ということです。
そして放置しておいたら、嘘の嘘が重なり、冒頭に記したインカ帝国のように、日本は滅ぼされ、先祖代々築き上げた平和、相手を徹底的に追い込まなず、常に共存共栄をはかるという、世界に誇るべき素晴らしき日本の文化が、この世から抹消されてしまうということです。
それは私たち日本人のひとりひとりが、そして私たちの子や孫が、この世から抹殺されてしまうということでもあるのです。
悪は、断じて許さない。
その心が大切なのではないかと、ねずきちは思います。
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