*****************
8月以降の倭塾の開催日時です。
第123回 倭塾 9/07(日)時間 13:00〜16:30 富岡八幡宮 婚儀殿2F
第124回 倭塾 10/11(土)時間 13:00〜16:30 富岡八幡宮 婚儀殿2F
11月以降は、再び「タワーホール船堀」会場になります。
*****************
| 武士は、なぜ戦うためではなく、平和を守るために命をかけたのでしょうか。 1864年、京都御所の門前で、矢が飛び、銃弾が降り注ぎ、武士たちは次々と倒れていきました。 しかしそれは征服のための死ではなく、静かな覚悟を守り抜くためのものでした。 「禁門の変」は、ただの歴史事件ではありません。それは、武士道の魂が私たちに問いかけてくる、鏡のような物語なのです。 |
-{^∀^}--{^∀^}--{^∀^}--{^∀^}-
◆◆メンバー募集中◆◆
『倭塾LINE』 無料で参加できる倭塾の気楽なコミュニティ。
『倭塾サロン』 安全安心の学びの場
-{^∀^}--{^∀^}--{^∀^}--{^∀^}-


人気ブログランキング
応援クリックは←こちらから。いつもありがとうございます。
学びを楽しく
1864年7月19日、京都の蛤御門付近で「禁門の変」と呼ばれる武力衝突が発生しました。
これは明治維新へと続く激動の時代の一幕であり、日本が内紛と政治的転換のただ中にあった時期の出来事でした。
江戸時代において、「変(へん)」とは、通常の警察力では対応できない重大事態であり、軍の出動を要する事件を指しました。これに対し、警察で対応可能なものは「騒動(そうどう)」と呼ばれ、厳格に区別されていたのです。
しかしこの禁門の変は、単なる戦いではありませんでした。
それは、何百年にもわたり培われてきた、日本独自の秩序と精神文化の深層を浮かび上がらせる出来事でもあったのです。
◆ 平和を守り続けた武士たち
特筆すべきは、この事件が大坂夏の陣(1615年)以来、実に249年ぶりに近畿地方で起きた武力衝突だったという点です。
この長きにわたる平穏は、日本の武士たちが、剣を抜かずに治安を保ち続けてきたことの証でもあります。
戦乱の世を経て、武士たちの内には「剣を振るわずして世を治める」という理想が深く根づいていたのです。
◆ 皇居を護るという最高の名誉
「禁門」とは、京都御所──すなわち天皇のお住まい──を取り囲む門々を指します。
江戸時代には、これらの門を各藩の武士たちが交代で警備しており、そのための費用はすべて各藩の自腹。幕府や朝廷からの支援は一切ありませんでした。
にもかかわらず、禁門の警備を仰せつかることは、藩にとっても武士にとっても、比類なき名誉とされていたのです。
この慣習は、武士階級が成立する以前から存在しており、古代においては庶民が自発的に御所を清掃し、守っていたという二千年の伝統に根ざしています。
なぜ、これほどまでに崇高な役目とされたのでしょうか。
それは、天皇が民を「おほみたから(大御宝)」と見なしていたからです。
「しらす国」という古代の統治思想において、天皇は権力者の上位に立ち、民は国家のもっとも尊い財(たから)であるとされてきました。
権力とは民を守るために存在するのであり、民こそが守られるべき存在。
そのような価値観が、古代から日本社会に深く根づいていたのです。
ゆえに、天皇の御所を守ることは単なる任務ではなく、社会の根幹を支える神聖な責務でした。
武士たちにとって、それはまさに究極の奉仕でもあったのです。
◆ 不動の立ち姿と、侵された静けさ
禁門の変の際、蛤御門の警護を担当していたのは、徳川幕府に忠義を尽くす会津藩と桑名藩の武士たちでした。
これに対し攻撃を仕掛けたのは、長州藩の兵士たちです。
かつて自らも同じ名誉を担っていた長州は、政争によりその役目を免ぜられ、深い屈辱と無念を抱いていたのです。
こうして起きたのは、まさに「名誉と名誉の衝突」でした。
武士の誇りが、もっとも悲しいかたちでぶつかり合った瞬間でもありました。
門を守る武士たちは、矢が飛び交い、銃弾が降り注いでも、一切姿勢を崩しませんでした。
それは任務であり、先祖代々から受け継がれた誇りでもあったのです。
一人が倒れれば、次の者が立ち、また倒れれば、さらに次が立つ。
現代の感覚からすれば、無意味な犠牲に見えるかもしれません。
しかし彼らにとって、それは武士道そのもの──約束を守り、姿勢を貫き通すことの証でした。
これは戦争を美化するものではありません。
むしろ問うべきは、「なぜ日本人は、ここまでして秩序と平和を守ろうとしたのか」。
その問いの答えこそが、武士道の核心にほかなりません。
◆ 武士道──静かなる覚悟の道
武士道とは、剣を振り回すことではありません。
その真の姿は、己の名誉を守り、仲間の尊厳を護り、そして天皇の「おほみたから(大御宝)」たる民を守り抜くという精神にこそあります。
たとえ理不尽で不条理な状況にあっても、武士は静かに、そして揺るぎない覚悟と規律をもって、己の責任を果たしました。
それが、日本人が生きた武士道の道でした。
歴史を学ぶとは、出来事を並べることではありません。
その背後にある魂の在りようを見つめ、「私はどう生きるべきか」と自らに問いかけることなのです。
禁門の変は、武士たちの誇りと、揺るがぬ平和への誓いを今に伝える、力強い証しです。
そして武士道は、私たちにこう教えてくれているのです──
平和を希求するという誓いには、ただ希望を抱くだけではなく、静かな覚悟をもって立ち続ける勇気が必要なのだ、と。
お読みいただき、ありがとうございました。
学びを楽しく
-{^∀^}--{^∀^}--{^∀^}--{^∀^}-
◆◆メンバー募集中◆◆
『倭塾LINE』 無料で参加できる倭塾の気楽なコミュニティ。
『倭塾サロン』 安全安心の学びの場
-{^∀^}--{^∀^}--{^∀^}--{^∀^}-
◆倭塾ホームページ https://hjrc.jp/
◆倭塾サロン https://salon.hjrc.jp/
◆YOUTUBE倭塾 https://www.youtube.com/@nippon-kibou
◆YOUTUBE日心会公式チャンネル https://www.youtube.com/@user-kz8dn8xp9w

人気ブログランキング
↑ ↑
いつも応援クリックありがとうございます。
講演のご依頼、動画、記事の有償活用の際はメールでご連絡ください。
nezu3344@gmail.com
*****************
8月以降の倭塾の開催日時です。
第123回 倭塾 9/07(日)時間 13:00〜16:30 富岡八幡宮 婚儀殿2F
第124回 倭塾 10/11(土)時間 13:00〜16:30 富岡八幡宮 婚儀殿2F
11月以降は、再び「タワーホール船堀」会場になります。
*****************
出版書籍一覧(新しい順)
27 縄文の神様ー日本人のルーツは 古代から伝わる神話にある
26 日本をつくったのは誰か
25 ねずさんが描く女性の日本史
24 希望ある日本の再生
23 縄文文明の謎を解く
22 家康の築いた江戸社会
21 ねずさんの今こそ知っておくべき徳川家康
20 奇蹟の日本史
19 後世へ語り継ぎたい 美しく猛き昭和の軍人たち
18 日本武人史
17 縄文文明
16 子供たちに伝えたい 美しき日本人たち
15 金融経済の裏側
14 庶民の日本史
13 日本建国史
12 ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密
11 [復刻版]初等科国語 [高学年版]
10 ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀
9 ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集
8 誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国
7 ねずさんと語る古事記・参
6 ねずさんと語る古事記・弐
5 ねずさんと語る古事記
4 ねずさんの日本の心で読み解く百人一首
3 ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人! 第三巻
2 ねずさんの 昔も今も すごいぞ日本人! 第二巻
1 ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!

