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第115回倭塾 2024年12月7日(土)16:30-20:30 タワーホール船堀2F蓬莱
12月の倭塾は「知っておきたい神武東征」をテーマに、日本建国の壮大な物語を紐解きます!英国のアーサー王伝説のように語り継がれる建国の歴史が、日本ではなぜ共有されていないのか?その背景を探りながら、現代日本人の精神の基盤に迫ります。歴史を知ることで、日本人としての誇りと未来への希望が見えてくるはずです。今回は【タワーホール船堀】にて【16時開始】で開催!日本のルーツを一緒に探求しましょう。ご来場をお待ちしています!
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1941年12月10日のマレー沖海戦では、日本海軍が少数の航空機で英国の最強戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」を撃沈し、世界の海戦史を変えました。特筆すべきは、稼働中の戦艦を撃沈するという戦術的成功と、日本軍が示した武士道精神です。乗員避難の猶予や敵指揮官への敬意を表す行動は、戦争の中で人間性を示しました。この海戦は、戦術の変革と日本の精神文化の象徴として、今も語り継がれています。

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20211210 マレー沖海戦
画像出所=https://twitter.com/hwtnv/status/939618502641463296
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12月10日は、マレー半島東方沖で、日本海軍の航空部隊(一式陸攻、九六式陸攻)と、大英帝国東洋艦隊の間で海戦が行われました。
これを「マレー沖海戦」と言います。
この海戦は、いまでも「世界の海戦を一変させた重要な戦い」として、世界中の軍において必ず詳細が教えられている戦いです。
大東亜戦争開戦の2日後のことです。
この海戦で、日本は英国海軍が世界に誇る、当時の技術における世界最強戦艦を撃沈しました。
航空機で戦艦を沈めたという先例なら、タラント空襲、真珠湾空襲などもあります。
しかしそれらは、「停泊中の戦艦」を「航空機で叩いた」というものです。
この当時、停泊してエンジン機関を停止している戦艦は、主要な武器が使えなかったのです。
人に例えれば、寝込みを襲われるようなものです。
ところが作戦行動中の戦艦というのは、全身鋼鉄要塞であり、対空防衛力、対潜防御力、攻撃力いずれをとっても、蚊蜻蛉(かとんぼ=航空機の蔑称)くらいで倒せるようなシロモノではないというのが、大戦開戦当時の世界の常識だったのです。
なかでも当時マレーに配備されていた英国戦艦プリンス・オブ・ウェールズは、14インチ(35.56cm)砲を10門装備、さらにポムポム砲と呼ばれる対空砲を装備していました。
この砲は1分間に6000発もの弾丸を発射するというすさまじい砲です。
英国は2年も前から、ヨーロッパ戦線でドイツ・イタリアの航空機に襲われる経験を積んでいました。
つまり十分な対空戦の経験を積んでいました。
そのうえで英国の誇るこの大戦艦は、当時の技術の世界中のどの戦艦も敵わないし、どんな航空機攻撃をも撃退されると考えられていたのです。
プリンス・オブ・ウェールズは「20世紀最強の暴君」とも呼ぶべき海の最強戦艦であったのです。
英国首相のチャーチルは、日本との開戦を予期し、東洋にある英国領土の植民地利権を守るために、この最強戦艦を旗艦とする艦隊をマレーに派遣しました。
これによって、いつ日本が攻めてきても、鎧袖一触。日本をいつでも打ち払える用意を、日米開戦の前という時点において、既に整えていたのです。
ところが日本は、昭和16年のマレー沖海戦で、限られたごく少数の航空機だけで、この世界最強戦艦に挑み、プリンス・オブ・ウェールズのみならず、それに付属していた巡洋戦艦レパルス、その他駆逐艦4隻で構成する英国G艦隊をまたたく間に沈めてしまいました。
さらに英国乗組員の退避のための十分な時間を与え、乗員の命を永らえ、戦域を逃れて漂流後に沈んだ英国海軍の将兵までも救助しました。
それは、ありえない程の、日本軍の完全勝利であり、まさに日本武士道を体現した勝利だったのです。
そして、稼働中の戦艦が航空機によって沈められたという事例は、今日までの世界のあらゆる海戦の中で、このマレー沖海戦と、終戦間際に圧倒的な航空機をもって戦艦大和が撃沈された坊ノ岬沖海戦(1945年4月7日)、同様に大多数の航空機をもって戦艦武蔵が沈められた捷一号作戦(1944年10月24日)の3例しか、世界の戦史にありません。
そしてこの三つの海戦のうち、あとの二つが昭和20年に、まるで雲霞のように空を覆いつくす航空機で戦艦を叩いたのに対し、日本が行ったマレー沖海戦では、限られたごく少数の航空機だけで、見事に戦艦を沈めた戦いでした。
それだけではありません。
戦艦がいよいよ沈み始めたとき、日本の航空隊は、乗員避難のための猶予を英国側に与えるという紳士的行動をしています。
一方、大和や武蔵が沈んだとき、海上に逃れた抵抗できない日本の海軍乗員は、空からの航空機による銃撃による虐殺が行われました。
プロパガンダは、歴史ではありません。
大鑑巨砲主義だとか、日本軍には知恵がなかったとか、戦後の我々は、いい加減な嘘を垂れ流されてきています。
信じた人も多いことでしょう。
けれど、真実はいつの日か、かならず嘘を駆逐します。
なぜならそれが真実だからです。
ひとつ大切なことがあります。
第二次世界大戦が始まったのは、この海戦の2年前の昭和14年9月のナチスドイツによるポーランド侵攻によります。
そしてナチスドイツは、はじめの2年間でヨーロッパ全域をほぼ掌握し、昭和16年末頃には、英国への空爆を盛んに行っていました。
ロンドンも、ナチスドイツの空襲にさらされていました。
ここで皆様にもお考えいただきたいのです。
このような英国の状況で、どうして英国は、英国の誇る最強戦艦プリンス・オブ・ウェールズを、英国の護りに使わずにマレーに派遣したのでしょうか。
チャーチルが、プリンス・オブ・ウェールズを、英国領インドの東側の防衛ラインであるマレーに派遣したのは事実です。
そして、軍の行動には、必ず意図があります。
当時のヨーロッパは、ヨーロッパ全域がナチスドイツによって征服され、残るは英国ばかりになっていました。
その英国も、国内のいわゆる労働者たちにとっては、政府が英国政府であれ、ナチス・ドイツであれ、英国本土が空爆を受けなくなり、自分たちに働く機会が生まれるなら、英独どちらが勝利しようが関係ないというのが、現実でした。
このことには説明が必要です。
近年ゲイリー・オールドマン主演で映画化された『ウインストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』では、議会が弱腰で、むしろ英国の労働者たちが英国の勝利とドイツへの抵抗を望んでいた・・・つまりチャーチルは英国庶民の支持を得ていた、という描写がされています。
けれど、基本的に民意というのは、どちらも意見もあるものです。
加えて英国は、そもそもが征服王朝であり、もとからいる英国民にとって、英国政府自体が敵だという認識もあります。
さらに、当時の英国は世界大恐慌による不況を引きずっていました。
このことは、ナチス・ドイツが既に他のしていた他のヨーロッパ諸国も同じです。
失業率が5割に達する情況下にあって、政府や貴族たちは、国民生活をかえりみず、贅沢三昧な暮らしをし、国民生活は貧窮のどん底状態となっていました。
このような状況下で、第一次世界大戦の敗戦国で、ヨーロッパ諸国の中でも最大の不況に沈んでいたドイツでは、ヒットラー政権が台頭し、またたくまに高度経済成長を遂げ、ドイツ国内の失業率を、ほぼゼロにまでしてしまったのです。
こうしたニュースは、自国の政府の無能ぶりの糾弾とともに、ヨーロッパ各国の庶民に強い影響を与えます。
ヒットラーという人物は、オーストリア帝国の守衛をしていた父と、住み込み家政婦をしていた母との間に生まれた子で、つまり他のほとんどのヨーロッパの庶民と同じ庶民階層の出身者です。
そしてヨーロッパによける庶民は、王族や貴族とは、もともと民族や言語さえも異なる人々という背景もあります。
他のヨーロッパ諸国の庶民層からみると、第一次世界大戦後にドイツが負わされた巨額の敗戦賠償金負担のうえに、世界恐慌が重なって、ヨーロッパでもっとも貧困が襲っていたはずのドイツに、庶民階層出身のヒットラーが政権を取るやいなや、ドイツ経済がものの見事に復活し、失業者が5割を越えていたドイツに、失業者がいなくなるという、これは「ドエライ出来事」が起きたわけです。
こうした背景のもとに、いまではまったく語られないことですが、自分たちの国もまた自国の王侯貴族ではなく、自分たちと同じ庶民出身のヒットラーに委ねたほうが、自分たちの生活が向上すると考える人々が増え、こうした人達が、むしろ自国政府よりもナチスドイツに加担することで、ドイツは、瞬く間にヨーロッパ全土を掌握するという事態が起きていたのです。
ヨーロッパ諸国のの庶民にとっては、10年以上も続く不況にまるで無策な自国の政府はまるで信頼に値しないし、空襲を招いて自分たちの生活を破壊するような政府は、まるで信用に値しないものであったわけです。
しかも英国はもともとが900年前に生まれた外来政府です。
英国の富裕層は、いわば外来者であり、国内にある少数民族です。
この時点で英国政府がドイツに敗れることは、900年続いた英国の富裕層の富が破壊されることを意味していたし、それは英国庶民の独立のチャンスでもあったという背景もあったのです。
もちろんそれが全部ではありません。
ですが、そうした背景の中にあって、英国の貴族層からすれば、なにがなんでも英国国内における自分たちの権益を守らなければならない。
それをしなければ、900年続いた自分たち貴族の特権そのものが喪失されるということを意味していたのです。
こうした背景の中に、チャーチルがいます。
そしてそんなチャーチルが編み出した起死回生の策が、米国をヨーロッパ戦線に参戦させるというものでした。
ところが米国のルーズベルト大統領は、米国民に「アメリカを絶対に戦争に巻き込みません!」と再三誓って大統領に就任した男です。
米国の参戦がなければ、英国はドイツによって占領され、大英帝国そのものが崩壊します。
では、そんな米国を無理矢理、第二次大戦に参加させるにはどうしたら良いか。
ドイツは、米国の参戦を防ぐために、米国の軍用船や貨物船等に対しては、一切手出しをしていません。
この情況では、米国がヨーロッパ戦線に参戦することは、まずありえません。
ただ、ナチスドイツは、日本と同盟関係にあり、その日本は第二次世界大戦に静観を保っています。
その日本を追い込み、日本に米国を叩かせる。
もしそれを実現させることができれば、日米は開戦の口実が生まれます。
そして日本とドイツは同盟関係を結んでいますから、その瞬間に米国とドイツは戦争状態に突入することになるのです。
そうなれば、英国は米国を手引して、ドイツ軍と戦うことができる。
英国だけでドイツと戦う力はありませんが、これに米国が加わり、ついでにソ連が参戦するなら、ドイツを撃退することができる。
これがチャーチルの置かれた当時の立ち位置になります。
では、具体的に日本に米国を叩かせるにはどうしたら良いか。
答えは単純です。
日本への石油輸出を禁じれば良い。
そのためには、世界最大の産油国である米国に、日本への石油輸出を禁止させれば良い。
そうなると日本は、もとオランダ領のインドネシアの油田を目指すことになります。
すでにこの時点でオランダという国はありません。ドイツの一部になっています。
そしてインドネシアの油田を守っているのは、オランダ軍ではありません。
オランダという国は、すでに失くなっているのです。
つまりインドネシアの油田にいるのは、オランダという国を失った元オランダ軍の兵士たちであり、元オランダ領は、事実上、ドイツの支配下にあります。
日本とドイツは同盟国です。
日本への禁油を実現すれば、日本はドイツの了解のもと、インドネシアの石油を求める行動に出ます。
そして日本がインドネシアから石油を日本に運ぶためには、米国領のフィリピン沖を通らなければなりません。
つまり、日本がインドネシアの石油を得るためには、当然、フィリピンにある米軍を叩くことになる。
すると中立を決め込んでいた米国は、当然に参戦しなければならなくなる。
そして日米が開戦となると、日本と同盟関係にあるナチスドイツとも、米国は戦争状態になる。
米国は、米国本土を護るために、戦線を米国本土にするわけにいきませんから、当然に、ヨーロッパに派兵しなければならないし、ドイツと戦わなければならないことになる。
ナチスドイツからの空爆を受け、いまや国の存続が風前の灯火になった英国にとって、起死回生の一策は、もはやそこにしかない。
けれど、そうなると、英国領であるインドやインドネシアに近いシンガポールも、日本の標的になる。
これを護るためには、英国が誇る最強戦艦のプリンス・オブ・ウェールズをマレー沖に派遣するしかない・・・と、こういう流れなのです。
米国がヨーロッパ戦線に参戦すると、その時点でヨーロッパ全域に戦域を広げて、手一杯状態になっているナチスドイツは、限界ギリギリ手一杯のところに、新たな敵を迎え撃つことになります。
そこに英国の勝機があるのです。
いかにも政治家であるチャーチルらしい、政治的な絵です。
逆に言えば、日本は、そうした策謀によって、禁油制裁という挑発を受けて、やむなく自衛のために戦争を起こしています。
この「挑発を受けて相手にアタックする行為」、つまり戦争を始める行為は、国際法上、侵略戦争とみなされません。
戦争には、
 1 侵略戦争
 2 自衛戦争
 3 制裁戦争
の三つの区別があります。
このうち国際法上「違法な戦争」とされるのは、1の侵略戦争だけです。
2は、攻撃を受けての反撃ですから、これは国家存続のための必要な行為です(これを国家生存権といいます)。
3は、違法な侵略国や、ジェノサイドを行っているような国を、世界の諸国が協調して制裁を科すための戦争であって、これまた国際社会に必要な戦争であって、違法な戦争ではありません。
日本国憲法が禁止しているのも、世界中のあらゆる国が規制しているのも、1の侵略戦争だけです。
2と3は、日本国憲法上も、完全に合法な行為です。
従って、昭和16年の大東亜の開戦も、日本は「挑発を受けて開戦した」のですから、これはマッカーサーも後に認めているように、明らかに「自衛戦争」であって、国際法上も完全に合法的な戦争です。
日本が真珠湾攻撃を行って、大東亜戦争を開始したのが、12月8日です。
ところがマレーには、その前日である12月7日に、英国東洋艦隊が、トーマス・フィリップス海軍大将司令長官の指揮のもとZ部隊を編成して、シンガポールを出航しています。
つまり、完全に、日本側の動きが察知されていたということです。
先の大戦は、日本の「奇襲攻撃によって始まった」とされていますが、実際には日本は、網を張り、待ち構えている中に飛び込まされたのです。
いわば、蜘蛛の巣にひっかかったようなものです。
マレー沖海戦で、日本の輸送船団を警護していたのは、金剛と榛名です。
両艦とも近代化の改装こそ受けていますが、艦齢は27年を越えている老朽船でした。
最近の自動車は、当時と比べてかなり耐久性の面で向上していますが、それでも27年オチの車となると、いい加減、ボロボロです。
兵装や装甲の厚さも、巡洋艦程度の実力しかない船です。
これを、英海軍は、世界最強の戦艦二隻を含む最強艦隊で出迎えたのです。
最新鋭艦の戦艦プリンス・オブ・ウェールズは、当時の英国王ジョージ6世の兄王であるエドワード8世の即位前の名前をいただいた船です。
いかに自信満々の船であったかがわかります。
同行するもうひとつの戦艦レパルスも、建造年月こそウエールズより古いものの、装備はウエールズと同じです。
しかも、それまでにドイツ軍航空機による爆撃を何度も受け、それらを完全に撃退してきているという実践経験の豊富な戦艦です。
普通の常識で考えれば、余程のアホでも、ここまで戦力が違えば、日本の輸送船団は完全壊滅させられると確信できます。
では日本はどうしたかというと、とにかく輸送船団を護衛しなくちゃいけない。
ですからサイゴン(いまのホーチミン)にある航空基地から、航空機(九六式陸攻59機、一式陸攻26機、計85機)を発進させました。
海上の戦力が乏しいのです。
空から補わなくちゃならなかったのです。
そして運良く、英国東洋艦隊を発見します。
各攻撃隊は東洋艦隊主力めがけて殺到しました。
戦いは、熾烈なものでした。
航空機による攻撃を、完全撃退してきた実績を持つレパルスと、それをさらにひとまわりも強化したプリンスオブウエールズが相手です。
しかもボムボム砲が、弾幕で空を覆いつくしています。
この戦いで日本側は、陸上攻撃機未帰還3、帰投時の不時着大破1、偵察機未帰還2、その他30機以上に深刻な被害を受けました。
飛び立った半数が深刻な被害を受けたのです。
どれだけたいへんな戦いだったかわかります。
そしてその大激戦の結果、日本はなんと、戦艦プリンス・オブ・ウェールズと、巡洋戦艦レパルスの両方を撃沈して、沈没させてしまうのです。
この戦いで、ウエールズ撃沈の報告を聞いた英国チャーチル首相は、
「あの艦が!」
と絶句し、
「戦争全体で(その報告以外、)私に直接的な衝撃を与えたことはなかった」
と著書の第二次世界大戦回顧録で語っています。
それだけ、チャーチルにしてみれば、自信満々の日本叩きのための「絶対沈まない船」のはずだったのです。
マレー沖海戦では、まず戦艦レパルズが沈みました。
次いでプリンス・オブ・ウェールズが、大破しました。
プリンス・オブ・ウェールズの艦長のトマス・フィリップス海軍大将は、日本の航空隊に向け、乗員を退艦させるので、30分時間をほしい、と打電しました。
日本の航空隊は、これをのみました。
おかげでウエールズの乗員たちは、巡視船エクスプレスに乗り移ることができたし、レパルスの乗員も捜索する時間が与えられ、エレクトラが571名、ヴァンパイアが、レパルスの艦長と従軍記者を含む225名を救助しています。
その間、日本の攻撃隊は空で待機しました。
英国軍の救助活動の間、いっさいの攻撃行動をしなかったのです。
当時の飛行機は、いまの時代にあるようなハイブリット・タイプでも省エネタイプでもありません。
空で待機していれば、燃料が減り、その減ったところに敵機が、援軍機で攻めて来たら、帰投するガソリンさえもないまま、撃ち落とされなければならなくなるかもしれないというリスクがあります。
それでも日本の航空隊は、待ちました。
こうしてウエールズの乗員が全員退艦したあと、トマス司令官が、ひとりデッキに残りました。
それは、司令官が、艦と運命を共にするための行為であることは明らかです。
デッキの上で、トマス司令官が、操舵に自分の身体を縛り付けている様子は、飛行機からも見て取ることができました。
日本の航空隊は、これに気付くと、上空で全機整列し、一機ずつデッキの前を通過して、トマス艦長に敬礼を行いました。
海の男も、空の男たちも、もうれつに視力が良いのです。
そして両者は、敬礼の交換をしました。
日本機のパイロットが、一機ずつ順に行う敬礼に、トマス艦長もまた敬礼で答えたといいます。
こうしてプリンス・オブ・ウェールズは沈みました。
マレー沖海戦の翌日、一機の日本機が、戦闘のあった海域に再度飛来しました。
何をしにきたのでしょうか。
その機は、海面すれすれまで下降すると、現場海面に花束を投下して去って行きました。
日本軍は、死んで行った英国海軍の軍人たち、そして亡くなられたトマス司令官の敢闘に、弔意を表したのです。
これが日本人です。
これが日本の武士道です。
剣を常に肝に置きながら、琴のやさしい音色もまた同時に常に心に置く。
これを古い言葉で、「剣肝琴心」といいます。
※この記事は2009年6月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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