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職業に貴賤はありません。
職業や身分より、その人物が、人として尊敬できるかどうか、人としての矜持(きょうじ)を失わずに生きているかどうか、そういうことを大切にしてきたのが日本人です。
それが、ひとりひとりの人間を公民(皇民)として扱うという日本古来の伝統・考え方から生まれ育まれた、日本人の美質です。

『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち・松崎慊堂より』画:ふわこういちろう氏
20220408 松崎慊堂
画像出所=『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


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子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』から、松崎慊堂(まつざきこうどう)のお話をご紹介しようと思います。
 ***
『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』より
「職業に貴賎はないとした儒学者 松崎慊堂」
────────────
▼若き儒学者と飯盛り女の出会い
────────────
ドスンと大きな音がしました。続けてガチャンとモノの割れる音。
「てめえ、何しやんでえ」
怒鳴られて見上げれば、そこに五人の、いかにも悪そうな町のならず者がいました。
「おい!酒徳利が割れちまったじゃねえか。
 てめえ、このオトシマエをどうつけてくれるんでえ」
後に松崎慊堂と名乗り、渡辺崋山や高野長英などの江戸時代後期の蘭学者を育てた儒学者が、まだ松五郎と呼ばれ、林塾の塾生だった頃のことです。
松五郎は、熊本の農家の出身で、子供の頃は家が貧しくて寺に預けられていました。
けれど勉強好きな子であったことから、お寺の和尚さんが、この子は学問で身を立てさせようと、十三歳で江戸に送り出してくれたのです。
江戸では浅草の寺の住職に世話になり、寛政二(一七九〇)年に設立されたばかりの、江戸湯島の昌平坂学問所(いまの東大)に入りました。
さらに江戸一番の儒学者である林述斎のもとで学んで、寛政六年には林塾で塾生のトップである塾生領袖になっていました。
要するに、たいへん優秀で、かつ勉強熱心な男だったわけです。
そんな松五郎が、ある日、歩きスマホならぬ歩きながら本を読み、考え事をしながら歩いていたときに、運悪く町のならず者たちにドスンとぶつかってしまったのです。
「ごめんなさい」と松五郎がいくら謝っても、許してくれません。
それどころか、酔ったならず者たちは、
「酒代を出せ!」と大金を迫ってきました。
けれど書生でしかない松五郎は、
「そんな大金はありません」と謝ることしかできません。
ならず者たちは、ますます激昂して脅しをかけてきました。
その様子を、すぐ近くで旅籠の飯盛り女をしていた、おすみという女性がみとがめました。
そしてならず者たちに近づくと、
「あんたたち、よってたかって何やってんのさ」と間に割って入りました。
「なんでえ、おすみかよ。
 すっこんでな。
 それともおめえが酒代を払うとでもいうのかい」
「ああ、いいともさ。
 お幾らなんだい」
「しめて六両でもいただこうか」
おすみさんは、なんと、彼らが要求した金額をその場で全額立て替えて支払いました。
松五郎は恐縮してしまいます。
「必ずお金は返します。
 しかしいまはお金がありません。
 分割にしてください」
ところが話を聞けば、月二分の生活費でやりくりしているといいます。
いまでいったら、月三万円です。
着ているものもみすぼらしいし、そんな少ない生活費から払うというのだから、おすみは同情して、
「分かりました。
 じゃあね、あたいが月二分をあんたに払ってあげるよ。
 それをあたいに届けてちょうだいな」
それからのこと、毎月毎月、おすみから松五郎のもとにお金が届けられました。
頂いているうえに、届けてもらうのは申し訳ないからと、途中からは松五郎が自分でもらいに行きました。
月日がたったある月のこと。
今月に限って松五郎が現れません。
松五郎の住む長屋に行っても不在です。
それっきり松五郎から音沙汰がなくなりました。
おすみは、周りの女性たちから、
「バカねえ。
 あんた、
 騙されたのよ」
と言われてしまいます。
言われてみれば松五郎は日本を代表する私塾の塾生です。
おすみは宿場の飯盛り女です。
飯盛り女というのは要するに、私的売春婦です。
あまりにも身分が違う。
それから数ヶ月が経ちました。
ある日、おすみが住む宿屋に、立派な身なりをしたお侍さんが、大きな駕籠に乗ってやって来ました。
そして宿屋の主人に、
「おすみさんはいますか?」とたずねました。
呼ばれて奥から出てきたおすみは驚きました。
あのみすぼらしかった松五郎が、見違えるような立派な姿で、そこに立っているではありませんか。
松五郎は、懐から六両のお金を出しました。
「いままでお世話になりました。
 これはお借りしたお金です」
そう言って、おすみにお金を渡しました。
「ようやく塾を卒業し、
 掛川藩に教授として召し抱えになりました。
 これから掛川に向かいます。
 いままで本当にお世話になりました。
 ありがとうございました」
そしておすみに、こう言いました。
「あなたさえよければ、
 私の妻になってください」
その後、二人はめでたく祝言をあげました。
まるで、リチャード・ギアが主演したハリウッド映画『愛と青春の旅立ち』のようなストーリーですが、こちらは実話です。
大事なことが二つあります。
ひとつは、掛川藩にお抱えになったばかりの松五郎が、売春婦であるおすみを妻に迎えているという点です。
もし日本人が、売春婦を卑しい職業と考えていたのなら、松五郎がおすみを妻にすることはありえません。
これから藩の若侍たちに学問を教える人物が、卑しい職業の女性を嫁にするなど許されることではないからです。
ところが掛川藩は、松五郎の妻のことを全く問題にしていません。
それどころか藩の重要な任務となった朝鮮通信使の通訳兼交渉役にさえ、松五郎を抜擢しています。
つまり職業による差別意識を、昔の日本人は持っていなかったということです。
そしてもうひとつの大事なことは、おすみが宿屋の売春婦でありながら、松五郎に仕送りしたり、ならず者にからまれてカツアゲされたときに、そのお金を代払いしている点です。
よく戦後の時代劇などで、売春婦たちが子供の頃に女衒によって連れてこられ、売春宿の主人に借金漬けにされて、年季があけるまで無理やり働かされたという設定がなされています。
要するに、これが噓だということです。
女衒に買われてきたのは事実です。
もちろん仕事ですから、つらいこともあったでしょう。
けれど真面目に勤め上げれば、彼女たちは経済的には実に豊かになれたのです。
当時の売春婦というのは、十七歳から二十二歳くらいまでしか働かせてもらえません。
それ以降は、それまでに貯めたお金で、自分で小さなお店を開いたりしました。
売春婦たちには、それくらいの稼ぎと経済的余裕があったのです。
幼い頃から雇い入れ、申し訳ないけれど商売に使わせていただく。
その代わりに、彼女たちが一生食うに困らないだけの貯えと、教養と技能を、しっかりと身につけさせてきたのが、日本の風俗の伝統です。
なぜなら、商売以上に、人を大事にしたのです。
それが、私たちの日本の伝統であり、それができたのは、権力者の上位に、天皇というありがたい存在がいるため、権力者は天皇の民である私たち民衆を私物化することができないという国のカタチ(構造)があったからです。
後に松五郎は、松崎慊堂と改名し、日本を代表する学者になりました。
当時は、学者は大勢の塾生を家に住み込みませて、学問を授けました。
そんな若い書生たちを、おすみはよく面倒をみました。
松崎慊堂の弟子に、渡辺崋山や高野長英など、江戸後期の名だたる学者たちがいます。
そんな彼らから、おすみは母のように慕われながらこの世を去っています。
職業に貴賤はありません。
職業や身分より、その人物が、人として尊敬できるかどうか、人としての矜持(きょうじ)を失わずに生きているかどうか、そういうことを大切にしてきたのが日本人です。
それが、ひとりひとりの人間を公民(皇民)として扱うという日本古来の伝統・考え方から生まれ育まれた、日本人の美質です。
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