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我が国の歴史や、我が国のあり方を、歴史の浅い他の国と比肩したり、他の国を理想化したり、むやみに他国の文化ばかりを尊敬したりしても、それは詮無(せんな)きことです。
むしろ、長い歳月営まれてきた日本的な形を学び、身に付けていくところに、明日への希望があります。
なぜなら日本こそ、人類が生んだ至宝を実現できた唯一の国であったからです。
このことはITがいくら進んだとしても、決して代わることがありません。
なぜならコンピューターはいくら発達しても責任を取ることができないからです。

20201005 利己主義
画像出所=https://www.irasutoya.com/2017/06/blog-post_4.html
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。
よく履き違えられていることに、個人主義と国家主義という言葉があります。
個人主義は、いうまでもなく個人を中心に生きていこうという考え方です。
国家主義は、国家意思を第一にする考え方です。
そして実はこの両者は等しいものです。
どういうことかというと、人間の体と同じです。
人の体は、およそ36兆個の細胞でできているといわれています。
そのひとつひとつの細胞の健康と、その個々の細胞の集合体である人体全体の健康は、相等しいものです。
いくらひとつの細胞が元気でも、人体が死ねば終わりですし、人体が元気であっても細胞が癌化すればやはり寿命は縮みます。
国家とは、個人の集合体なのですから、どちらが大事というものではなく、どちらもが大切なものなのです。
至極、当然のことと思います。
ところが近年の日本や米国では、個人主義を「利己主義」と履き違えている人が増えているといわれています。
利己主義というのは、自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方です。
個人が利己主義であり、国家の権力者もまた利己主義、そして国家が利己主義であれば、個人も国家も共倒れになります。
そしてこのとき、多くの罪なき国民が犠牲になることは、近現代の歴史が見事に証明しています。
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米国の大統領選は、テレビCMの戦いであると言われています。
そしてそのCMは、互いのネガティブ・キャンペーンに終始します。
ネガティブ・キャンペーンとカタカナ英語にしたら、いっけんかっこいいかもしれませんが、中身はただの、ののしりあいです。
一国の、しかも米国という世界にものすごく大きな影響力を持った国の大統領選が、次元の低いののしりあいだということは、世界の指導者は、単にののしりあいに勝利した者、もっというなら、ののしりかたが上手な人だということになります。
そういうことで、一国の大統領を決めるというのは、あまりにもかなしすぎるように思います。
なぜ米国の大統領選が、そうしたののしりあいになるのでしょうか。
その理由のひとつが、米国自体が「覇権国家」だからです。
覇権国家では、権力は常に権力の拡大を求めます。
これは国家最高権力者の意思の如何を問わず、国の成り立ちが覇権を求めるからです。
そして覇権を得るためになら、何だってする。
そのために多くの人命が犠牲になろうが、ののしりあいが国是となろうが関係ないのです。
筋力の増加を求める人が、ひたすら筋力の増加を図っていくと、その筋力に骨が耐えられなくなって筋力性の骨折を起こすのだそうです(そこまでの筋力になるためには、猛烈な特訓が必要ですが)。
また、筋力がありすぎて、自立呼吸ができなるなる人もあるのだとか。
時間をかけて筋力とともに骨の強化も図る、つまり全体をバランス良く成長させることで、そうした問題は起こらなくなるのだそうですが、いたずらに短期間での覇権ばかりを求めれば、最後は自滅してしまうわけです。
その意味で我が国には、もともと○○主義というものはありません。
ときに皇道主義などという言葉が用いられることもありますが、我が国は〇〇主義などという言葉が生まれるはるか以前からあった国であり、あくまでも民の幸せこそが国の幸せであるとし、その頂点にある天皇(すめらみこと)は、民の安寧を神に祈る御存在であり、国家最高権威です。
そこにあるのは、祈りです。
祈りとは、人々の幸せへの祈りであり、健康への祈りであり、豊かさへの祈りであり、安全への祈りであり、安心のための祈りです。
ですから我が国の歴史や、我が国のあり方を、歴史の浅い他の国と比肩したり、他の国を理想化したり、むやみに他国の文化ばかりを尊敬したりしても、それは詮無(せんな)きことです。
むしろ、長い歳月営まれてきた日本的な形を学び、身に付けていくところに、明日への希望があります。
なぜなら日本こそ、人類が生んだ至宝を実現できた唯一の国であったからです。
このことはITがいくら進んだとしても、決して代わることがありません。
なぜならコンピューターはいくら発達しても責任を取ることができないからです。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。

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