陛下の御製やお言葉は、神々からのメッセージです。
神々からの願いというのは、軽々しいものではない。
このことは、日本人であるならば、必ず肝に銘じておくべきことであると思います。

20200924 松に雪
画像出所=http://www10.plala.or.jp/anzu-nouen/achikochi_01/yukigeshiki_01/matsuniyuki_01.htm
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小名木善行です。
先日、ある先生から、昭和天皇の昭和21年の年頭の御製につていご質問をいただきました。
質問は、
 ふりつもる深雪にたへて色かへぬ
 松ぞををしき人もかくあれ
という御製が、命令なのか、願いなのかというものです。
とても重要なご指摘と思いましたので、みなさまにも是非お伝えしたいと思います。
陛下の御製というものは、前年に陛下が詠まれた御製のうち、新しい年の年頭にふさわしいと思われるものを5首、新年の賀歌として、毎年発表されるものです。
これはいまも昔も同じです。
ですからこの御製も、昭和20年の焼け野原となった日本において、昭和天皇がどこかで、焼け野原で踏ん張りぬく松の木をご高覧あそばされて詠まれた御製でもあろうかと御拝察いたします。
ご指摘の「命令なのか、願いなのか」というのは、この御製の末尾にある「人もかくあれ」が問題となっています。
古語で「〜あれ」というのは、一般には「かくありなさい」といった、いわば命令のような形で用いられる語です。
従って、普通の一般人が「人もかくあれ」と詠んだならば、それは「人もまたそのようにありなさい」とか、「人もまたそのようにあるべきだ」といった命令になります。
ただし、天皇の御製の場合は、これとは意味が異なります。
なぜなら天皇は、神官のなかの大神官であらせられるからです。
神官というのは、人の身であって、神々にもっとも近いところにおわす存在です。
なかでも大神官となれば、人々を代表して神々と接し、あるいは神々のご意向を人々に伝える重要な役割を担います。
従って天皇のお言葉は、すべて「祈りの言葉」であり、「願いの言葉」となります。
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したがって、この場合の「人もかくあれ」は、「命令」ではなく、神々への「願い」であり、神々からの人々への「願い」という意味になります。
ですからこの御製は、
 松ぞををしき  松も雄々しい
 人もかくあれ  人もかくあってほしい
という、願いを込められた御製と拝することになります。
ちなみにここにある「ををしき」は、現代用語では「雄々しい」と書き、どちらかというと勇壮な響きを持った用語としてのみ用いられますが、もともとは「意富(をを)しい」と書きました。
「意富しい」とは、読んで字の如くで、意思を富ませるという意味です。
従って「松ぞ意富しき」となれば、松こそが、あるいは松の木でさえも、意を富まして(強くして)立派に立っている、といった意味となります。
ただ勇壮だと言っているのではないのです。
そこに強い意思があるということが語感に含まれることになります。
陛下のお言葉のことを玉音(ぎょくおん)と言います。
そして陛下が、全国民に向けてその玉音を発せられたのは、我が国の歴史を通じて、昭和20年の終戦時の玉音放送と、平成天皇の東日本大震災の際のビデオメッセージと、譲位を希望されたときのメッセージの3回しかありません。
終戦時のご詔勅であれば、その末尾は「爾臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ」となっていますが、ここでいう「せよ」という用語も、一般人である我々が用いれば、それは命令になります。
けれど天皇の詔(みことのり)の場合は、それは命令ではなく、「願い」や「祈り」となります。
そして「願い」であれば、それは神々から民衆に与えられた「神々の願い」であるし、
「祈り」なら、我々民衆を代弁されて行われる「神々への祈り」を意味します。
文意は「爾臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ」ですから、「朕が意を」とありますけれど、これは神々が民衆に向けて発せられた「神々からの民衆に向けられた願いである」という意味になります。
ということは、これは神の御意思である、ということです。
上に述べた御製であれば、人々が意を強くしてこれからの復興にあたることこそが神々の御意思です。
終戦のご詔勅なら、
「確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ)
 任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ
 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ
 道義ヲ篤(あつ)クシ
 志操ヲ鞏(かた)クシ
 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ
 世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコト」
これが神々の御意思である、ということです。
保守の方の中にも、簡単に「日本がなくなってしまう」といったことを口にされる方がおいでになります。
もちろんその言葉の意味は、「そうならないために頑張ろう!」という意思の発露であるわけですが、神々の御意思はもっと強くて、「神州の不滅を確かなものとして信じなさい」というものです。
日本はそうそう簡単になるなるような、ヤワな国ではないのです。
また「任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ」というのは、言葉を変えていえば、「そうそう簡単にできることではないけれど」ということです。
それでも「総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ」るのです。
そのために「道義を篤(あつ)くして、志操を鞏(かた)くして、誓って国体の精華を発揚して、世界の進運(しんうん)に後(おく)れないようにしてほしい」というのが、神々の願いである、ということです。
そして神々からの願いというのは、神々からのメッセージである、ということです。
さからうのも、メッセージの通りに行動するのも自由ですが、ただひとつ、神々からの願いというのは、軽々しいものではない。
このことは、日本人であるならば、肝に銘じておくべきことであると思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。

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