| いまから400年も昔の戦国時代。 現代日本人の感覚としては、戦国時代というのは、有史以来最も国が荒れた時代です。 けれどそんな時代にあってなお、若い女性がこれだけ高い教養を持ち、そして男も女も純粋に、必死で生きていた。そうすることができた。 それが日本です。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。
先月(8月)は、どうしても毎年、同じ話の繰り返しになります。
伝えたいお話があまりに多いので、何年かおきにして再掲しているのですが、ただ毎年、所感の部分は切り口を変えてお伝えするようにしています。
なぜなら、単に歴史の事実を知るということ以上に、その事実をどのように現在に活かしていくかが大切なことだと思うからです。
今回のお話も、昨年の今日、掲載したお話です。
同じ話の繰り返しになりますが、繰り返すのは、それが大切な歴史であり、あらためて日本人の常識にしていかなければならないお話だと思うからです。
この物語は、昭和13年に大阪府学務部が刊行した『女子鑑(じょしかがみ)』という本に掲載されたお話です。
昔は文部省にせよ、各都道府県の学務部にせよ、こうした実のある本を出していたのです。
近年、文科省あたりが、どうにも程度の低い本(教科書を含む)しか出せず、まともに書かれた教科書を蹴るなど、およそまっとうな教育官庁とは思えないような振る舞いが目立つと思ったら、なんとどこぞの国のスパイ工作員が、堂々と係官になっていた!!
このような馬鹿げた事態が現実にありながら、それを自浄できないのは、戦後の日本に大きな歪みがあるからです。
何が間違いかもわからないまま、法律に書いてなければ何をやっても良いなどと考える。
基幹となる道徳的精神性を失えば、共同体は成立しません。
国家はその共同体の最も大きな単位ですが、日本人としての道徳的精神性を失えば、日本という国自体が成立しなくなります。
そして日本という国自体がなくなれば、日本に住む日本人は、あらゆる医療から年金、警察、消防、教育など、様々な行政サービスを失うのみならず、ライフラインとしての水も空気も電力も失うことになるであろうことは、少し考えたら誰にでもわかることです。
ところがそういうことを考えようとしない、つまり思考停止に陥ってしまっているのは、日本人が真に大切なことを見失っているからといえます。
ちなみにトップの画像、勝頼と妻の肖像ですが、妻が立膝をしています。
けれどよく見ていただければ、その妻がハカマを付けていることにお気づきいただけようかと思います。
女性と立膝の関係については、拙ブログの『女性の立て膝座りはあったのか』に詳しく書いていますので、そちらをご参照ください。
さて、日本人としての道徳的精神性のことを、国民精神と言います。
英語だと国民精神に最も近い言葉がアイデンティティ(Identity)です。
日本人が日本人としての国民精神を復活するために、こうした活動を行っていますが、だいたい12年前に書いたこと(たとえばシラスとか)が、いまではかなり浸透してほぼ常識化し、6年前に書いたことが、昨今には新知識としていろいろな人が紹介してくれています。
ねずブロは、特定のラウド・マイノリティ(声高な少数者)からかなり敵視され(笑)、ねずブロの記事をyahooやgoogleの検索エンジンで検索すると、記事をコピペしたサイトがずっと上位になり、ねずブロは数ページめくらないと出てこないようになっています。
要するにねずブロが検索エンジンでひっかかりにくくなっているわけで、そこまでして敵視いただけるとは、まさに光栄の至りです(笑)
そのような操作をしたとしても、正しいこと、感動できること、心の琴線に触れることは、必ず伝わるし広がっていきます。
正しい心が広がれば、必ず日本は変わります。
政治問題は気になることですが、関心の輪よりも、影響の輪に集中したほうが、必ず結果を出すことができるとは、現代の常識です。
多くの日本人が日本の国柄に目覚めれば、日本は必ず変わる。
あたりまえのことです。
今回ご紹介するお話もまた、きっと何かを感じていただけるものと思います。
原文は文語体ですので、いつものねず式で現代語訳してみたいと思います。
****
【武田勝頼の妻】
『女子鑑(じょしかがみ)』大阪府学務部・昭和13年刊
武田勝頼の妻は、北条氏康の6女で北条夫人と呼ばれますが、名は不明です。
天正10年3月、織田信長が大軍で武田氏に攻め込みました。
武田の旧臣たちが勝頼に背いたので、勝頼は百騎ばかりで城から落ちのびました。
夫人もようやく荷付馬(につけうま)に乗って、侍女らはみんなワラジを穿(は)いての逃避行でした。
城には敵が攻め入り、火煙が天をおおっていました。
勝頼たち一行は、天目山に遁(のが)れました。
けれどそこにも、秋山摂津守が叛(そむ)いて火砲を発して襲ってきたので、鶴背のほとりに田野というところに隠れました。
敵兵が潮(うしお)のように湧き出て攻めてきました。
勝頼は夫人に告げました。
「武田の運命は
今日を限りとなりました。
おまえは伴(とも)をつけて、
小田原の実家に送り届けよう。
年来のおまえの情(なさ)けには、
深く感謝している。
甲府からどんな便りがあったとしても
おまえは小田原で心安く過ごしなさい」
すると夫人が答えました。
「おかしなことを聞くものです。
たまたまおなじ木陰(こかげ)に宿ことさえ
他生の縁と申すではありません。
わけても7年、
あなたと夫婦の契(ちぎり)を結び
いまこうして危機に遭ったからといって
早々に離別されて小田原へ帰るならば、
妾(わらわ)の名がけがれましょう。
ただ夫婦は、死生をおなじうすべし」
そして夫人は老女を振り返り、
「この年月は、
子ができないことばかり嘆(なげ)いて
神仏に祈っていましたが、
いまはむしろ良かったのかもと思えます。
たとえ子がなくても
小田原は跡(あと)弔(とむら)い給うべし
(小田原はきっと弔ってくださることでしょう)」
こうして故郷へ手紙をつかわし給う。
「女の身なればとて、
北条早雲、北条氏康より
代々弓矢の家に生まれ、
ふがいなき死をせしといわれんも恥ずかし。
妾はここにて自害せりと申せ」
手紙の上巻に髪の毛を切り巻き添えて
黒髪の みだれたる世を はてしなき
おもひに契(ちぎ)る 露(つゆ)の玉の緒
と詠ぜられました。
そして敵軍、乱れ入り、一族郎党ことごとく討たれていくとき、夫人は声高く念仏を唱えて自害ししました。
老女もともに殉死しました。
勝頼も自害して、武田の一門はこうして滅亡しました。
****
「跡弔い給うべし」という言葉は、お能の「敦盛」のなかに登場する言葉で、次のように展開されます。
討たれて失(う)せし身の因果
めぐり逢ふ敵(てき) 討(う)たんとするに
仇(あだ)をば恩に 法事の念仏 弔(とむら)はば
終(つい)には共に 生まるべき
同じは蓮(はす)の 蓮生法師
そは敵にては なかりけり
跡弔(あととむら)ひて 賜(たま)び給(たま)へ
跡弔(あととむら)ひて 賜(たま)び給(たま)へ
現代語にすると次のようになります。
戦いに敗れて討たれて失われる、我が身の因果
めぐりあう敵は、愛の逢瀬のようなもの。
その敵を討った仇さえご恩のひとつと
感謝の念仏を唱えるならば、
次の世では互いに仲良く生まれ変わることもできるだろう。
互いに同じ蓮の根につながる魂ならば
敵も味方もありません。
どうか、あとの弔(とむら)いを頼みますね。
どうか、あとの弔(とむら)いを頼みますね。
「めぐり逢ふ敵」に、男女の逢瀬を意味する「逢ふ」という字が使われているので、
「めぐりあう敵は、愛の逢瀬のようなもの」と訳させていただきましたが、語感としては、これが最も正しい訳であろうと思います。
たとえ自分の命を失うことがあっても、そこに愛を見出す。
これこそが日本的な価値観といえるのではないでしょうか。
わが国の某トップの大学の国文学の教授によると、日本文化は「恨みの文化であって、千年経っても恨みを忘れない」文化なのだそうです。
昔から、学者というのは勉強しすぎてアホになると言いますが、ほんとうかもしれない(笑)。
もっともその教授が、もとからの日本人かどうかまではわかりませんが。
昔から、位の高い魂は、時間軸を超えるといいます。
我々が肉体を持って生きている三次元の世界では、時間軸は過去から未来へと一直線にしか流れませんが、もっと高次元においては、過去現在未来は、環(たまき)のようにつながっているのだそうです。
これはたとえてみれば、A4版の紙のようなものです。
紙を水平にして真横からみれば、それはただの直線です。
けれど我々はその直線を、紙をまるめることで、自在につなげることができます。
さらに紙を上から見れば、その紙の上に、無限に線を引くことができます。
これが次元の違いです。
死ぬと魂が肉体から離れ去ります。これを「逝去」といいます。
「逝」という字は、折れて進む(辶)です。つくりの「折」はバラバラになることを意味します。
肉体と魂がバラバラに離れるから「逝」です。そして魂が去っていくから「逝去」です。
魂が行く世界は、時間に縛られた低次元の世界から、時空を超越した高次元の神々の世界まで様々です。
ですから位の高い神様は、上古の昔も、今も、未来にも存在します。
勝頼の妻の辞世の歌は、そういう理解の上に成り立っています。
黒髪の みだれたる世を はてしなき
おもひに契(ちぎ)る 露(つゆ)の玉の緒
「玉の緒」というのは、魂の緒のことです。
魂は紐で肉体とつながっていると考えられていましたから、玉の緒が離れることは、死を意味します。
露と消える玉の緒であっても、ひとつの思いは消えることはない。
その消えない思いというのが、夫である勝頼と、今生では乱れた黒髪のような乱世を生きることに成ってしまったけれど、きっと來世、平和な時代に生まれて、一緒に仲良く、長く一緒に暮らしましょうね。
というのが、この歌の意味です。
そして「黒髪の乱れる」は、和泉式部の歌から本歌取り。
失っても失っても、それでも一途に愛する想いを大切にするところで使われる語です。
「玉の緒」は式子内親王の歌から本歌取りしています。
たとえ露と消えて死んでしまっても、大切なものを護り通して行きたいという想いが込められた語です。
このとき勝頼の妻、わずか19歳。
いまから400年も昔の戦国時代。
現代日本人の感覚としては、戦国時代というのは、有史以来最も国が荒れた時代です。
けれどそんな時代にあってなお、若い女性がこれだけ高い教養を持ち、そして男も女も純粋に、必死で生きていた。そうすることができた。
それが日本です。
※このお話は2019年9月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。

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