『私達日本婦人は軍隊のおかげで安全に暮らしていられるのだから、その報恩的義務として私達婦人の手で愛国婦人会を起こして国家のためにつくしたい』と述べた奥村五百子のこの精神は、仁徳天皇の慈悲の心に触れた当時の民衆が、天皇への報恩感謝の心を忘れずに、皇居の修復事業等に尽くしたことにつながります。そしてこの報恩感謝の精神は、我が国男子の国を護る精神でもあります。
 欲望と支配のために暴虐を働き、正規軍と警察とヤクザと暴徒とが同じものになって、弱者を蹂躙する国と、感謝の心をもって互いにしっかりとできる最善を尽くしていこうとする国。この両者のパラダイムの違いは、必ず大きな結果の違いとなって現れるのです。

奥村五百子
20200627 奥村五百子
画像出所=https://style.nikkei.com/article/DGXMZO92024480U5A920C1TY5000/
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義和団事件(1900年)といえば、日本の柴五郎中佐が大活躍をし、これが後の日英同盟の基礎になったこと、あるいはこの事件後の処置を取り決めた北京議定書の発効によって我が国がPKOとして軍隊をチャイナに派遣するきっかけになったことなどを、以前にご紹介させていただきました。
ところがもうひとつ、義和団事件が招いた大きな出来事があります。
それが「愛国婦人会」の設立です。
愛国婦人会というのは、戦前に国軍の兵士たちへの救護等を行うために結成された団体です。
そしてこの団体は、我が国において女性が組織した最初の代表的団体でもあります。
そしてこの団体の会員数は、1937年には311万人に達していました。
ちなみにいまの自民党の党員数がおよそ100万人、共産党が20万人、維新の会が2万人です。
そうしてみると戦前における311万人というのが、いかに大きな勢力であったかがわかろうかと思います。
また1920年には、会長に実践女子大学の設立者である下田歌子が就任しています。
この愛国婦人会に魂を吹き込んだのは、近衛篤麿(このえあつまろ)公《近衛文麿の父親》と第一回愛国婦人会会長の岩倉久子夫人であり、これを大成させたのは、閑院宮(かんいんのみや)と同妃両殿下の直接関節の厚いご援助の力です。
そしてこの会が隆盛できたのには、その主唱者である奥村五百子(おくむらいおこ)女史が、斃れてのち已(や)むの覚悟で奮闘努力したことがあげられます。

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20191006 ねずラジ
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奥村五百子は、江戸時代の弘化2年(1845年)の生まれで、九州の唐津の住職の娘でしたが、幕末には尊王攘夷運動に参加して、長州藩への密使などを勤めたりもしています。
その後、唐津港の開港に尽力し、さらに朝鮮半島に渡って光州に実業学校を設立。
この縁から、北支事件のとき(つまり義和団事件のとき)、軍に同行して現地の視察に行っています。
明治34年のこと、旧陸軍中将で当時参謀本部に勤めていた堀内文次郎(ほりうちぶんじろう)は、当時貴族院議長であった近衛公に招かれて麹町の官舎に行きました。
同席したのは小笠原子爵と佐藤将軍でした。
席が定まると近衛公は、
「奥村はこのたびチャイナに渡り、
 彼の国の兵士らの暴状を見て帰り、
 大いに悟るところがあったようだ。
 そうして
 『私達日本婦人は軍隊のおかげで
  安全に暮らしていられるのだから
  その報恩的義務として
  私達婦人の手で愛国婦人会を起こして
  国家のためにつくしたい』
 と言って来た。
 これは至極結構な思いつきと思うが
 君たちはどう思うか」
といって、堀内中将らに意見を求めました。
このチャイナ兵の暴状というのは、明治33年の義和団事件のことです。
この事件で、当時の北支の山河は、まさに修羅のちまたと化していたのです。
奥村女子は、日本軍に従軍して天津(てんしん)から北京に入ったのですが、チャイナ兵の掠奪(りゃくだつ)、殺害など、言語に絶したあらゆる暴状を目撃しました。
そしてこの刹那(せつな)、女子の胸中にひとつの霊感がわいたのだそうです。
それが、男子が兵役に服して国家を守護することへの報恩として、婦人のなすべき真の国家事業は、自分たちの身の回りの物を節約して軍隊の後援をすることにあるということでした。
奥村女史は熱情の人でした。
そしてその熱情に同情し、同時のその事業の産婆役を勤めたのが、実に近衛公であったのです。
そこでこの質問に答えて奥村中将らは、殺伐な心を和らげて世を平和に導くには、婦人の力に俟(ま)つよりほかにはないと、この案に賛成したのでした。
この相談が一決すると、近衛公は奥村女史を官舎に招いて、一意専心(いちいせんしん)同胞のために尽力し、一身を捧げて事に従う決心がつけば援助すると告げられたので、女史は他との一切の関係を断って愛国婦人会のために極力奔走することを誓ったのでした。
こうして愛国婦人会が創立されることになりました。
奥村女史が愛国婦人会のために尽くした辛労(しんろう)は、まことに涙ぐましいものでした。
その一例を申し上げますと、明治35年4月13日の愛国婦人会京都支部設立遊説のとき、奥村女史は激しい胃腸病に罹(かか)っていて、二週間以上も食事をしなかったほどだったので、医者が遊説の中止を勧めたのです。
女史は、薬をたくさん持って新橋から汽車に乗り込みました。
ところが乗り込むやいなや、激しい嘔吐を催し、周囲の人たちは女史にこの旅行の断念を勧めたのですが、女史はただ「ありがとう、ありがとう」と繰り返し、
「最初の遊説に自分の健康などにかかわってはいられません。
 悪くなった国家のため、会のために死ぬばかりです」
と言って、無理に出発してしまいました。
愛国婦人会の会員は、当初は上層階級の婦人や皇族、貴族の婦人等によって構成されていましたが、日露戦争のときに、一般婦人にも拡張され、このときに会員数が46万人に達し、日本最大の婦人団体となりました。
そして各府県支部長には知事夫人が就くなど、地域名士の夫人が役員に名を連ね、階級や身分の別なく、婦人職業紹介所・保育所・授産所・隣保館その他を開設して婦人の生活改善と職業ヘの道を開いたりもしています。
そして、
『私達日本婦人は軍隊のおかげで
 安全に暮らしていられるのだから
 その報恩的義務として
 私達婦人の手で愛国婦人会を起こして
 国家のためにつくしたい』
と述べた奥村五百子のこの精神は、仁徳天皇の慈悲の心に触れた当時の民衆が、天皇への報恩感謝の心を忘れずに、皇居の修復事業等に尽くしたことにつながります。
そしてこの報恩感謝の精神は、我が国男子の国を護る精神でもあります。
欲望と支配のために暴虐を働き、正規軍と警察とヤクザと暴徒とが同じものになって、弱者を蹂躙する国と、感謝の心をもって互いにしっかりとできる最善を尽くしていこうとする国。
この両者のパラダイムの違いは、必ず大きな結果の違いとなって現れます。
お読みいただき、ありがとうございました。
《出典:『女子鑑』大阪府学務部 編著昭和13年版》

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