| かつて婚礼の儀に際しての定番となってたお能の謡曲の「高砂」。
その「高砂」は、自然界の生きとし生けるものは、草木土砂や風の動きや水の音にまで、すべて私たち人間と同じ「心」が宿っている。 だから自然界のもたらす四季の流れにさからうことなく、自然体で生きることが、千年の松のような、夫婦の末長い愛をもたらすと説きました。 一昔前までの日本では、見合い結婚があたりまえでした。 見合い結婚が良いとか悪いとか、そういう議論ではなく、見合いによる結婚が多かった背景には、こうした思想の定着があったのです。 |

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お能に「高砂(たかさご)」という演目があります。
このお能で謡(うた)われる謡曲の中の一節は、かつては婚礼の儀に際しての定番曲となっていました。
以下のものです。
高砂や
この浦(うら)船(ふね)に帆(ほ)をあげて
この浦(うら)船(ふね)に帆(ほ)をあげて
月もろともに出(い)で汐(しほ)の
波の淡路(あはぢ)の島影(しまかげ)や
遠く鳴尾(なるを)の沖(おき)すぎて
はや住の江に着(つ)きにけり
はや住の江に着(つ)きにけり
お能の「高砂」は、お能の代表的な祝言曲で、樹齢千年を保つ常緑の松を通じて、夫婦の末長い愛と、草木をはじめとした万物すべてに心があることを讃えた、たいへんおめでたい演目です。
舞台は9世紀の醍醐天皇の治世に播磨国(いまの兵庫県)の高砂の浦に立ち寄った神主(かんぬし)のもとに、一組の老夫婦が現れるところからはじまります。
その老夫婦に神主は
「高砂の松とは、いずれの木を申し候(さふら)ふぞ」とたずねます。
すると老人が、
「ただいま木陰を清(きよ)め候(さふら)ふこそ、高砂の松にて候(さふら)へ」と答える。
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神主が続けて「住之江(大阪市住之江区)の松に相生(あいおひ)の名あり。当所と住吉とは国を隔(へだ)てたるに、なにとて相生の松とは申し候ふぞ」と問うと、いろいろとやりとりの末、
「うたての仰せ候や。山海万里(さんかいばんり)を隔(へだ)つれど、たがいに通う心づかひの、妹背の道は遠からず」と老人が答えるわけです。
「妹背(いもせ)の道」というのは、現代語で「夫婦の道」と訳されますが、実はもう少し意味が深くて、妹とは妻のこと、その妻を背負っての人生の道が妹背です。
逆に妻が背負った夫のことは「吾が背子」と言います。
たがいに背負い、背負われて、ともに人生をすごすのが、夫婦(めおと)の道とされてきたのです。
この点は、西洋風の恋愛至上主義と、我が国の古来からの文化の違いです。
西洋では、もともと女性はゼウスが男性を堕落させるためという目的をもって造ったものという原理があり、従って恋愛至上主義も、男性が美しい女性を手に入れて所有するまでだけを重視します。
これに対し日本の文化は、もとより男女は対等な存在であり、その対等な男女が晴れて夫婦となってからの長い歳月を重視します。
お見合い結婚などがその典型ですが、もっというなら恋愛期間など、なくてもよろしい、というのが日本的価値観であったわけです。
なぜなら、夫婦の愛は、燃えるものではなくて、育むものだからです。
燃える炎はいつかは消えますが、育む愛は永遠のものです。
お能は、こうした神主と老夫婦のやり取りからはじまるのですが、いくつかの名言が謡曲のなかに含まれます。
たとえば、
「それ草木、心なしとは申せども、花実(くわじつ)の時をたがえず陽春(やうしゆん)の、徳をそなえて
南枝(なんし)花、はじめてひらく」とあります。
四季がめぐりに変化することなく、千年の時を超えても変わることがない。
そしてこのことこそが、
「言の葉の露の玉、心をみがく種となりて」・・・つまり和歌の道に心を寄せる基になっているのだと説かれます。
「草木土砂、風声水音まで、
万物にこもる心あり。
春の林の東風に動き、
秋の虫の北露(ほくろ)に鳴くも
皆、和歌の姿ならずや」
要するに自然界の生きとし生けるものは、草木土砂や風の動きや水の音にまで、すべて私たち人間と同じ「心」が宿っている。
その自然界のもたらす四季の流れにさからうことなく、自然体で生きることが、千年の松のような、夫婦の末長い愛をもたらすと、この謡曲は閉めているわけです。
ここまでをご一読いただいて、おわかりいただけると思いますが、お能がもたらしているもの、演じているものは、巷間言われる「侘び寂び幽玄の世界」ではありません。
もっと具体的でリアルな、人としての大事を、自然体でわかりやすく説いているのがお能です。
そしてお能が足利幕府によって武家の芸能として強く庇護され、その後の織豊時代から江戸時代に至る中において、武家の常識となることによって、日本武士道が完成していきます。
そしてこのことが、旧帝国軍人や、いまの自衛隊の精神の根幹にもなっている。
世界中どこの国でも、武器を手にした人たちというのは、暴漢です。
つまり、ヤクザと暴徒と軍隊は、まったく同じものでしかない。
そういう世界にあって、我が国では、武器を日常的に携帯し、その使い方を訓練によってより精度を増した人たちが、逆に社会の中でもっとも高い教育と文化を持つ人々になっていきました。
これは世界的に見て、稀有なことであり、世界史の上からはありえないような話ですが、我が国においては事実です。
そしてこの「人の上に立つ者こそ、教育と文化の担い手でなければならない」という考え方は、7世紀の第41代持統天皇によって、我が国の根幹とされたことです。
上古の昔の日本書紀に万葉集、そして中世における足利幕府による能楽の振興。
それこそが教育と文化による日本立国の根底に流れる知恵なのです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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