《ご連絡》4月11日に靖国神社で開催を予定しておりました『万葉集・日本書紀出版記念会』は、会場となる靖国神社内の靖国会館が、昨日政府からの要請で4月いっぱい利用停止となりました。
まことに残念ながら、本記念会は当面延期とさせていただきます。
| 古代や近世の王朝と異なり、いまのチャイナは世界の政治経済に大きな力を持っています。 その力を武漢ペストは、いっきに崩落させる結果を招きます。 すると、世界は、いわば完全戦争状態になる。 けれど、一件落着の折には、世界は新たな繁栄の時代に必ず入ります。 そしてその時代に、我が国は世界の模範となる、良民と良き政府によって成る国になっていくことになります。 |

画像出所=https://www.youtube.com/watch?v=q6GKTpvXvTI
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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)

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ある日、源頼朝が鶴岡八幡宮に舞の奉納をすることになり、舞姫が集められました。
舞姫は12名です。
11人まで集まったけれど、あとひとりがありません。
困っているところへ、御殿に仕えている万寿姫がよかろうと申し出た者がありました。
頼朝は一目見た上でと、万寿姫を呼び出しました。
顔も姿も美しく、実に上品な娘でした。
万寿姫は、当年13歳。
舞姫の中で、いちばん年若でした。
奉納の当日、頼朝を始め舞見物の人々が、何千人も集まりました。
一番、二番、三番と、十二番の舞がめでたく済みました。
なかでも特に人のほめたのが、五番目の舞でした。
この時には、頼朝もおもしろくなって、一緒に舞いました。
その五番目の舞を舞ったのが、あの万寿姫でした。
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明くる日、頼朝は万寿を呼び出して、
「さてさて、このたびの舞は、日本一のできであった。
お前の国はどこだ?
また親の名は何と申す?
褒美は望みにまかせて取せよう」と言いました。
万寿は恐る恐る答えました。
「別に、望みはございませんが、
唐糸(からいと)の身代りに
立ちとうございます。」
これを聞いた頼朝は、顔色がさっと変わりました。
深い事情があったからです。
一年ばかり前のことです。
木曾義仲(きそよしなか)の家来の手塚太郎光盛(てづかのたろうみつもり)の娘が、頼朝に仕えていました。
この娘は頼朝が義仲を攻めようとするのを知って、義仲に情報を知らせたのです。
義仲はすぐに
「すきをねらって、頼朝の命を取れ!」
と命じました。
そして木曽義仲の家に代々伝わっていた大切な刀を送ってよこしたのです。
光盛の娘は、それから毎晩頼朝を狙いました。
けれど、少しもすきがありません。
かえってはだ身はなさず持っていた刀を見つけられてしまいました。
刀に見おぼえがあった頼朝は、この女は油断できない、ということで、女を石の牢屋に入れました。
その女性が、唐糸(からいと)でした。
唐糸には、その時、12歳になる娘がいました。
それが万寿姫だったのです。
姫は木曾に住んでいましたが、風のたよりにこのことを聞き、乳母(うば)を連れて鎌倉を目指したのです。
二人は、野を過ぎ山を越え、馴れない道を一月余も歩き続けて、ようやく鎌倉に着きました。
そしてまず、鶴岡の八幡宮へ參って、母の命をお助けくださいと祈り、それから頼朝の御殿へあがって、乳母と二人でお仕えしたいと願い出ていたのです。
かげひなたなく働く上に、人の仕事まで引き受けるようにしていたので、万寿、万寿と人々に可愛がられていました。
さて万寿姫は、だれか母の噂をする者はないかと、気をつけていたのですが、10日経っても、20日経っても母の名を言う者はありません。
ああ、母はもうこの世の人ではないのかと、力を落していたところだったのです。
ところがある日、万寿が御殿の裏へ出て、何の気もなくあたりを眺めていますと、小さな門があります。
するとそこへ召使の女が来て、
「あの門の中へ入ってはなりません」
と言います。
わけを尋ねると、
「あの中には、石の牢屋があって、
唐糸樣が押し込められています」というのです。
これを聞いた万寿のおどろきと喜びは、どんなであったことでしょう。
それからまもなく、今日はお花見というので、御殿には多勢の御家人たちが集まりました。
万寿は、その夜ひそかに、乳母を連れて、石の牢屋をたずねました。
八幡樣のお引合わせか、門の戸は細めに開いていました。
万寿は、乳母を門のわきに立たせておいて、姫は中へはいりました。
月の光に透かして、あちらこちら探しますと、松林の中に石の牢屋がありました。
万寿が駆け寄って牢屋の扉に手を掛けますと、
「だれか?」と、牢の中から声がしました。
万寿は、格子(こうし)の間から手を入れ、
「おなつかしや、母上樣、
木曾の万寿でございます。」
「なに、万寿。木曾の万寿か!」
親子は手を取りあつて泣きました。
やがて乳母も呼んで、三人はその夜を涙のうちに明かしました。
これからのち、万寿は乳母と心を合わせ、折々に石の牢屋を尋ねては、母をなぐさめていたのです。
そうして、そのあくる年の春、舞姫に出ることになったのでした。
親を思う孝行の心に頼朝も感心し、唐糸を石の牢から出してやりました。
二人が互いに取りすがって、うれし泣きに泣いた時には、頼朝を始め居あわせた者たちに、だれ一人、もらひ泣きをしない者はありませんでした。
頼朝は、唐糸を許した上に、万寿に、たくさんの褒美を与えました。
親子は、乳母といつしよに、喜び勇んで木曾へ歸りました。
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上は、戦前の尋常小学校4年生の国語の国定教科書に載っていた物語です。
小学校でこうした美しい物語に触れた子供達は、そこから何を学んだのでしょうか。
いまの小学4年生の国語はどうでしょう。
ちなみに光村図書の小4国語を見ると、
詩を楽しもう
音読げきをしよう
話し合いのしかたについて考えよう
読んで,自分の考えをまとめよう
調べたことを報告する文章を書こう
声に出して楽しもう
物語を読んでしょうかいしよう
新聞のとくちょうと作り方を知ろう
本は友達
詩を楽しもう
調べて発表しよう
読んで考えたことを話し合おう
説明のしかたについて考えよう
写真と文章で説明しよう
声に出して楽しもう
物語を読んで,感想文を書こう
という項目が並んでいます。
いかがでしょう。
以前に紹介した19世紀初頭のドイツ人フィヒテは次のように述べています。
「従来の教育は通例、事実のあるがままの状態をただ信じ、
ただおぼえこむことを目的としただけで、
その理由などはどうでもよかった。
もっぱら事物中心の暗記力による
単なる受動的な理解だけを目的としていた」
フィヒテが批判し否定したことが、そのまま上の項目になっているといえないでしょうか。
日教組は、子供達に道徳を教えることは、子供に価値観を強制するものだ、と主張しているのだそうです。
私には、日教組がデタラメな価値観で子供達の健全な精神の発育を阻害しているようにしかみえません。
人は理屈では動きません。
感じて動くから「感動」です。
ざっと項目をみただけで、
「理屈に偏重した昨今の教科書」と、
「親子の情愛や人の生きる道を教えた戦前の心の教科書」
みなさんなら我が子のために、どちらの教科書を選ぶでしょうか。
万寿姫の母は、一国の施政者である将軍の命を狙おうとした重大犯です。
ですがその重大犯であっても、親子の情愛の前に、これを赦(ゆる)す。
そういう社会を日本は大切にしてきたのです。
そして法よりももっと尊いものがあるということをちゃんと理解できることが、本当の意味での人の社会であるのです。
だからといって、どこかの国のような人治主義に陥らない。
法も秩序も大切にする。
けれど、そのなかにあって、情(なさ)けを大事にしていく。
これは民度の高い社会でなければ実は、実現し得ないことです。
なぜなら秩序を維持する権力の側と、その秩序のもとで暮らす民衆との間に厳然とした信頼関係が必要だからです。
互いに信じることができない、ただ闇雲に収奪がなされるような、高圧的な上下社会、あるいは支配と奴隷的被支配にあっては、お上は威圧的、高圧的になる他ないのです。
このことを福沢諭吉は、『脱亜論』で次のように述べました。
「かかる愚民を支配するには
とても道理をもって諭(さとす)べき方便なければ、
ただ威をもって畏(おどす)のみ。
西洋の諺ことわざに
「愚民の上に苛(から)き政府あり」
とはこのことなり。
こは政府の苛きにあらず、
愚民のみずから招く災(わざわい)なり。
愚民の上に苛き政府あれば、
良民の上には良き政府あるの理なり。」
要するに、良い政治が行われるためには、民衆が良民でなければならないわけです。
法の抜け穴や、他人のスキを見つけて富を収奪しようとたくらむ日本に住んでいて日本人のような顔をしていて日本語を話すけれど日本人でないという、あやしげな魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する社会では、良い政府でばかりはいられないのです。
いま世界は武漢ペストによって完全に戦時体制下に入りました。
戦争が、宣戦布告によってある瞬間から堂々と始まるなどと考えるのは、せいぜい日本人くらいなものです。
日本人にはなまじ武道精神があり、なにごとも礼に始まり礼に終わると信じていますから、そのように思い込んでしまうのです。
けれど世界の歴史を振り返れば、宣戦布告など、あってなきが如しで、いつの間にかドンパチが始まってきたのが、世界の歴史です。
早い話、チャイナの王朝が倒れるとき、その王朝に宣戦布告した新王朝は、歴史を通じてまったくありません。
疫病とバッタの大群によって、国内のストレスがピークに達し、暴動が発生し、そのうち暴動にスポンサーが表れて、暴動に武器を提供する窓口となるリーダーが登場し、政府軍(王朝軍)に対抗する大きな乱に至り、凄惨な殺し合いと、病気の蔓延と、バッタの大群によって、何もかもが無茶苦茶になって、人口の7〜8割が死亡していなくなって、新たな王朝が建ってきたのが、チャイナの実際の歴史です。
いまそれが始まったわけです。
ところが古代や近世の王朝と異なり、いまのチャイナは世界の政治経済に大きな力を持っています。
その力を武漢ペストは、いっきに崩落させる結果を招きます。
すると、世界は、いわば完全戦争状態になる。
けれど、一件落着の折には、世界は新たな繁栄の時代に必ず入ります。
そしてその時代に、我が国は世界の模範となる、良民と良き政府によって成る国になっていかなければならないのです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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