| 「Constitution(共同体宣言)」を「憲法」と訳したことが、そもそも誤りです。 幕末の翻訳家は、ですからこれを「律法」と訳しました。ところが明治6年に、 元熊本藩士の林正明(はやしまさあき)が合衆国憲法の訳本を、 元津山藩士の箕作麟祥(みつくりあきよし)がフランス憲法の訳本を出すに際して 「憲法」という用語を用いたことから、明治憲法がつくられる際にも、「憲法」という用語が用いられることになってしまいました。そしてここから日本人の誤解がはじまりました。 |

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護憲といえば憲法9条、憲法9条といえば戦争放棄、平和を守る世界に誇るべき日本の憲法であって、子供たちを二度と戦場に送らない、送らせない、そして戦後70年間日本が平和でいられたのも、憲法9条のおかげ、憲法9条は人類の宝であり、世界遺産に登録すべきもの、というのが左翼や、日本にいて日本語を話し日本の国籍も持っているけれど日本人ではないあやしげな人たちが声高に叫んでいる護憲論です。
ただし、これは実はただのフェイクでしかありません。
手品と同じです。
平和主義の名のもとに、9条に目を向けさせることによって、ただゴタゴタ言っているだけの責任逃れです。
こういうことを古い日本語で「栲衾(たくぶすま)」と言います。
フスマをうるさく栲(たた)くという意味です。
衾(ふすま)は、開け閉めするもので、たたくものでは有りません。
静かな部屋でフスマをバンバン叩かれたら、うるさくて仕方がないだけです。
つまり「栲衾」は、意味のない人に迷惑を掛ける行動です。
意味のないこと、人に迷惑をかける行動をすることで、自己の存在をアピールするのが「栲衾(たくぶすま)」です。
栲衾の九条主義者。
栲衾の護憲主義者。
栲衾の敗戦利得者。
栲衾の桜を見る会反対主義者。
みな、根っこは同じです。
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そういえば昔、半島に新羅という国がありました。
新羅は、日本への朝貢国でしたが、たびたび約束事である朝貢を怠るのみならず、百済や高句麗の朝貢の使者を襲い、それを咎められると自分勝手な都合を声高に主張して、周囲の国を困らせました。
だから付いたあだ名が「栲衾の新羅国」です。
憲法9条には、次のように書いてあります。
========
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
========
「前項の目的を達するために、陸海空軍その他の戦力は保持しないし、国の交戦権も認めない」のです。
その前項とは、「国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄」です。
つまり国家間の紛争が起きたとき、日本から主体的に戦争をしかけることはしませんよ、と述べているだけです。
そしてこの憲法の条文のどこにも、自衛権の放棄はうたわれていません。
つまり、わかりやすく言えば、私はケンカになっても、自分から暴力をふるいません、と宣言しているわけです。
けれど殴られそうになったときに、そのパンチを避けたり、怪我をしないように自分の身を護ったり、相手を投げたりすることまで放棄しているわけではありません。
そもそも自衛権は、憲法以前の国家や国民の生存権です。
生存しているからこそ、法も憲法も機能するのであって、生存が否定されたら憲法どころではありません。
人が殺されてしまったら人権も何もないのと同じで、国家が滅んでしまったら憲法もありません。
さらにいえば、言葉こそ違えどこの国のどこの憲法にも侵略のための戦争、国際紛争を解決するための紛争解決の手段として国軍を用いると書いてある国など、まったくありません。
どの国にも軍隊はありますが、どこまでも自衛のための軍隊であって、「他国を侵略し収奪する」ことを憲法上の目的として軍を保有している国は、世界中にひとつもありません。
ですからどこの国においても、歴史上存在したどの国においても、国軍は自国の防衛のための防衛軍です。
殖民地全盛の時代にあってさえ、そうです。
ですからヨーロッパの列強は、ただやみくもに正規軍を他国に送って征服し、制圧するということはしていません。
南米は、スペインが征服してインカ帝国を滅ぼしていますが、これは正規軍が行ったことではなくて、荒くれ者の海賊が勝手にやったことで、その鎮圧のためにスペインの国軍が「あとから」派遣されています。
米国は、大東亜戦争における日米開戦に際して、国軍を発動させていますが、これも諸事情はともかくとして、真珠湾に攻撃を受けたから、ということを理由として、一気に国軍を発動させています。
そもそも当時のルーズベルトは、「私はあなた方の子供を絶対に戦場に送りません」と三度も国民に誓って大統領に就任した人物です。
その国民への不戦の誓いを破って米軍を動員し、多くの米国民の命を失っているけれど、それはあくまで米国民を護るという自衛のためが建前であって、この戦争を通じて米国は、一度たりとも「日本を侵略するために」、あるいは「武力による威嚇又は武力の行使によって国際紛争を解決する手段として」軍隊を用いていません。
どこまでも、自国の防衛のため、あれだけの戦争をしています。
要するに、憲法9条があろうがなかろうが、大統領が不戦の誓いをしようがしまいが、自国の生存権としての自衛権行使は、誰にも否定できないのです。
自衛隊は、その名の通り、自国の防衛軍です。
国家防衛は、国家生存権であって、憲法以前の存在です。
ですから国軍があって、それを憲法上、日本は他国に対する「武力による威嚇又は武力の行使を国際紛争を解決する手段として用いない」と憲法9条で規定しています。
国軍の存在、つまり国家防衛権、自衛権までを憲法が否定することはできないのです。
ですから現行憲法のままで日本は堂々と国軍を持つことができます。
ただし、あたりまえのことですが、私も戦争に反対です。
子供たちを絶対に戦場に送りたくないし、日本が戦争をすることにも、私は賛成できません。
平和でいること。
それは国家にとって最大の使命です。
また、現行憲法のままで良いと申し上げているのでも有りません。
現行憲法は、そもそも憲法の名に値しないというのが私の意見です。
現行憲法は、英語の「The Constitution of Japan」を翻訳したものですが、「Constitution」というのは「共同体宣言」であって、日本語でいう「憲法(いつくしきのり)」とは意味が異なるものです。
どういうことかというと、日本語の「憲法」は、こう書いて「ケンポウ」ではなく、「いつくしきのり」と読みます。
これは十七条憲法がそうであるように、万古不易の日本の姿を取り決めるものです。
従って、日本人にとっての「憲法」は、千年前も千年後も、まったく変わりようのないものです。
けれど大日本帝国憲法も、いまの日本国憲法も、西欧の「Constitution」を「憲法」と翻訳したものです。
西欧における「Constitution」は、もともとフランス革命の際に、王権に対するその時点におけるパリ市民の立場を明確にするために宣言されたものです。
Con《共に》、stitute《立てた》ion《こと》から成り立つ語です。
つまり「Constitution」は、あくまで「共同体宣言」であるということです。
ですから西欧諸国においては、状況や共同体の形が変われば当然にその姿を変えていくのが当然と考えられています。
早い話、フランス国王がいなくなれば、フランス国王に対する宣言は、その時点で用済みになります。
次には市民の自治のための共同宣言が必要になるからです。あたりまえのことです。
西ドイツは、日本と同じ敗戦国ながら、戦後60回以上も「Constitution(共同体宣言)」の改正を行っています。
当然です。
西ドイツの「Constitution(共同体宣言)」は、そのときどきにおける共同体宣言でしかないからです。
日本国憲法もまた、もともと英語で書かれたものです。
そのタイトルは、
「The Constitution of Japan」です。
つまり「日本の共同体宣言」であって、日本語でいう万古不易の憲法とは、異なる概念で書かれたものです。
そしてその共同体宣言が行われたのは、日本がまだ占領統治下にあった昭和22年です。
日本は昭和27年には主権を回復しているのですから、当然に占領統治下とは状況が変わっています。
まして、令和となった現代においては、国際社会における日本の立場も、日本の人口も、日本の経済状況も、日本国の財政も、まったく違った状況になっています。
そして「Constitution(共同体宣言)」は、変化に応じて変わる、あるいは変えることが前提となった宣言なのですから、変えるのがあたりまえであって、変えないほうが、西欧的感覚では「どうかしている」のです。
そもそも「Constitution(共同体宣言)」を「憲法」と訳したことが、そもそも誤りです。
幕末の翻訳家は、ですからこれを「律法」と訳しました。
ところが明治6年に、
元熊本藩士の林正明(はやしまさあき)が合衆国憲法の訳本を、
元津山藩士の箕作麟祥(みつくりあきよし)がフランス憲法の訳本を出すに際して
「憲法」という用語を用いたことから、明治憲法がつくられる際にも、「憲法」という用語が用いられることになってしまいました。
そしてここから日本人の誤解がはじまりました。
604年に制定された十七条憲法が1400年を経過して、いまなおその精神が日本国民に定着していることにあきらかなように、日本人にとっての「憲法」は、あくまで「いつくしきのり」であって、「万古不易の変えてはならないきまり」です。
これに対し「Constitution(共同体宣言)」は、状況に応じて、常に形を変えるものです。
本来意味が違うのです。
にもかかわらず「Constitution(共同体宣言)」を「憲法」と訳してしまったことで、日本人は、いまだに大日本帝国憲法も日本国憲法も、十七条憲法と同じ「いつくしきのり」だと思いこんでいます。
そうではないのです。
「Constitution(共同体宣言)」は、変えてはいけないものではなく、常に変えるべきものなのです。
日本国憲法を改正すべきか、破棄すべきかという議論もありますが、「Constitution(共同体宣言)」は、本来改正も廃棄も当然に行われるべきものです。
ですからいまは、まったく新たに「本来の日本としてのConstitution(共同体宣言)」を打ち立てるべきときであると思っています。
ただしそのためには、憲法以前の問題として、我が国が元来どういう国柄や構造を持つ国であるかが、日本人の中に常識として定着していく必要があります。
すくなくとも憲法論議をするというのなら、最低限、「Constitution(共同体宣言)」と「いつくしきのり」の違いをわきまえたうえで、そのどちらを創ろうとするのか。
そしてそのためには、日本の国柄や日本の文化を、きちんと根底から見直す必要があります。
日本の歴史をいたずらに否定したり、江戸時代の農家は貧農だった、平安貴族は男と女の関係にばかりうつつをぬかしていた残念な人たちだったなどと、どこかの国と履き違えたような歴史認識や、日本が悪い国だったといった従来の戦後政治的認識を根本から改め、本来の歴代天皇が目指された日本の姿形(すがたかたち)を、あらためて再認識していく必要があります。
これがどういうことかといえば、日本は解体的出直しをしなければならないということです。
これからの日本は、人口が大きく減少していきます。
国立社会保障・人口問題研究所の推計では、低位推計の場合、現在の1億2700万人ある日本の人口は、2065年には8213万人になるとあります。
そのままで推移すれば、2070年には日本の人口は8千万人を割り込みます。
つまりわずか50年後には、日本の人口は3分の2以下になります。
ただし、この推計には、天然の災害が考慮されていません。
また国際社会における疫病や飛蝗(ひこう)《イナゴの大群》、あるいは大暴風雨や震災、火山の噴火など、天然の災害もまた、まったく考慮されていません。
日本は食料を輸入に頼っていますが、国際社会で大きな災害が発生すれば、またたく間に日本は食糧難を迎える危険があります。
ということは、これに国際社会の天然の災害が加われば、人口減少の加速がもっと進んで、50年後には日本の人口が現在の半分の6千万人程度になっている可能性も否定はできないということです。
日本の食料自給率は、2015年で38%で、先進国中最下位です。
仮にすべての食料輸入が絶たれるという事態を想定するならば、いまの日本は5000万人までしか人口を養うことができません。
「国家百年の大計」といいますが、百年どころか、あとわずか50年で日本の形は、いまとは全然違う形になってしまいす。
こうした現実を前にしていま必要なことは「万古不易の日本の形」を明確にしていくこと。
それはつまり、正しい歴史認識であり、正しい古典の理解であり、天皇の知(し)らす国を日本の古くて、そして新しい常識にしていくことです。
そしてそれは、人が意思を持って行うことです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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