万葉集に有馬皇子(ありまのみこ)の歌があります。
 磐代(いはしろ)の
 浜松が枝(ゑ)を引き結(むす)び
 ま幸(さき)くあらばまた帰り見む
この歌について、拙著『ねずさんの奇跡の国日本がわかる万葉集』から拙文をご紹介したいと思います。


20200218 有馬皇子
画像出所=https://www.1101.com/gakkou_manyo_satonaka/2018-10-05.html
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)

この歌は万葉集の中で「挽歌(ばんか)」に分類されています。挽歌は雑歌(ぞうか)・相聞(そうもん)とともに万葉集の歌の三大分類のひとつです。
挽歌はのちの哀傷歌(あいしょうか)にあたり、人の死を悼んだり葬送の際に詠まれた歌です。
有間皇子が生きた時代は、中大兄皇子が、唐に攻め込まれない日本になるため、かなり強引な改革を進めています。
改革は、もちろん良くなることを前提に行われるのですが、改革によって利益を得る者もいれば、いままでの立場を失う者も出ます。
そして失う側の人たちは、中大兄皇子に対する対抗馬となりうるお血筋である有間皇子を次期天皇に担(かつ)ごうとします。
成功すれば反中大兄皇子派の人たちは、中大兄皇子らを粛清(しゅくせい)して、自分たちの時代を築くことができると考えたわけです。
けれども内外の情勢は、そのような内紛をしていれるような時期ではない。
そこで有間皇子は、自分が担(かつ)がれないように、気がふれた様子を装(よそお)います。
一方、中大兄皇子によって蘇我氏の惣領(そうりょう)の入鹿(いるか)を乙巳(おっし)の変で殺された蘇我氏系列の豪族の蘇我赤兄(そがのあかえ)は、なんとかしてこの混乱を利用して、一族の地位向上を図ろうとします。
そして天皇および朝廷の高官たちが牟婁温泉(むろおんせん)に湯治(とうじ)に行幸されている間に有間皇子に近づき、
「自分は有間皇子の味方である。
 天皇と中大兄皇子を行幸先で急襲しよう」
ともちかけます。
もちかけられても有馬皇子は気がふれた風を装(よそお)っているわけですから、態度は曖昧、つまり賛成反対どちらの意思表明ともとれるわけです。
赤兄は有馬皇子と面談後すぐに中大兄皇子のもとに行き、「有間皇子謀反(むほん)」と密告します。
これによって有馬皇子は即刻逮捕され、行幸先の紀伊(きい)の牟婁温泉に取り調べのため護送されることになるわけです。

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20191006 ねずラジ
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この歌はその護送途中の和歌山県日高郡南部町の海岸で食事休憩となったときに詠んだ歌です。
取り調べによって得られる結果は二つ。
ひとつは有馬皇子に謀反の心がないことが立証されて、蘇我赤兄らが処罰される。
もうひとつは有馬皇子ひとりが処罰され、蘇我氏が安泰となる。
では歌を読んでみましょう。
【有間皇子自傷結松枝歌二首】
いはしろの   磐白乃
はままつのえを 浜松之枝乎
ひきむすひ   引結
まさきくあれは 真幸有者
またかへりみむ 亦還見武
けにあれは   家有者
けにもるいひを 笥尓盛飯乎
くさまくら   草枕
たびにしあらは 旅尓之有者
しひのはにもる 椎之葉尓盛
▼歌の意味本当はこう読み解ける!
【有間皇子がご自分で悲しまれながら松の枝を結んだ歌二首】
護送される途中、和歌山県日高郡南部町の海岸沿いの岩代というところで、浜にあった松の木の枝を結びました。思いが通じるというおまじないです。運が幸いして訊問(じんもん)を見事にかわすことができたなら、きっとこの松の木のもとにまた来ようと思います。
家にいたなら食器に盛る飯を、草を枕に寝る旅の途中なので椎の葉に盛りつけています。まだまだ評定が定まったわけではないのだから、四角い法定で述べる言い分を、旅の途中のいま、思いのままに考えてみよう。
▼私は全容を知らない
この二つの歌は、一般に「悲嘆に暮れる有間皇子が、これから処刑される哀かなしみを詠(よ)んだ」とされています。
しかし万葉集はこの歌を「挽歌」に分類しています。
「挽歌」は誰かの死を悼いたむ歌ですから、悪人として処刑されたはずの有間皇子に、万葉集は同情を寄せていることになります。
なぜなのでしょうか。
はじめの歌は「おまじないまでして必ずこの松の木のもとに帰ってこよう」という歌です。
次の歌は「自分なりに充分に事実関係の言い分を述べて最後まで前向きに戦おうという決意を込めた歌」といえます。
ところが日本書紀によれば、有間皇子は中大兄皇子の
「何故謀反《なにゆえ謀反を起こしたのか》」
という質問に、たったひとこと、
「天与赤兄知、吾全不解《天と蘇我赤兄が知っている。私は全容を知らない》」と答えただけでした。
そしてそれ以外のことを一切語らずに、従容として処刑されています。
つまり有間皇子は、枝を結んだ松の木のもとに戻ることはなかったのです。
歌では「また戻ってくるよ」「ちゃんと答弁するよ」と詠んでいた有間皇子は、ではどうして、なにも語らずに処刑を受けられたのでしょうか。
この時代は唐という軍事大国が虎視眈々とわが国を狙っていた時代です。
その力は強大です。
これに抗するためには、なにが何でもわが国を統一国家にしていかなければならない。
防衛網も整備しなければならない。
その一方で、強引な改革には異論反論も続出するという難しい政局の時代です。
反対派の人たちは、皇位継承権のある有間皇子を担ごうとすることでしょう。
けれど国論を分裂させることは、結果として国のためになりません。
ですから有間皇子は暗愚(あんぐ)になったフリまでして、自分が皇位継承者に担ぎ出されて政争の具にされないようにしていました。
国を護るために暗愚になったフリをするというのは、スケールは違いますが、後年徳川幕府に睨まれないように、わざと鼻毛を伸ばして暗愚を装った加賀藩の二代目藩主の前田利常がいます。
▼無私から生まれる愛の心
ところがそうまでしても有間皇子は、その血筋ゆえに政治利用されてしまうわけです。
利用された以上、責任は上に立つ者、つまり有間皇子にあります。蘇我赤兄のせいにはできないのです。
ですから有間皇子は他人に嵌められた濡れ衣であったても、利用された不徳を恥じて、一切の釈明をしないまま、処刑を受け入れられました。
そもそも臣下とは、出世のためにそういう裏切りや欺罔(ぎもう)、欺瞞(ぎまん)をするものであって、人の上に立つ者はいちいちそれを恨(うら)んではいけない。
それが人の上に立つ者の在り方であり、皇族の在り方であり、人としての在り方なのだという、これは生まれたときから人の上に立つように定められた人の無私(むし)の心です。
真実を述べることは、今度は蘇我赤兄以下、多くの人々を罪に落とすことになります。
唐の脅威に抗するための大切な一族とその兵力と、自分ひとつの命と、どちらを採るべきか、つまり公と私と、どちらを優先すべきかという問いなのです。
誰だって生きていたいし、理不尽な濡れ衣なら、なおさら生きることを選択したいものだけれど、国の利益を考えたときに自分がどうあるべきかを考えるときの結論は明らかです。
生きたいという渇望と、無私の心で罪を受け入れるという葛藤のなかで、おそらく有間皇子は、ひとつの命として「生きたい」という渇望を、この二首の歌に託たくしたのです。
そして託することで、心に踏ん切りをつけた有間皇子は、裁さばきの場では、言い訳をしないで、ただ「天と赤兄が知っている」とだけ述べて刑死の道を選ばれたのです。
それは有間皇子の、どこまでも国の平穏を想う心のなせる選択です。
これが日本のご皇族の無私から生まれる愛の心です。
この記事は拙著『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』からの引用です。
お読みいただき、ありがとうございました。

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