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| 日本語を取り戻す。 それは、私達がこれから取り組まなければならない大きな課題です。 |

画像出所=https://www.illust-box.jp/sozai/108310/
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)
漢字には、一語一語に、その成り立ちと意味があるということは、国語の教育を受けたことのある方であれば常識とするところです。
けれど戦後「漢字かな混じり文を用いるから日本人は優秀だ」、あるいは「日本人が優秀で戦いにも強いのは、日本人が漢字かな混じり文という特異な文化を持つことに由来する」という議論がなされ、GHQによって昭和22年に「当用漢字」が示されて、ここから日本人は漢字の持つ本来の意味を失っていくようになりました。
そもそも「当用漢字」というのは、「当面用いる漢字」の略です。
では漢字を当面用いた後にどうするのかといえば、日本語表記を全部ローマ字にするという案が当時出されていたのです。
ところが、ローマ字を書いたことがある方ならわかると思いますが、これでは大変に意味がわかりにくい。
早い話、新年の挨拶を、
「Shinnen akemashite omedetou gozaimasu.」
と書くのと、
「新年明けましておめでとうございます」
と書くのでは、文字の読み取りの速さがまるで違うし、日本語は歴史が古いために同音異義語が非常に多い。
加えて、「キラキラ」とか「ガタゴト」というような「オノマトペ」と呼ばれる擬制言葉がたいへんに多い言語ですすから、ローマ字表記にしたら、ものすごく言語の意味がわかりにくくなります。
このため、日本語表記のローマ字化については、各方面から猛烈な反対運動が起こり、さしものGHQもゴリ押しができなくなって、結果、「当面用いる漢字」とカナによる表記が、戦後の日本語表記の方法になりました。
その代わり、ほとんど報復的に、漢字の意味が取りにくいものに変更させられました。

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たとえば「権力」は、旧字体なら「權力」です。
「權」という字は、字をよく見たらわかりますが、木の横に草があります。
つまり木に葉の生えた枝がある。
その木の葉の陰の高いところに、目が二つあります。
これが捕食動物であるミミズクの目で、その下に「隹(すずめ)」がいます。
つまり、ミミズクがスズメを監視している象形です。
スズメは油断をすればミミズクに捕まって食べられてしまいますから、その力である「權力」は、人々を監視し、場合によっては捕らえてしまうという、恐ろしい力だとわかります。
「人權」なら、人が監視されている状態ですから、人が捕まらないように油断をしないで正しく生きる、いわば人の道のことを言うとわかります。
「人權」は英語で書いたら「Human Rights」です。
「Right」は、神の示す道のことですから、人が生きるために神々によって示された道が人権です。
従って「Human Rights」と、漢字の「人權」は同じ意味になります。
ところがその權利や人權を、「権利、人権」と略字で書いたら意味がわからなくなります。
日本国憲法は、人権を「侵すことのできない永久の権利として現在及び将来の国民に与へられる」と規定していますが、「権(權)」の意味を履き違えたら、個人の意思と行動が国家的正義に優先するかのような誤解を与えることなります。
つまり、刑法に書かれていなければ、あるいは刑法に触れなければ何をやっても構わないという、乱暴を肯定するかのような個人の利益(権利)になってしまうわけです。
きわめて馬鹿げた話と言わざるを得ません。
それを後生大事に保持しようとするのは、ゲスの行動の正当化と言わざるを得ません。
せっかくの「令和」の元号も、内閣府によって示された元号は「令和」と書かれていました。
見事な筆字であることはおおいに結構なのですが、令和の「令」は、本来は下の左図の字です。


この字は上にある三角屋根が神様の声が上から降ってくる象形で、下にその声の前でかしずいている人の姿があります。それが上の右側の図です。
この形がもとになって漢字になっているわけです。
ところがこれを「令」と書いてしまうと、そうした漢字の成り立ちの意味がまったくわからなくなってしまう。
このため、せっかくの「令和」の元号も、「和することを上から目線で命令する不細工な元号」などと揶揄(やゆ)する馬鹿者まで出る始末です。
まさに、嘆かわしい限りです。
また、この令和が『万葉集』の「梅花の歌32首併せて序」から採られたことは、各種報道で明らかですが、そこで紹介される、
初春(はつはる)は
令(よ)き月(つき)にして
気(き)も淑(よ)くて
風(かぜ)和(なご)み 云々
は、五七調の長歌の形式は取っていますが、題詞(ひたいのことば)といって、32首の歌を紹介するにあたっての序文のようなものです。
また「よき月」を、「良き月」ではなく、意図して「令(よ)き月」と書いているのは、初春が神々が与え給うた神の意思としての「よき月」だという意味が、そこに込められています。
仮にここを「良き月」と表記すると、「良」という字は穀物の中から、よいものだけを選び出すための器具の象形ですから、これを行うのは秋の収穫の時ということになり、「初春は秋の月」という意味のわからない詞(ことば)になってしまいます。
上に述べた英語の「Right」にしても、日本語の「令」にしても、言葉というのは、その国の文化を築き、文化を担(にな)い、民度を形成する、きわめて重要なものです。
昨今では、義務教育における国語の年間授業時間数も、我々が子供の頃と比べて半分に減っています。
それでまともな国民が形成されるのでしょうか。
また昨今では、日本語学校を出た外国人の方が、よほど正しい日本語を話したり書いたりするようになりました。
外国人への教育にできて、日本人の教育にできないということが、あるのでしょうか。
日本語を取り戻す。
それは、私達がこれから取り組まなければならない大きな課題です。
お読みいただき、ありがとうございました。

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