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画像出所=https://hinotorifugetsu.com/ryoma/
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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)
世の人は
我を何とも
言わば言え
我が成す事は
我のみぞ知る
これは坂本龍馬の有名な句です。
この句を詠んだときの坂本龍馬は、まだ14〜5歳だったそうです。
できの悪い子で楠山塾も成績が振るわずに退塾させられてしまうし、よい歳をして寝小便タレだし、泣き虫だし、剣術道場でもいわゆる「ヘタレ」で、全然弱い。
悔しくてならないけれど、どうにもならない。
そんなときに詠んだ句だといわれています。
けれどここで、
「なんと言われようが」
と決意したことが、その後の龍馬を大きく変えていきました。
今で言ったら高校生くらいになった龍馬は、師匠が良かったのか、姉の指導がよかったのか、メキメキと剣術の腕をあげていきました。
家が、いわゆるお金持ちの家だったこともあって、江戸に留学までさせてもらって北辰一刀流を学び、長刀免許を取得するまでに至っています。
その後の活躍は、みなさまご存知のとおりです。
最近思うのですが、昔の人が「三つ子の魂百までも」とはよく言ったものだと思います。
その人の人生や一生、あるいは傾向性というのは、おおむね小学生くらいのうちに確立してしまう。
高校や大学に入る頃になると、何かと知識が増えて別な方向に向かったりすることもあるのですが、それでも50歳代以降になると、やはりその人のもとからある傾向性というのが出てしまう。

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ですから戦前戦中までの学制が、尋常小学校や国民学校を卒業した時点で、就職させたり、進学するに際しても、様々な針路形態が用意されているという学制になっていたことは、まことに条理に適ったことであったと思います。
もしお時間があれば、みなさんも小学校のときの学級で作った文集などを読んでみてください。
意外と、それぞれの生徒たちが、いまになってみれば、なるほど当時のままの人生を切り拓いたとわかると思います。
また坂本龍馬が、楠山塾を成績不振で退塾処分になったということも、注目いただきたいところです。
昔は「義務教育」なんてなかったのです。
ですから子供たちは、校風に合わないとなれば、いつにても退学処分を受けることになりました。
けれど、実はこのことはとても重要なことです。
学校だけではありません。
企業でも同じですし、昔の寺子屋も同じです。
江戸時代の寺子屋でよく使われた教科書に「童子教」がありますが、そこにも、
畜悪弟子者 悪しき弟子を畜(やしな)へば
師弟堕地獄 師弟地獄に堕(を)ちるべし
不順教弟子 教へに順(したが)はざる弟子は
早可返父母 早く父母に返すべし
と明確に書かれています。
教育の崩壊がさけばれて久しいですが、究極のところ、教育が義務化され、どんなにできの悪い生徒でも、いつまでもズルズルと学校に置いておかなければならないから、学校や教室のレベルが下がるのです。
会社も同じです。
ろくでもない社員を、免職処分にするのはかわいそうだなどと、おかしなヒューマニズムに走るから、社風が乱れ、企業業績が劣化するのです。
放校、免職で良いのです。世の中、捨てる神あれば、拾う神ありです。
どうしようもない者を、いつまでも囲い込むから、朱に染まれば赤くなるで、まともな生徒までおかしくなるし、社風が乱れて、世界の超一流とされた会社であっても、業績が悪化して、ついにはそのろくでもない社員の国籍の企業に売られてしまうのです。
厳しいことを申し上げるようですが、良い作物を育てるためには、雑草は駆除しなければならないし、雑草には雑草の茂る場所が、ちゃんと他にあるのです。
作物を人に例えることに疑問を持たれる方もおいでかもしれませんが、良い作物を育てるためには、余計な草は排除しなければなりません。
そういう厳しさが曖昧になると、結局のところ作物も育たず、畑そのものが崩壊してしまう。
大切なことです。
一方、そこで排除されたからといって、排除された者が、それで人生がすべておしまいになるということでもありません。
そこが大事なところで、そうした厳しさの体験から、自らの姿勢をただし、以後、立派に生きることで、人生の目的をしっかりと果たしていく。
敗者復活戦も十二分にあり得るのが、日本の伝統的社会の底の深いところです。
日本の商人道をうちたてた石田梅岩は、大店の番頭を退職したあと、普通なら嫁さんをもらい、のれん分けしてもらって自分で商売を始めたり、余生を満喫するところ、独身のまま長屋でひとり商人道を説くための私塾をはじめています。
ある日、塾生が誰も来なかった日、ある塾生が梅岩の長屋をのぞいたら、梅岩が誰もいない長屋の部屋の教室で、たったひとりで講義をしていたそうです。
「商人にも道を打ち立てるんだ」
その志と決意があればこその行動です。
ある著名な政治家(山田宏先生)が、松下政経塾時代に新党を立ち上げようとしたそうです。
このとき松下幸之助は、断固として「ダメだ」と言う。
それで断念したと聞いた松下幸之助は、
「そうかあ。
そりゃあ残念やな。
誰が反対しようが、
言い出したらやりぬかなあかん」
と述べたそうです。
志を立てるということは、そういうことです。
一度志を立てたら、たとえ師匠から破門されたとしても、絶対にやりぬく。
その気迫と覚悟があってこそ「志」です。
倭塾も、開始から来年でまる7年になりますが、
「生徒さんが誰も来なくても続ける」
と覚悟を決めて開始しました。
おかげさまで、毎度ご贔屓をたまわり、動画配信サービスを含めていまなお継続させていただいていますが、ただものを書くだけでなく、お集まりいただいた皆様の前で直接お話をさせていただくことによって、逆に皆様からたくさんのエネルギーをいただきながら、いまなお続けさせていただいています。
書籍化した百人一首も古事記も万葉集も、従来の解釈からすると、異説のオンパレードですが、ご皇室を中心とする我が国の成り立ちから、歌や神話の解釈を進めれば、必ず答えはこうなる、という解釈を提示させていただいています。
「そんなことを書いている本があるのか?」
という問いをいただいたり、他に同様の主張や解釈をしている本がないから、ねず式の解釈はデタラメだ、間違いだ、誤っているなどと仰有る方もおいでになりますが、むしろ逆です。
書いてないから、書いて本にしているのです。
合理的な解釈というものは、条件が整えば、必ず同じ解釈に至るというものであって、人によって解釈が異なるものではありません。
何を感じるかは人それぞれですが、解釈の方向性は、条件によって必ず同じものになるものです。
百人一首でいえば、歌人の名前に肩書が付いていたりいなかったりしますが、なぜそのようになっているのか。
百人の歌人の百首の歌なのに、どうして百人で一首と呼ばれているのか。
そういった素朴な疑問への答えは、これまでの解釈にはなく、それらを踏まえて解釈すれば、答えは必ずこうなるというものが、百人一首の本でした。
古事記もまた、神々のお名前をはじめとして、全文が漢字で書かれています。
漢字は表意文字ですから、一字ごとに意味があるわけで、それを無視してカタカナで解読しようとしても、そもそも無理なことです。
現場百回といいますが、常に原点に還って読んでいく。
そうすることで、古事記の本来の意味が明らかになります。
たとえば須佐之男命が高天原で大暴れされたとき、天照大御神はそれを「見て畏みて」天の石屋戸に入られたと古事記に書かれています。
「畏(かしこ)みて」とは、神社の祝詞にある「かしこみ、かしこみ、まをす」の「かしこみ」ですから、意味は「つつしんで」とか「感謝して」といった意味になります。
なんと天照大御神は、須佐之男命に感謝して、「ありがとう。あとは私が行います」と、岩屋戸に入られたのです。
従って須佐之男命が暴れたことを「恐れて」岩屋戸に引き篭もったという解釈は疑問です。
また、その岩屋戸の前で天宇受売神が裸でカンカン踊りをしたように説く解説書もありますが、古事記の原文にあるのは「裳の紐を女陰に垂らして」です。
「裳」というのは、宮中の女性が腰から後ろに垂らしてはくハカマのことで、古事記の原文はその腰紐を単に前に垂らしたと描写しているだけで、どこにも加藤茶の真似みたいなことをしたとは書いてない。
長い歳月の間に、いろいろに変造されて解釈されてきたものが、さらに屋上に屋根を重ねるように変造の上に変造が重ねられて、本来の意味が見えなくなってしまっているということはよくあることです。
このたびの『万葉集』もまた同じで、たとえば額田王といえば、天武天皇の妻で一女までもうけていながら、義兄の天智天皇と深い関係にあったなどと、おもしろくもなんともない三流週刊誌モドキの解釈がまかりとおっています。
そんな話がどこから出てきたのかといえば、それが『万葉集』だというのですが、その『万葉集』を原文からきちんと紐解いていくと、そもそもどこにもそのような三角関係など書かれていません。
つまり、歌の解釈を間違えているのです。
長い歳月のなかで、どこかで誰かが、くだらない解釈を用い、その解釈が独り歩きして、挙句の果ては天智天皇、天武天皇は半島人である、などという風説まで招いている。
とんでもないことです。
令和の元号も『万葉集』から採られたことですし、いまあらためて万葉集にかかれている歌を、当時の時代の流れや社会情勢、使われている漢字の意味などを原文に立ち返って深く掘り下げることで、本来の意味を取り戻し、さらにこれらを通じて、日本文化の根幹を探ろうとしたのが、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』です。
「そんな解釈をしている本は、他にないよ」と言われますが、そうであるからこそ本にするし、ブログに書くし、講演でお話するのです。
他にあるなら、書く意味がありません。
その本等を皆様にご紹介すれば足りることです。
数年前、元鎌倉市議の伊藤玲子先生から言われた言葉があります。
「日本を失ってはならないよ。
絶対に失っちゃならないよ」
自分自身の中で、日本を失わないため、日本人が日本を見失わなないために、自分にできることをしていこう。
それが自分にとっての志です。
志は、いちど決めたら、それが覚悟です。
覚悟したなら、なにがあってもやりぬくだけです。
「悪い言霊が1000投げかけられるのなら、
良い言霊を1500投げかけられれば良い。」
これが古事記の教えです。
イサナキとイサナミの最後のお別れのシーンに出てきます。
ミ「愛(いと)しき我が夫の命(みこと)よ、お前がこのようなことをなさるなら、私は汝の国の人草を一日に千人絞(くび)り殺しましょう」
キ「愛しき我が妻よ、おまえがそうするなら私は一日に千五百の産屋(うぶや)を建てよう」
イサナミが半狂乱になって追いかけてくるシーンばかりが強調されることが多いですが、重要なのはこの会話です。
イザナミは「毎日千人殺す」と言っているのです。
そう言われたら、普通はどうするでしょうか。
たとえばISなどのテロ組織が「日本人をこれから毎日千人殺す」と言ってきたら、どうするでしょうか。
そういう設問なのです。
普通なら「おい、やめてくれ!」と懇願するか、交渉してお金で解決するか、千引岩を開けて黄泉の国への空爆を開始するかという選択になります。
けれど古事記は、「ならば私はこれから毎日1500の産屋を建てるよ」と答えています。
相手の主張に対して、怒るわけでもなければ、拒否するわけでもない。叱るわけでもない。
受け入れ協調するわけでもない。
相手の言いなりになるわけでもない。
ましてお金で解決するわけでもなければ、軍事的制裁を加えるわけでもない。
まったく第三の選択として、もっと多くの子を生むよ、そのために産屋を建てるよ、もっと精進努力して働くよと答えているのです。
これが日本的和の精神の神髄です。
協調でもなければ、迎合でもない。
対立でもなければ闘争でもない。
相手を受け入れ、それ以上の良い結果を見出す精神です。
まさに、
世の人は 我を何とも 言わば言え
我が成す事は 我のみぞ知る
です。
こうと決めたらどこまでもやりぬく。
それが日本人の生き方だと思います。
※この記事は2015年12月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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