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20191006 ねずラジ
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「秀吉の朝鮮征伐」という言葉は、正確には「秀吉の明国征伐」であって、その戦いの場が半島であったという認識が、正しい歴史認識といえるものです。


20191011 加藤清正
画像出所=https://shirobito.jp/article/495
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)

尋常小学修身書巻五から、加藤清正(かとう きよまさ)のお話をご紹介したいと思います。
いくつか、たいせつなポイントがあります。
これについては末尾に記載します。
 ***
「信義」
加藤清正は、豊臣秀吉と同じく尾張の人であります。
三歳のとき、父を失い、母の手で育てられていましたが、母が秀吉の母といとこの間柄でしたから、後ろには秀吉の家に引き取られて育てられました。
15歳のとき、一人前の武士として秀吉に仕え、たびたび軍功をたてて、次第に立派な武将となり、後には肥後(ひご)を領して秀吉の片腕となりました。
秀吉は、その頃乱れていた国内をしずめ、さらに明国を討つために、兵を朝鮮へ出しました。
清正は、一方の大将となって彼の地へ渡りました。
清正の親しい友だちに、浅野長政という人がありましたが、その子の幸長(よしなが)も、朝鮮に渡って勇ましく戦っていました。
ところがあるとき、幸長が蔚山(うるさん)の城を守っていたところへ明国の大兵(たいへい)が攻め寄せてきました。

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20190317 MARTH


城中には兵が少ない上に、敵が激しく攻め立てるので、城はたちまち危なくなりました。
そこで幸長は使いを清正のところへやって救いを求めました。
清正の手もとには、敵の大兵に当たる程の兵力がありませんでした。
けれども清正は、その知らせを聞くと、
「自分が本国を発つとき、
 好長の父・長政が、
 くれぐれも幸長のことを自分に頼み、
 自分もまたその頼みを引き受けた。
 いまもし幸長を早く救わなかったら、
 自分は長政に対して面目が立たない」

と言って、身の危険をかえりみず、部下の五百騎を引き連れて、すぐに船で出発しました。
味方の船は、わずかに20艘ばかり。
清正は、銀の長帽子(ながぼうし)のかぶとをつけ、長槍をひっさげ、船の舳先(へさき)に突立って部下を
指揮し、手向かってくる数百艘の敵船を追い散らし、囲みを破って蔚山の城に入りました。
それから幸長とここに立て篭もり、力を合わせて明国の大兵を引受け、さんざんにこれを悩ましました。
そのうちに兵糧(ひょうろう)が尽き、飲み水もなくなって、非常に難儀をしましたが、とうとう敵を打ち破りました。
格言「義ヲ見テ為(せ)ザルハ勇ナキナリ」

 ***
信義に厚かった清正のエピソードですが、日本男児として、清正の行動から学ぶべきものは多いと思います。
一点。
文中に「明国の大兵(たいへい)が攻め寄せた」という記述があります。
よく「秀吉の朝鮮征伐」と言いますが、これは戦いがあった場所が半島であったことを言っているのであって、秀吉の軍が戦ったのは、あくまで明国の将軍とその兵であったということを示します
戦いは、あくまで明国との戦いであったのです。
このことは、越後の上杉謙信と、甲斐の武田信玄が、信州の川中島で戦ったということと同じです。
日本が戦ったのは、あくまで明国であって、李朝ではないのです。
そもそもこの時代、李氏朝鮮は、いわゆる国民国家ではありません。
李朝という王朝が半島の王を名乗っていましたが、当時の李朝の王というのは、いわば暴力団の組長のようなもので、半島内にきちんとした行政機構を持っていたわけではありません。
李朝の王と貴族があり、それ以外の半島人は、名前もないただのケモノとして半島に生息していると同じように考えられていただけです。
ですから半島では国民国家としての国民教育も行われず、そこに住む半島人も、ですから自分たちが李朝の国民であるという意識も認識もありません。
そういう情況ですから、戦いが始まっても、半島人にとっては、外国人たちが自分たちの土地で勝手に戦っているという認識程度しかなかったし、まして国を守るなどという意識も認識も、まったく存在しなかったのです。
その意味では「秀吉の朝鮮征伐」という言葉も、もしかすると正確には「秀吉の明国征伐」であって、その戦いの場が半島であったという認識のほうが、正しい歴史認識といえるかもしれません。
お読みいただき、ありがとうございました。

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