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その最初の石杖となった人は、名もなく石像もなく、特段の懸賞もありません。
それでも努力を重ね、その努力が世代を経て大きな果実となって稔っていったのが、我が国の文化・学問の歴史です。

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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)
谷 時中(たに じちゅう、1598-1650)は、土佐出身の、戦国から江戸初期を生きた儒学者です。
戦国時代、我が国の価値観が混乱し、人を殺したり怪我をさせてもとにかく強ければ良い、強ければ赦されるという、不可思議な道徳観が蔓延しました。
人々の欲望が刺激され、人は己の欲得のために生きるものという気風が高まり、周辺国からやってきた人々が国内でありえないような犯罪を犯して逃げていくことが日常となった時代でもありました。
ちなみにお伊勢様の式年遷宮は、太古の昔より国費をもって営まれてきました。
ところが国費で行われない時代が、我が国の長い歴史において、二回だけあります。
一度目が応仁の乱に始まる戦国時代の100年です。
二度目が大東亜の敗戦後の74年です。
つまり戦国期は、戦後の日本によく似ているということです。
そうした戦国時代にあって、「師道」を根本にして我が国の価値観、道徳観を取り戻そうとしたのが谷時中です。
どんなに社会的に身分が高くても、学問の場では師匠が上。
たとえ相手が大名で、師匠が農民の出であっても、学問の場では師匠が平気で殿様を呼び捨てにする。
同様に、社会において、上長の前では、部下は必ず常に平伏する。
それが谷時中の「師道」です。
谷時中は儒者ですが、ここがChinaの儒教と、日本的儒学の根本的に異なるところです。
Chinaの儒教は、兎にも角にも人は上下関係を根本にするというものです。
ですから師匠であろうがなかろうが、殿様の方が身分が高ければ、殿が上、師匠が下です。
日本でそうはならないのは、日本では、神々のもとにあらゆる階層の人はすべて人として対等であるというシラス国を根本としているからです。
そのシラスを根本として、その中に上下関係のウシハクを置きます。
こうすることで秩序が生まれるとしてきたのが、日本だからです。
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要するに谷時中もまた、林羅山と並んで、単にChina式の儒教をありがたがる学者ではなく、我が国の歴史伝統文化に即して、日本的に読み替えて世に秩序をもたらそうとした実学を根本とする人であったわけです。
そんな谷時中は、彼の師匠から次のような教えを受けたそうです。
「財は人を殺し、身を滅ぼす。
すなわち財を得て身を滅ぼすよりは、
財なくして安全に生きる方が
ましであるというがいかに。」
このとき時中は、次のように答えました。
「財には、もとももと人を殺す心はありません。
人々が貪欲におちいるから自らの敗亡を招くのです。
たとえば明灯は、蛾を殺しますが
これは蛾が自ら火に飛び込んでいるものです。
このことこそ真に憐れむべきことです。」
これを聞いた師匠は、時中の明晰に感心したそうです。
上下関係を尊ぶ儒教界にあって、谷時中は、誰と接するときも同じ態度で、相手が上だからと妙に謙遜してへりくだることもないし、相手の身分が低いからと横柄な態度をとることもない人だったのですが、このためにあるとき、武勇豪傑をもって鳴る人が、時中に大いに怒ったのだそうです。
「売僧、貴様は何の徳があって生意気な口をきくのか、
そのワケを説明せよ。
もし納得出来る答えがないのならば、
貴様の身と首は、所を異にすると思え」
そう言って、武士が白刃を時中の喉元に突きつけると、時中は顔色ひとつ変えずに、
「貴方が殺したいと思うのなら、
そのようにされるが良い。
死ぬことも生きることも、
同じひとつのことです。
それなのにどうして私が
死を恐れることなどあると思うのですか?」
と、ケロリとしている。
そのあまりに飄然(ひょうぜん)とした態度に、その豪傑は逆に恐縮して刀を納めたそうです。
時中が生きた時代は、関ヶ原から大阪冬の陣、夏の陣と戦乱が続いた時代で、この時代、書を得るということはとても難しい時代でした。
それでも時中は、京の都や大阪、長崎にまで書を求め、多くの蔵書を得ようとしました。
そのためには、たいへんな費用がかかります。
ついには、家の田畑の多くも転売しています。
ところが時中は、
「私は田畑の数百石を子孫に残すのではない。
聖賢の書を読み、道義を解明し、
これをこそ後に伝えるのだ」
そう言って、ついには、食べていくのに必要な田畑だけを遺し、あとは全部売り払ってしまったそうです。
このような時中を慕って南学塾には、多くの生徒が集まりました。
土佐の殿様がその名声を聞いて、時中を藩で召し抱えようとして使者を送ったときのことです。
時中はその使者に答えました。
「禄を藩からいただいている者が家臣ではありません。
国にある民を「市井の臣」といい、
野にある民を「草莽の臣」といいます。
彼らは等しく藩侯の民です。
私はたまたま儒学を説き研鑽をしていますが、
いまだ学問は未熟で、
王侯の師範に足りるものではありません。」
と、官位を断っています。
この態度は歳を重ねても変わらず、ただひたすらに真実を求め続けました。
そして谷時中が確立したもののひとつが、冒頭の「師道」です。
谷時中は、
「師弟の間は君臣の如し」
と説き、相手が藩の重役であっても、平然と呼び捨てにしました。
これが無礼であると、刃を向けられたことも、一度や二度ではなかったといいます。
けれどもこのときに谷時中が確立した師弟の道は、後に「童子教」として日本全国における教育の基本となり、いかなる場合においても、師匠の前にあっては、礼を重んじ、襟を正して正座するということが、あたりまえの常識となっていったのです。
このブログでもご紹介した野中兼山、山崎闇斎なども、みな、この谷時中の門下生です。
そして幕末に至るまで土佐藩が裕福な藩でいられたのは、その野中兼山の活躍によるものであり、また、山崎闇斎は水戸学、国学に強い影響を与え、これが本居宣長、賀茂真淵とつながっていきました。
時中は、江戸時代の初期にあたる慶安2(1650)年、52歳でこの世を去りました。
谷時中の書は、6巻の文集と、4巻の語録がありますが、これらはすべて門弟たちが収録したものです。
ひとつの偉大な魂が、次の門人を育て、新しい時代を築くということがあります。
その最初の石杖となった人は、名もなく石像もなく、特段の懸賞もありません。
それでも努力を重ね、その努力が世代を経て大きな果実となって稔っていったのが、我が国の文化・学問の歴史です。
学問は個人が名声を得るためのものではなく、また他人から評価いただくものでもありません。
どこまでも身を律し、次代を築くのが学問です。
そして、いま、日本を取り戻そうと、忙しい日々の時間を割いて、学ぶことに精をだしておいでになる皆様こそ、新しい日本を、そして新しい世界を築く、石杖となる志士であり獅子です。
それともうひとつ。
戦国を終わらせた原動力は、シラス国日本を取り戻そうとする、大きな力でした。
ただ、そのためにはもうひとつ、シラスを教えるための師道というウシハクが必要でした。
シラス、ウシハクは対立概念ではありません。
両者が整ってはじめて大事が成るのです。
また、日本を取り戻す原動力となるものは、決して外圧のみではありません。
ひとりひとりの日本人の自覚の覚醒こそが、日本を取り戻すのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
※このお話は2017年1月の拙ブログ記事のリニューアルです。

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