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第三回『孝行とは何か?』
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20181005 未来世界
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旧勢力は、再び権力を取り戻そうと、あらゆる力をつくします。
国家ごと、そういう国も存在します。
けれど、ひとたび目覚めた民衆は、おそらく二度と、支配され、収奪されることを好まない。
つまりこれは、世界の形が変わるということです。

【お知らせ】
<東京・倭塾、百人一首塾他>
東京の倭塾・百人一首塾は10月から会場がタワーホール船堀に変更になります。
10月8日(月)13:30 第55回 倭塾 研修室 1330-160
10月27日(土)18:00 第30回 百人一首塾 407会議室
11月13日(火)18:00 第31回 百人一首塾 307会議室
11月25日(日)18:00 第56回 倭塾 研修室
12月6日(木)18:00 第32回 百人一首塾 301会議室
12月24日(月)13:30 第57回 倭塾 研修室
<関西・倭塾>
8月10日(金)19:00 倭塾・関西 第一回 (IK歴史勉強会 十七条憲法と創生の神々)
9月9日(日)14:00 倭塾・関西 第二回 (IK歴史勉強会 イザナギ・イザナミと古代の朝鮮半島情勢)
10月19日(金)19:00 倭塾・関西 第三回 (IK歴史勉強会 大航海時代と大国主)
11月9日(金)19:00 倭塾・関西 第四回 (IK歴史勉強会 唐の皇帝と日本の天皇)
12月8日(土)14:00 倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)
<国内研修>
12月16日(日)~17日(月) 一泊二日 神話を体感する会
11月の倭塾関西の日程が11月11日(日)から、11月9日(金)19時に変更になっていますのでご注意ください。

近現代史を俯瞰するとき、どうしても語りとして避けて通ることが出来ないのが江戸時代です。
なぜなら歴史(History)とは、過去の出来事を説明するストーリー(story)だからです。
過去の事件や事実などは、歴史上、何の脈絡もなく忽然と起きたのではなく、その出来事が起こるためには、そこに至る過程があり、出来事があり、そしてその出来事がその後に及ぼした影響があるからです。
ひとくちに近現代史と言いますが、これは明治維新から終戦までを意味する近代史と、終戦から今日までの現代史を合わせた言葉です。
その前の江戸時代の日本のことは、近世と呼びます。
従って、明治維新を語るにあたっては、その前の近世日本から解きほぐし、近代史、現代史を俯瞰して、未来の日本や世界を考えるといった取り組みが必要になります。
その歴史の展開に、嘘や間違いがあると、過去の事実の再現ができなくなります。
ですから歴史を語る上においては、過去の事実の再現性が大事です。
たとえば韓国では、朝鮮戦争は日本の侵略による植民地支配との戦いであったと学校の歴史で教えていると言われていますが、もしそうであるならば、具体的に日本が侵略した事実を示さなければならなくなります。
ところがそのような事実がない。そうなると事実を捏造しなければならなくなるわけです。
また、朝鮮戦争が日本と戦ったとするならば、なぜいま半島が北と南に分かれているのか、その合理的な説明が必要になります。
さらに朝鮮戦争は、米国と北朝鮮が38度線で停戦して現在に至りますが、なぜ南朝鮮が停戦当事国ではないのか、それが日本とどのような関係にあるのかもまた、説明の付かないものになります。
つまりその歴史認識は、過去の出来事についての合理的再現性を欠くわけで、そうであれば、それは歴史ではなく、捏造したただのファンタジーだということになるわけです。

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同様に、先の大戦において、卑怯卑劣な日本という枢軸国が世界を支配しようとして東亜諸国を一方的に支配したとき、米国というヒーローが現れて、世界の先進諸国を連合し、悪の枢軸国を叩きのめして世界に平和を築いたという歴史認識があります。
しかし、そうであれば、なぜ日本が世界を支配したといえるのか、そもそも東亜諸国の民衆の自主独立はあったのか、日本が戦いを起こしたからヒーローが登場したといえるのか、逆にそのヒーローが仕掛けたという面はなかったのか、また悪の枢軸国を叩きのめして世界に平和を築いたというなら、どうして世界がその後すぐに東西冷戦となったのか。
そうした諸点に関する合理的な説明が必要になります。
それができないのなら、やはり歴史の再現性に欠け、それは歴史認識として、正しくない、ということになります。
いくら勝者が歴史をつくると豪語したところで、その勝者に非道があれば、そこでできた歴史認識には、必ず洩れや矛盾が生じ、歴史を再現することができなくなります。
そこで言い訳として利用されるのが、「人間は完璧な生き物ではない」(笑)。
しかし人間が完璧であろうがなかろうが、合理的に過去を再現することが歴史です。
なぜならそうすることで、歴史ははじめて、我々が未来を拓く鍵となり得るからです。
また、家庭内の歴史を考える上でも、仕事や同居していない親戚との関係が不可欠であるように、一国の歴史を考える上で必ず必要なことが、周辺国や世界の動きです。
このことは、たとえば江戸日本が鎖国をしていたということなど、関係ありません。
鎖国をしていても、日本は長崎に窓口を拓いて、常に世界の趨勢をキャッチしていたのですし、ましてそもそもどうしてペリーが黒船で日本にやってきたのかの背景にあることを踏まえなければ、幕末さえも語ることができません。
さて、歴史を考えるとき、個々の事件や事故等についてを考える見方と、歴史全体を大きく俯瞰的に見る見方があります。
そこで、日本と世界についてを、大きく俯瞰的に考えてみたいと思います。
19世紀には、世界には有色人種国で独立を保っているのは、日本とタイだけという状況になっていました。
このうちタイは、王室がすでに力を失い、王室は保たれていたものの、実質的には英国の支配する植民地に近い状態です。清国に至っては、国土の大半を既に英仏等にもぎとられ、王室内にも英国が影響力を持っていました。
ちなみにこの時代、李氏朝鮮は植民地支配されていない国だったという人がいますが、当時の李氏朝鮮は清国の属国ですから、清国が堕ちていれば、李氏朝鮮も堕ちたと同じことになります。
むしろ無事だったのは、当時の半島が産業も産物もなく、国民の民度が極端に低くて町は糞尿まみれで異臭が漂うという状況で、欧米諸国から見て植民地にするメリットが何もなかったということも大きな理由のひとつです。
つまり19世紀の時点で、純粋に独立を保っていた有色人種国は、世界の中で日本だけ、という状況だったのです。
そこへ嘉永6年(1853年)に、黒船が来航しました。
ペリーの乗った船が日本を目指してやってくること自体は、ペリーの出発時点から、日本はすでに情報をキャッチしていましたし、江戸時代を通じて、欧米諸国は何度も日本にやってきて開国を迫っていましたが、日本は、これらをすべてはねつけています。
ところがペリーのときだけは、日本は大慌てとなり、ついには開国に踏み切っています。
なぜそうなったかには、明確な理由があります。
よく、鉄の船が海に浮かぶことが信じられないことだったとか、蒸気で動く船に驚いたとか、わけのわからないことを述べているものがあったりしますが、鉄でできたご飯を炊くときに使うお釜がちゃんと水に浮かぶことくらい、江戸時代なら誰でも知っていたことです。
また蒸気を動力にすることも、江戸時代の終わり頃には、日本ではすでによく知られていたことでした。
ではペリーのときにだけ、どうして幕府が慌てたのかと言うと、これには明確な理由があります。
ペリーの黒船が「ペクサン砲」を積んでいたからです。
その時代までの大砲は、オリンピックの砲丸投げと同じで、ただの鉄の球を打ち上げて、放物線に乗って下に落とすというだけのものです。
ところがペクサン砲は、炸裂弾を水平に発射することができる。
江戸の町は木造家屋です。
しかも人口密度が高い。
その木造家屋のど真ん中に、炸裂弾を打ち込まれたら、江戸の市街は大混乱に陥ります。
もとより将軍職というのは、天皇の「おほみたから」である領土領民を預かっている立場です。
つまり天皇の「おほみたから」である民衆が、豊かに安全に安心して暮らせるようにしていくのが将軍の勤めであり、そのための政務を執る場所が幕府です。
その将軍家の幕府のあるお膝元にペクサン砲を打ち込まれたら、それこそ一大事です。
しかもペリーは江戸湾に軍艦を浮かべました。
江戸の町は、消費都市で、農作物などの食料は、船で輸入していました。
当時の商業は、あらゆる農産物や産業生産物は、いったん大阪の町に運ばれ、そこから全国へと出荷されていました。
江戸も、大阪からの納品物で町の衣食が賄われています。
つまり江戸湾(現・東京湾)が戦場となれば、江戸湾が封鎖となり、江戸庶民はたちまち餓えてしまう。
そこへペクサン砲を打ち込まれたら、たいへんな事態になるのです。
だから幕府は大慌てでペリーと交渉し、いったんはペリーに沖縄へと去ってもらっています。
ペリーが1年の猶予で、いったん沖縄に引き上げたことには理由があります。
当時、江戸湾に黒船が来たというニュースは、江戸の人々をたいへんに沸かせました。
それで、まるで隅田川の花火大会でも観に行くかのノリで、江戸の人々が群れをなして黒船見物にでかけました。
その人々は、髪型がちょんまげです。
この様子を沖にいるペリーの黒船から見ると、黒山のような人が陸に集結し、誰もが皆、人を盾にして頭部から銃を艦隊に向けているような様子に見えます。
いくら艦隊の火力が大きくても、何万といる人を一気に殲滅することは当時の艦隊火力ではできません。
それで、いったん沖縄に戻り、フィリピンに展開していた他の艦隊を呼び寄せて、艦隊戦力を増強して、あらためて日本に向かうことにしています。
ペリーがいったん去った間に、幕府は江戸湾の防衛のための砲台として築いたのが、いまも残るお台場です。
お台場には3つの島がありますが、3つとも人工島です。
いま東京タワーが建っている高輪のあたりの山を崩して、そこから土を運んでお台場の人工島と築いたのです。
お台場の島は、わずか半年で完成していますが、まだ建設重機などなかった時代です。
すべて人力で、あれだけの島を、わずか半年で築いてしまったのですから、日本、おそるべしです。
こうして日本は開国に踏み切るのですが、あまりに欧米諸国と国力が違う。
そこで2つの意見が対立します。
実際には、もっと多様な意見があったのですが、最終的に2つに収れんしました。
それが、徳川幕藩体制のまま欧米列強と対等な国家を築くという意見と、農民も含めた挙国一致体制で欧米列強に追いつくという意見です。
前者が佐幕派、後者が薩長土肥です。
よく、戊辰戦争は尊王攘夷派と、佐幕開国派の戦いであったと説明する人がいますが、これは歴史認識としては、おかしなものになります。
なぜなら戊辰戦争で尊王攘夷派が勝って明治政府を作るのですが、その尊皇攘夷派は、攘夷どころか積極的な開国政策を採っているからです。
ここはよく間違えるところで、そもそも幕府側も薩長側も、ともに尊王であることに変わりはありません。
また、幕府は朝廷の機構ですから、尊王というのなら幕府の否定もできません。
なぜなら幕府も将軍も天皇による親任だからです。
戊辰戦争後、薩長が幕府に代わって政務を執るようになり、明治が始まりました。
明治政府は、江戸時代を全否定した時代です。
江戸時代に正しいとされたものは、ことごとく否定され、ひたすら欧化政策が採られ続けました。
そして近代化によって国力を付けた日本は、度々日本を軽んじて挑発的な態度をとる清国と戦い(明治27年・1894年)、陸軍大国であるロシアとも戦って(明治37年・1904年)勝利をおさめました。
とくに日露戦争における日本の勝利は、植民地支配に苦しむ世界の有色人種国に多大な影響を与えています。
そして第一次世界大戦(大正3年・1914年)の勝利のあと、日本は大戦後の世界を決めるパリ講和会議(大正8年・1919年)で、世界に向けて「人種の平等」を高らかに宣言せよと迫ります。
ところがこのことは、当時の世界を牛耳っていた欧米諸国にしてみれば、大航海時代以来500年続いた植民地の利権を、有色人種国家である日本が頭ごなしに否定してきたことを意味します。
500年続けば、植民地に大農園を所有する一家は、もう昔からの大貴族です。
日本の主張は、それを全部手放せというわけです。
ここから日本は正式に、欧米列強諸国の敵になりました。
そして日本は追い詰められ、強引に第二次世界大戦に引きずり込まれます。
第二次世界大戦が勃発したのは、昭和14年(1939年)9月1日です。
日本がやむなく開戦に踏み切ったのは、昭和16年(1941年)12月8日です。
そこに2年3ヶ月の間があります。
ところが開戦に踏み切った日本は、猛烈に強く、緒戦において、東亜にいた欧米諸国をまたたく間に駆逐すると、東亜諸国の若者たちに、民族国家としての独立に必要な軍事や、独立後の行政について徹底的な指導を行いました。
戦争は3年8ヶ月続き、昭和20年(1945)8月15日、日本は自主的に矛をおさめて、敗戦となりました。
ところが、日本が去った後の東亜諸国に戻ってきた欧米諸国は、それぞれの地で猛烈な抵抗にあい、結果として、東亜の植民地をすべて失いました。
さらにその余波は中東やアフリカにも及び、中東やアフリカの諸国も、次々と独立を果たします。
そうなると、欧州や米国に、それぞれの国の大使館が建つようになります。
米国において、黒人たちは市民権を与えられていませんでしたが、ところがアフリカの大使は、黒人でありながら、一国の大使として、つまり人として処遇されるわけです。
そうなると米国に住む黒人たちからすれば、同じ黒人なのに、どうして差別されるのかということになり、ついに、昭和39年(1964年)、米国は黒人たちに公民権が与えられました。
その後も差別は続きますが、法的には、黒人の人種差別は、ここではじめて世界的に撤廃されるわけです。
こうして世界は、有色人種が、自分たちの国家を営み、それぞれの諸国が産業を育成し、国民教育を振興して、21世紀になる頃には、すっかり白人だけでなく、イエローもブラックも、同じ人間として認められる世界が形成されていきました。
そしてその間、日本はと言うと、二度と立ち上がれないほど、本土を焼土にし、外地から600万人もの失業者を国内に抱えるという惨憺たる状況の中で、新たに戦後体制が構築されました。
この戦後体制というのは、GHQの方針もありますが、とにもかくにも、戦前戦中に正しいとされたことを、全否定するという体制です。
従って明治以降の日本は、明治時代に江戸時代が完全否定され、戦後に明治から終戦までの時代が完全否定されるという二重の否定が行われたわけです。
普通、否定の否定は肯定です。
ですから江戸日本は、戦後においては肯定されそうなものですが、そうはならず、戦後日本は江戸も否定、明治以降も否定、それどころか鎌倉時代以前の文化の香り咲き誇った大和、飛鳥、奈良、平安の各時代も、それらはすべて古代以前の先史時代だと切り捨てるという横暴が行われました。
これが何を意味しているかと言うと、要するに日本は戦後に誕生した、歴史のない新しい新興国だとしたいわけです。
そのためにたいへんな資金が使われ、なんとかして日本人を民度の低いアホにしようとしたわけですが、もともと古い歴史を持った日本人がそうそう簡単に変わるわけもなく、東日本大震災のときには、まさに世界に向けて、歴史ある民族である日本人の民度の高さを証明してしまったわけです。
しかもその日本人は、戦後の焼け野原から、またたくまに国土を復興させると、経済の分野においても世界第二位の大国となりました。
なるほどChinaは、文化大革命当時は世界の極貧国のひとつだったのに、この20年で急激な成長を果たして、いまや自称世界第二位の経済大国ですが、その内訳は、他国の産業の簒奪による経済の発展です。
ところが日本経済の発展は、不思議な事に、戦後も一貫して、競争はあっても簒奪がありません。
この違いは、これからの世界に、大きな影響を及ぼすものと思います。
と、ここまでが現代までの流れです。
では、これからの日本と世界はどうなっていくのでしょうか。
植民地支配がその典型ですが、力のある者が、力のない者を支配し、その力のない者たちから収奪をしてますます力を付けていくというのが、これまで何百年かの世界の趨勢でした。
そうした世界にあって唯一日本だけが
「人は対等な存在であって、
 民衆の幸せこそがクニの幸せ」

という社会を実現してきました。
ここでいう「クニ」というのは、いわゆる国家としての「国」ではなくて、比較的大きなかたまりとなる共同体を意味します。
しかし、いまもなお、一部の人の利益のために、その他の圧倒的多数の人々から収奪を繰り返すという体制は、世界には色濃く残っていますし、日本にもそのような外来文化に染まって、他者を顧みない自己中が横行するようにもなってきました。
半島でもそうでしたし、南米や北米でもそうでしたが、そうした末端の人々こそが「おほみたから」であって、人々の幸せこそが共同体であるクニの幸せという社会形態は、半島では濊族の、南北米では欧米列強の武力の前にはかなく、失われていきました。
ところが世界の諸民族が、自由とある程度の富と教養を得、さらにネットの普及によって、一部の大金持ちや権力者たちによる情報操作が不可能になりつつあるいま、あらためて倭種・倭人たちのもっていた、末端の人々の幸せこそが国家の幸せであり、世界の幸せであるという概念が、世界に広がりつつあります。
もし先の大戦で日本が戦争に勝っていたら、そうはなりません。
日本がいくら、民衆の幸せこそが国家の幸せなのだと説いたところで、所詮は武力による支配としてしか世界からは認識されないのです。
そして力による支配は、力によって滅ぼされます。
つまりもし日本が勝っていたら、覇者の交替にしかならなかったのです。
ところが日本が戦争に負けていながら、世界から植民地支配を失わせ、さらに経済的にも大成したという事実、そして現代世界の、有色人種国家それぞれの繁栄を見れば、それは覇者の交替ではなく、世界の力学の構造そのものへ変化をもたらしたとしか言いようがない出来事です。
旧勢力は、再び権力を取り戻そうと、あらゆる力をつくします。
国家ごと、そういう国も存在します。
けれど、ひとたび目覚めた民衆は、おそらく二度と、支配され、収奪されることを好まない。
つまりこれは、世界の形が変わるということです。
そして人類は、権力の首に鈴を付けるためには、権力よりも上位に権威という存在が必要であることに気付きます。
それが、日本が倭種・倭人と呼ばれ、我々日本人が自分たちの住む世界のことを葦原中国とか、大倭と呼んでいた頃から続く、日本の「シラス(知らす、Shirasu)」という統治です。
世界は日本から離れて、支配と収奪の歴史を繰り返し、いま再び、民衆の幸せこそがクニの幸せという、祖代から日本に続く国の形に目覚めていくのです。
それが近未来の世界の新しい枠組みになっていくものと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
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