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今日は8月の最終日なので、とても大切なことを書きます。
それは「日本が行ったこと、これからしなければならないこと」です。
内容はご一読いただければと思います。
個人的には保存版です。

◆【お知らせ】◆
<東京・倭塾、百人一首塾他>
9月15日(土)18:30 百人一首塾 第29回
9月23日(日)13:30 第54回 倭塾・東京 第54回
東京の倭塾・百人一首塾は10月から会場がタワーホール船堀に変更になります。
10月8日(月)13:30 第55回 倭塾 研修室 1330-160
10月27日(土)18:00 第30回 百人一首塾 407会議室
11月13日(火)18:00 第31回 百人一首塾 307会議室
11月25日(日)18:00 第56回 倭塾 研修室
12月6日(木)18:00 第32回 百人一首塾 301会議室
12月24日(月)13:30 第57回 倭塾 研修室
<関西・倭塾>
8月10日(金)19:00 倭塾・関西 第一回 (IK歴史勉強会 十七条憲法と創生の神々)
9月9日(日)14:00 倭塾・関西 第二回 (IK歴史勉強会 イザナギ・イザナミと古代の朝鮮半島情勢)
10月19日(金)19:00 倭塾・関西 第三回 (IK歴史勉強会 大航海時代と大国主)
11月9日(金)19:00 倭塾・関西 第四回 (IK歴史勉強会 唐の皇帝と日本の天皇)
12月8日(土)14:00 倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)
<国内研修>
12月16日(日)~17日(月) 一泊二日 神話を体感する会
11月の倭塾関西の日程が11月11日(日)から、11月9日(金)19時に変更になっていますのでご注意ください。
国家間の戦争は丁半博打(ばくち)ではありません。
国家がその目的とするところを達成するために、あらゆる国力を傾注して行う国際政治問題解決のための最終手段です。
ところが先の大戦について、日米戦争時の日米の工業力等の国力の違いをあげて、
「日本は負けるべくして負けた」
などとしたり顔で言う人がいます。
ところが日米開戦時の太平洋における日米の戦力は以下の通りです。
はっきり言って日本側が完全に有利です。
実際、緒戦の日本は負け知らずの勝利の連続でした。
日 米
戦艦 10 9
空母 10 3
重巡 18 12
軽巡 12 8
駆逐艦 90 65
潜水艦 65 30
ーーーーーーーーーーーーーーー
小計 205 127
航空機 4800 5500
このようなことを申し上げるとすぐに言われるのが「歴史にIFは禁物」という言葉です。
誰が言い出した言葉か知りませんし興味もありませんが、この言葉は戦後日本に定着した日本人をだめにする最悪の宣伝言葉であったと思っています。
歴史は、ただ年号や事件名を暗記することが目的なのではなくて、歴史の当事者となって「もし〜なら」と考えることで私達は過去の歴史を活かすことができるのです。
「過去はすでに起きた未来、未来はこれから起こる過去」とは手塚治虫の言葉ですが、過去に学ぶことで私達は未来を知ることができるのです。
それは、単に年号の丸暗記や、過去への批判や中傷からは絶対に生まれないことです。
つまり「歴史にIFは禁物」ではなくて、「歴史はIFで学ぶもの」なのです。
さて、話を戻して、日本は大東亜戦争の緒戦で大勝利の連続でした。
また開戦も、それ自体は決して無謀なものではありませんでした。
米国に対してはフィリピン戦で、またたく間に日本が勝利しています。
海軍力にしても、こと太平洋に関しては戦力は日本側が有利でしたし、戦いも日本が有利に進めていました。
問題はここからです。
仮にもし、日本が開戦時の真珠湾で、真珠湾にある基地施設のすべてを破壊し、さらに米本土にまで休まず奇襲を行ない、米空母を徹底的に追い詰めていたら、その後の戦いはどのようになっていたでしょうか。
あるいは昭和20年1月に、日本は先帝陛下のご決断で原爆開発を無期停止していますが、もし仮にこれを停止せずに開発を続け、さらに原爆を用いていたら、その後の展開はどのようになっていたでしょうか。
原爆の完成の頃、沖縄戦が起きていますが、沖縄本島の沿岸に米艦隊は密集して集結していました。
この米艦隊の真上で原爆を炸裂させたなら、米艦隊はその瞬間に壊滅です。
米海軍のいない太平洋を渡って、米本土に原爆を投下するか、戦争を終わらせるかの選択を迫っていたら、果たしてどのような結果になっていたでしょうか。
あるいは、さかのぼって開戦前に、日本がソ連と不可侵条約など結ばず、当時ドイツに追い詰められて既に青息吐息となっていたソ連をアジア側から攻撃していたら歴史はどうなっていたでしょうか。
ほぼ100%の確立で、ソ連はドイツと日本の東西の挟み撃ちによって壊滅し、西側はドイツ領、シベリアを含む東側は日本領になっていた可能性すらあります。
この場合、ソビエト連邦は消滅しますから、その後のスターリンによる粛清もないし、ソ連によってつくられた人造国家である北朝鮮も中華人民共和国も存在しません。
そうであれば、ソ連の粛清も、毛沢東の文革も起こらず、両国で失われた2億の人命は助かった可能性すらあります。
そして対ソ戦でドイツが勝利した場合、これまた間違いなく英国もドイツによって滅ぼされています。
ヨーロッパ全土には、ドイツの「卍」の国旗がはためいたかもしれません。
そして戦後の世界は、米ソの対立による冷戦ではなくて、日独の対立による冷戦に至っていたかもしれない。
いずれにせよ世界の地図は大きく変わり、同時に(ここが肝心ですが)、武力が世界を制圧するという結果になったものと思われます。
なぜなら、究極の武力闘争である戦争によって、世界の支配体制が構築されるからです。
もうすこしわかりやすく言うなら、世界の植民地支配者が、欧米列強から日独に変わるという変化が起こる。
しかし、それは神々の望む世界だったのでしょうか。
あるいは日本が大東亜戦争をしないという選択肢もありました。
ただし条件があります。
次の3つです。
1 日本がChinaから完全撤退する。
2 東アジアにおける欧米の植民地支配を認める。
3 日独伊三国同盟を破棄する。
要するに当時の米英にとっては、ドイツと同盟関係にある日本が、ソ連戦に参戦することが最大の脅威だったのです。
また日本が強国として西洋諸国のアジアへの植民地支配や人種差別に抵抗することが彼らの利権を脅かしているのだと考えられていました。
なにせ500年続いた支配なのです。
いわば先祖伝来の権益を、そう安安と手放せれるはずもありません。
また、Chinaの北の外れの満州が、ただの荒れ地だったものがいきなり、一大農業国となり、豊かな国になったのです。
そうであるならば、もっと南側のChinaの中原地域を上手に支配すれば、そこから無限の農作物を得ることができる。
つまり欧米列強にとって、China支配は垂涎の的でもあったのです。
従ってこの3つを日本が承認すれば、先の大戦は回避できた可能性があります。
あるいは開戦に至ったとしても早期に講和を図ることができた可能性すらあります。
ただしその場合に最低限必要な条件は、
「以後日本は、一切の東アジア諸国民への援助をしない」
という意思表示です。
日本は、どこぞの国と違って、約束を守る国です。
その点は欧米諸国も信頼できたことでしょうし、もし日本がそのようなカタチで早期講和を実現していたのなら、もちろん日本はいまも大日本帝国のままですし、GHQに占領されることもなかったし、本土を空襲されることもなかったことでしょう。
そのかわり・・・です。
東アジア諸国もアフリカ諸国も、米国の黒人社会も、西暦2018年の今日においてなお、欧米列強の植民地のままであり、日本人以外の有色人種は差別され、一切の私有財産が認められず、教育も与えられず、人ではなく牛馬と同じ動産として扱われていることでしょう。
また、日本が日独伊三国同盟を破棄してむしろ米英仏蘭の側に立つという選択をした場合、日本はChinaへの権益は失いますが、満州の権益は保持できた可能性もあります。
なぜなら膨張するソ連に対する東アジア側からの防波堤に、日本と満州がなり得るからです。
ただしその場合Chinaから、繁栄する満州や日本統治下にある朝鮮半島に、大量のChina難民が押し寄せるであろうことが容易に推察できます。
これは日本にとっては、非常にやっかいな問題となったことでしょうし、ソ連はむしろ裏からこれを利用して社会の対立や混乱を煽ったことでしょう。
日本本土を含め、日本領内では武装テロが頻発し、閣僚が足を爆弾で吹き飛ばされるといった事件が相次いだ可能性も否定できません。
武力による抵抗は、武力による制圧を招きます。
そしてその両当事者の一方は、人ではなく、ただの動産として認識されている人々です。
つまりどういうことかというと、日本が大東亜の戦いを回避したとしても、早期に講和したとしても、あるいは戦いに勝利したとしても、「世界の植民地支配は続いた」ということです。
けれど実際に起きた歴史は、それらとはまったく異なる結果でした。
東アジア諸国に進出した日本は、彼らに民族自立自存のために必要な教育や教練を施したし、彼らの民族自立の支援を約束しましたし、彼らの自立独立のための支援を惜しみませんでした。
なぜなら日本が欧米列強と講和することは、欧米諸国の東アジアにおける権益を認めるということであったからです。
そしてそのことは、自立を望み、植民地支配からの脱却を望む東アジア諸国民に対する日本の裏切り行為となることであったからです。
現実の世界は勝てば官軍です。
勝ってしまえば、裏切ったの、悪事を働いたのなど、まったく関係なくなります。
文句をいう者は殺せばいいだけだからです。
それが世界の現実ですし、文句を言う側の被支配民族は人でなく、ただの動産です。
しかし日本にはそのような理不尽はできませんでした。
ドイツに呼応してソ連に進撃してシベリアを制圧することもしなかったし、アジアの人々を裏切ることもしなかったし、原爆を開発し使用することもしなかったし、日本本土まで焼土にしてしまいました。
ところがそれでいて日本は、戦争の目的である「世界の植民地支配を終わらせる」という現実を実現してしまったのです。
冷静に考えてみていただきたいのです。
「20世紀における世界史上の最大の出来事」
とは何でしょうか。それは、
「世界から500年続いた欧米の植民地支配が消滅したこと」
ではないでしょうか。
しかもそのことが、新たな支配者によって別な統治が行われるようになった、つまり「支配者の交代」という形ではなくて、人が人を動産として支配し所有するという、なんと「人類社会が奴隷制度を生み出した何千年も前からの人類社会のシステム」そのものを、根底からくつがえしたものであったということは、これは驚愕すべき事実です。
人類が奴隷制度を生み出したのは、一説によれば紀元前4千年頃からだったといいます。
ということは、日本はなんと、
「世界に6千年続いた、人が武力で、人を動産として支配する」
という社会制度を、先の大戦で根底からくつがえしてしまったのです。
こうした巨視的な視点に立つとき、はたして日本は、先の大戦において「選択を誤った」のでしょうか。
むしろおもいきり巨視的な、いわば神々の視点に立って世界を俯瞰(ふかん)したとき、20世紀に起こった出来事は、
「世界最古の文化文明と歴史を持つ日本が、
世界に蔓延した
人が人を動産として奴隷支配する
『ウシハク支配』を終わらせた」
という大きな歴史的大転換であったということができるといえるのです。
なるほど日本は戦いに負けたと言われています。
しかしよくよく考えれば、日本は戦いに負けたのではなく、戦いに自ら幕を降ろしたのです。
だから8月15日は敗戦の日ではなく、終戦の日です。
勝ち負けや、どっちが上でどっちが下かという、さもしい発想しかないと、戦いに「勝ったか負けたか」ばかりにしか目が行かなくなります。
しかし「神々の目線」と書きましたが、歴史を大きな目で俯瞰してみるとき、大事なことはドンパチで勝ったか負けたかではなく、その結果、何が起こったのかです。
そして起きた事実は、間違いなく
「世界の植民地支配と奴隷支配の終焉」
です。
いま世界の有色人種は背広を着、自由と繁栄を謳歌しています。
振り返ってみれば、日本は、世界に6千年続いた人類社会の基本システムであり同時に人類社会の大きな歪みであったものを、わずか3年半の戦いで、世界から駆逐してしまったのです。
しかもその戦いの後、日本は消滅するどころか、未曾有の平和と繁栄を手に入れています。
これこそまさに神々の御意思といえることなのではないでしょうか。
おそらく人類社会は、いま、人が人を支配するウシハク社会から、もっと別な新しい社会へと大きく昇華しようとしているのだと思います。
そしてそうであれば、日本がこれからしていかなければならないことは、奴隷的支配の完全否定であり、肌の色や民族や出自で動産とされるのではなく、誰もが人として、よろこびあふれる楽しい生涯を送ることができるシラス世界つくりなのではないかと思います。
それは、支配のために生きるのではなく、よろこびのために生きる世界ということです。
武力を用いて言うことを聞かせて支配するのではなく、よろこびや慈愛をもって人と人とが互いに尊重しあい、認め合う、人が人として誰もが対等に生きることができる社会であり、誰もが豊かに安全に安心して暮らすことができる世界の実現です。
これこそが、日本が行ったことであり、これからしなければならないことであろうと思います。
冒頭に特攻隊員達の笑顔の写真を貼らせていただきました。
彼らの笑顔は、世界中の誰もが笑顔で暮らせる世界の実現のための笑顔であり、そのために命を散らせていかれたのだと思います。
そして散華された彼らの最大の願いは、世界が戦争のない平和で豊かで誰もが人として対等に暮らせる笑顔あふれる社会であったのだと思います。
そしてその彼らの想いは、いまを生きる私達に託されています。
お読みいただき、ありがとうございました。

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