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20180501 表紙完成2のコピー
日頃ねずブロで書いている事柄を、大きく包括してみました。
ご参考に。

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20180603 桜
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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)

【お知らせ】
<東京・倭塾、百人一首塾他>
6月9日(土)18:30 百人一首塾第27回
6月10日(日)13:30 チャンネルAJER 古事記に学ぶ日本型経営学/戦いの時を古事記に学ぶ
6月30日(土)13:30 倭塾・東京 第52回
7月14日(土)18:00 倭塾・東京 第53回
7月28日(土)18:00 百人一首塾 第28回
8月15日(水)ねずさんと靖国昇殿参拝
<関西・倭塾>
8月10日(金)19:00 倭塾・関西 第一回 (IK歴史勉強会 十七条憲法と創生の神々)
9月9日(日)14:00 倭塾・関西 第二回 (IK歴史勉強会 イザナギ・イザナミと古代の朝鮮半島情勢)
10月19日(金)19:00 倭塾・関西 第三回 (IK歴史勉強会 大航海時代と大国主)
11月11日(日)14:00 倭塾・関西 第四回 (IK歴史勉強会 唐の皇帝と日本の天皇)
12月8日(土)14:00 倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)

▼総論
1 日本は天皇のシラス国です。
万世一系の歴代天皇が、天照大御神直系のお血筋として神々と直接つながることをシラスといいます。
その天皇が国家最高権威となられ、国家最高権力をその下部機構とする体制がシラス国です。
日本はシラス国であることによって、民衆は国家最高権威のもとに「おほみたから」とされ、権力からの自由を得ています。
日本は、シラスによって究極の民主主義を古代から実現してきた国です。
 →権力と責任
 →日本的対等感
 →諸命以(もろもろのみこともちて)
 →高天原と同じ統治
2 シラス
何のためにシラスによって民衆に権力からの自由を与えるのかといえば、それは日本を豈国(あにくに)という、現代語に訳せば「よろこびあふれる楽しい国」にするためです。
その根拠は日本書紀に書かれています。
すなわち、イザナギとイザナミがオノゴロ島を作った目的が、まさに豈国であったことによります。
シラス国を実現するために、シラスはウシハクを内包します。
ウシハクは秩序であり、シラスに内包されないウシハクは、民衆からの収奪社会を生みます。
 →神々から与えられる試練
 →肉体と魂
3 豈国
豈国は「よろこびあふれる楽しい国」と訳すことができますが、そのためには民衆が「豊かで安心して安全に暮らせる国」である必要があります。
なぜなら民衆は誰もが「愛と喜びと幸せと美しさ」を希求するものだからです。
 →ムラとクニ
 →愛とは
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20180326 イシキカイカク大学


▼各論
1 権力と責任
権力は常に責任とセットにならなくてはなりません。
責任を伴わない権力は、無責任権力となります。
国家最高権力者が、責任を伴わない権力者であれば、その国家は国家最高の存在に国家最高の無責任者を据えていることになります。
歴代のChina王朝の統治の失敗の原因がここにあります。
国家最高権力者は、それより上位に国家最高権力者の責任を追求できる存在がなければなりません。
2 日本的対等感
国家最高の存在として天皇をいただく我が国では、民衆は天皇の「おほみたから」と規定されます。
我もたから、君もたからです。
ここから互いに対等な関係が成立します。
我が国では、男女であれ身分の上下であれ、人として臣も民も対等な関係にあります。
3 諸命以(もろもろのみこともちて)
上記のような日本的思想は古事記に依拠します。
古事記は、何事も神々の諸(もろもろ)の命(みこと)を以(もち)て行われなければならないとしています。
諸命から外れると、どんなに努力をしても、それは最終的にはすべて失われることになります。
このことも古事記の神話で語られていることです。
4 高天原と同じ統治
中つ国は、高天原と同じ統治をするようにという天照大御神の御言葉によってニニギノミコトが天孫降臨されましたが、高天原におわすのは、全員が神(八百万の神々)です。
従って中つ国においても、民衆を神々と同列に連なる者として最大限尊重したいせつに育むことが要求されています。
5 神々から与えられる試練
いくら神々が「よろこびあふれる楽しい国」を希求されたとしても、我々は人の身です。
毎日が「よろこびあふれる楽しい国」であれば、人はそれを空気のようにあたりまに感じ、そのありがたさを忘れてしまいます。
そこで神々は時に応じて、人や人々に大きな試練を与えます。
そのひとつひとつを乗り越えることで、人はよろこびや楽しさを体感し成長することができます。
6 肉体と魂
縄文以来、万年の単位での人々の営みから、私達の祖先が掴んだ明確な認識が、人は魂が本体であって、肉体はその乗り物にすぎないという考え方です。
ですから大和言葉で「からだ」とは「からだま」、すなわち魂の乗る殻と呼びます。
死んだら「ほとけ」になりますが、それは魂が肉体から「ほどける」から生まれた言葉です。
肉体はどんなに汚れ仕事をすることになったとしても、魂だけは汚さないという日本人の思想もここから生まれています。
また、いよいよ神になる直前となった高貴な魂は、意図して不自由な肉体を選んでこの世に生まれて来ます。
だからこそ我が国は古来、身障者や麻痺者を大切にするという国柄を得ています。
7 ムラとクニ
城塞都市国家を中心として歴史が営まれてきた大陸社会では、国は城壁で囲まれた中、つまり今風に言うなら国境で囲まれた中を意味します。
その中にいる人々は旅人であったり盗賊であったり、奴隷であったりしました。
従って塀の内側であっても、他人は信用できず、いきおいファミリーだけが利益を得ることができれば、ほかはどうでも良いという文化が育まれました。
我が国では縄文以来万年の単位で続いた争いを好まない文化がそのまま踏襲されたムラが地縁血縁社会となりました。
ムラの中にイエがあります。
イエには家族がいます。
イエの周囲には親戚が暮らすムラです。
そのムラの周囲にはハラがあります。
ハラは、人々に食べ物などの恵みを与えてくれる場所です。
ハラの向こうにはヤマがあります。
ヤマの向こうには、また別なムラがあります。
ムラとムラは、婚姻などによって、やはり親戚や姻戚関係になります。
その地のつながった同胞としてのムラムラが結合したものがクニです。
大陸におけるネイションとかカンパニー、あるいは漢字における國などと、日本文化のクニには違いがあることに注意が必要です。
8 愛
愛の訓読みは「めでる、いとし、おもふ」です。
愛という漢字の成り立ちは、欲しいものがあったら奪ってしまえというものですが、私達の祖先は、その「愛」という漢字に「めでる、いとし、おもふ」という大和言葉をあてました。
従って日本人にとっての愛は、愛(め)でるような気持ちで愛(いと)しく愛(おも)うことです。
英語のloveは、古英語の lufu が中英語期にloveに変化したもので、もともとは認めるとか許可するを意味した言葉といわれています。
相手を認めることがloveだというわけです。
個人やせいぜいファミリーの利得以外に求めるものがなく、そのためには他人から奪っても構わないという文化において、相手を認めファミリーの一員とすることが、もともとのloveの意味であったわけです。
日本人にとっての愛とは、深さがだいぶ異なるようです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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