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十七条憲法と日本国憲法が、同じ「憲法」という名を冠していることが、そもそも問題です。
両者は基本概念が異なります。
前者は、世の中の中心として変えてはならないまさに憲法そのものです。
後者は、GHQに押し付けられた被占領民の服務規程です。
田植えの時期に花が咲くので「田植え花」の別名があります。日本特産の花です。

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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)
◆【お知らせ】◆
5月5日(土)18:30 百人一首塾 第26回
5月19日(土)18:30 倭塾・東京 第51回
6月9日(土)18:30 百人一首塾第27回
6月10日(日)13:30 チャンネルAJER 古事記に学ぶ日本型経営学/戦いの時を古事記に学ぶ
6月30日(土)13:30 倭塾・東京 第52回
7月14日(土)18:00 倭塾・東京 第53回
7月28日(土)18:00 百人一首塾 第28回
8月10日(金)19:00 倭塾・関西 第一回 (IK歴史勉強会 十七条憲法と創生の神々)
8月15日(水)ねずさんと靖国昇殿参拝
9月9日(日)14:00 倭塾・関西 第二回 (IK歴史勉強会 イザナギ・イザナミと古代の朝鮮半島情勢)
10月12日(金)19:00 倭塾・関西 第三回 (IK歴史勉強会 大航海時代と大国主)
11月11日(日)14:00 倭塾・関西 第四回 (IK歴史勉強会 唐の皇帝と日本の天皇)
12月8日(土)14:00 倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)
戦国の昔には、戦の軍議などがありますと、軍議の前に講談師を呼んで一話読ませたものなのだそうです。
軍議といえば、生きるか死ぬかの大事な会議です。
それだけに事前に歴史物語や先人たちの活躍を聴くことで、皆のアイデンティティを統一したうえで軍議に入っていたのであろうと思います。
さて、我が国の会議といえば八百万の神々が天の石屋戸を開くために天の安の河原に集まったのが最初とされます。
おもしろいのは、このとき参加した神々と決定内容で、文意からすると、八百万の神々は全部集まったのではなく、すくなくとも悪鬼悪神などは呼ばれていないし、参加もしていません。
要するに「なんとかしたい」と思う利害関係人である神様たちだけがそこに集っているわけで、このことは、以後の日本の歴史にずっと共通する事柄になります。
つまり、会議は利害関係者が集うもの、ということが日本社会のあたりまえの伝統になるのです。
これは当然のことで、誰もが職を持って働かなければ食べていくことができないのです。
ですから寄合(よりあい)は、直接利害関係のある関係者だけが集まるものとされました。
会議は全員参加が原則といいますが、それはあくまで当事者および利害関係人の全員参加を意味します。
事柄に関係のない者が来ても、邪魔になるだけです。
なぜそのようになるかといえば、会議によって物事を決めるということは、同時にその会議に出席した人たち全員が、その決議事項に「責任を持つ」ことになるからです。
たとえば水害対策に、堤防を強化しようとみんなで決めたのなら、その決めることに参加した全員が、堤防の完成に責任を負担します。

ですからどこかの国のようになんでもかんでも「ケンチャナヨ」とばかり、いい加減な仕事をすれば、大雨のときにそこが決壊する。
みんなが迷惑を被るのです。
だから、みんなでとことん話し合って決めるし、決めたことには全員が責任を持って対処する。
それがあたりまえのこととされてきたのです。
では、こうした責任を負わない人たちのことを何と言ったかというと、侠客(きょうかく)です。
侠客というと、現代人にはなにやら義理と人情の任侠道に生きる人、といったイメージが濃厚ですが、そもそも「侠」という字は略字で、もともとは「俠」と書きました。
字をみたらわかりますが、ひとつの字の中に、なんと4つも「人」という字が書かれています。
つまり「俠」という字は、もともと働いて何かを生産するのではなく、人間関係だけで生きている人のことを言います。
そして「客」というのは、あくまでも通りすがりの人であって、当事者として物事に責任を持つ人ではありません。
ですから俠客というのは、人間関係だけで生きていて、物事に責任を持たない人のことを言います。
ひるがえって昨今の国会を見ると、たとえば加計学園にしても森友にしても、セクハラにしても、その問題について、当事者でもなければ利害関係人でもない、処罰をする人でもない、何の責任も負わないし、負う気もない人たちが、ただ「議員である」というだけで、国会で大騒ぎしています。
またメディアも、ただ報道するだけで、その事柄には何の責任も持ち合わせないし、責任を持つ気もさらさらありません。
つまり、現代社会における会議は、当事者でも利害関係人でもない人たちが、意思決定をする気もなく、ただワイワイ騒いでいるだけという情況になっています。
これがどれだけ異常なことかは、会社の重要な意思決定をする重役会議が、その会社の利益になんの関係も責任も持たない人たちが行うようになったらと想像すれば、簡単にご理解いただけようかと思います。
巨額の利益を持つ大きな会社があって、その会社の重役会議に、その会社の従業員も株主も誰も参加しないで、まったくの第三者の侠客が、その会社の重要な意思決定を行うとしたら、どうなるでしょうか。
社員や会社のそれぞれのポジションの人たちの努力や、下請けなどの取引先、お客様の御意向に一切かかわりなく、その人たちは会社の利益を、どうにかして自分たちの懐に入れることしか考えなくなるのではないでしょうか。
それでいて一切の責任を取らない。
さらにいうと、その重役会議では、アイデンティティの統一もない。
そもそも日本とはなにか、議員とは何をすべき人たちなのかといった基本について、根本から異なる思考を持つ人達が集まって、互いに自分の言い分だけを一方的に並べ立てる。
それで議論だ、議会だというのですから、聞いてあきれます。
社会的な影響力を持つ人というのは、どういう地位であれ、それだけの権力を持つ人です。
権力を持つということは、その権力の及ぶ範囲に責任が生じるということです。
逆にいえば、責任を負う意思も気力もない人は、権力も影響力も持ってはならないのです。
先日25億円も会社のお金を横領した犯人が逮捕されましたが、まだあの犯人は、逮捕されて刑事責任を問われるだけ、実は侠客よりもはるかにマシです。
現実には、何十億どころか、何百億、何兆円といった規模での簒奪が、本来の利害関係人である国民の意思の及ばないところで、何の責任もなく意思決定され、実行されている。
これほど、おそろしいことはないけれど、それがいまの日本です。
どうしてそのような間違いが起こるかといえば、いまの日本が、民衆を「おほみたから」とする社会ではなくなっているからです。
社会の上層部にいる人たちが、民衆から収奪をするという、欧米型の簒奪社会になっている。
そのような社会では、民衆はただ、竹の子のように生えてくる、ただの働きアリでしかありません。
このブログは、政治ブログのカテゴリーにいながら、政治のことをほとんど語っていません。
なぜなら、いまの日本は、政治以前の情況にあると思うからです。
政治の「政」は、正しいという字にボクッという音符が付いた字です。
つまり、斜めになったものを、殴ったり叩いたりして真っ直ぐに整えるのが「政」です。
「治」の訓読みは「おさめる」で、日本書紀ではこの字を書いて「しらす」と読みます。
つまり、神々につながるシラスを実現するために正しく整えるというのが、日本語で生まれた熟語の「政治」の意味です。(単漢字は、China生まれですが、熟語は日本生まれです。)
これは祭政一致です。
だから「政治」と書いて「まつりごと」と言います。
現代政治は政教分離をうたいますが、本来我が国の統治は祭政一致です。
根本から異なるものを、我が国に無理やり定着させようとしているのが、戦後政治であり、戦後的価値観です。
戦後七〇年余り、日本は憲法を変えずに来ましたが、これは世界から見たら「ありえないこと」です。
ドイツも日本と同じ敗戦国ですが、戦後すでに60回も憲法改正を行っています。
法が大事なのではなくて、人々の生活が第一であり、人が作った憲法だから、人の生活の実情に即した形に憲法を変えているのです。
つまりその根底には、人の世は人がつくるもの、という明確な信念、共通する社会的アイデンティティがあるのです。
ところが日本の場合、普通の日本人の根底には、言葉は失われているものの、根底において民衆は神々を代表する天皇のたからだというマインドがあります。
ですからその社会の中心にあたる憲法は、変えてはいけないものというマインドがあります。
だから西暦604年に作られた十七条憲法が、1400年以上経過してもいまだ廃案にならずに、ずっと日本社会の根底を成し続けているのです。
その意味では、十七条憲法と日本国憲法が、同じ「憲法」という名を冠していることが、そもそも問題です。
両者は基本概念が異なります。
前者は、まさに世の中の中心として変えてはならないまさに憲法そのものです。
後者は、GHQに押し付けられた被占領民の服務規程です。
こうしたアイデンティティの違いに基づく言葉の違いや定義を、まずは明確にしていくこと。
その上ではじめて、日本人のための日本人による日本人の統治が可能になってくるのではないかと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

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