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日本経済再生の要諦は、
一に相互信頼社会の復活、
二に権力と責任の同一化
三に新技術の開発促進、
四に国土強靭化、
五に国学の復活
にあります。

20171221 経済
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 *****
景気を取り戻す。
経済を取り戻す。
素晴らしい政治テーマですが、実は、経済も景気も人が織りなす人々の活動や行動の結果です。
つまりいまの不況も人がそのようにしたものである、ということです。
日本繁栄の道のひとつめは、「相互の信頼の復活」です。
人と人、国家や自治体、政治、官僚、財界、民間との間に、必要なものは「信用(クレジット)」です。
信用は、貯金に似ています。
つまり信用という名前の口座残高が多ければ経済は活性化するし、残高が少なければ衰亡するし、赤字になれば破綻します。
これは経済の原則でもあります。
経済は人が織りなすのですから、社会に相互の信用と信頼がなければ、成り立たないのです。
明治の初め頃の日本は、超が付く貧国でした。
加えて武士が廃業しました。
当時の武家を、大手企業にたとえてみたらわかることですが、中央の株式会社徳川さんを筆頭に、全国300社の参勤交代のある上場企業が、軒並み倒産して、その働き手(サラリーマン)が、全員失業しました。
リーマン・ショックどころではない経済の大混乱が起きたことは言うまでもありません。
ところがその日本は、日清戦争が終わる頃には、年間750万円の朝鮮の国家予算に、3000万円の補助金を無償で出してあげるほどの経済力を有していました。
日露戦争の頃には、日本は世界の5強国の一角に食い込むだけの経済大国に成長していました。


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古事記3の一部


大東亜戦争の終戦のときも同じです。
600万人の旧軍人および軍関係者が失業し、国内は焼け野原で、食うものもろくにない。
そればかりか、財閥は解体させられ、公務員は20万人が公職追放となり、地主さんたちは小作農に無償同然で土地を分け与えさせられるという大混乱が起こりました。
ところが、日本はまたたくまに復興が進み、昭和27年に主権回復したかと思うと、なんと焼け野原の貧乏国が、そのわずか12年後には、アジア初の東京オリンピックを開催(昭和39年)する国にまで成長し、さらにその12年後には世界第二位の経済大国にまで成長しているのです。
どうして日本がこれだけの復興、復活、あるいは成長ができたかといえば、政府と国民、そして国民相互に、しっかりとした信頼の絆があったからです。
政治や政党あるいは、公職追放後の後釜に座った醤油組や三国人などによる官僚や教育者などは、しきりに対立と闘争を煽りましたけれど、日本全体としては盤石の相互信頼社会が形成されていたのです。
だから日本は復活も復興もできたのです。
これは、少し考えたらあたりまえのことであることがわかります。
工事を任せれば、ただ任せるだけで、どこにも負けない立派な仕事をしてくれるのです。
しかもそれがあたりまえになされるのです。
工事を発注しても、手抜き工事をする、工事代金を途中でネコババする、あるいは工事途中で逃げてしまう。
そういう状態の国とは、根底が違うのです。
以前、パラオにKoreaの業者が空港と本島との間に橋を架けました。
ところがこの橋が完成後に、あっという間に崩落事故を起こしました。
パラオ政府は、その倍賞を求めようと、工事を受注した会社を探しましたが、とっくにその会社はなくなっていました。
そんな状態では、実は経済など成り立ちません。
相互信頼の信用の絆がないからです。
日本経済が、まるで成長しなくなった。日本政府が、改革をすればするほど、日本経済は悪くなった、という言葉を、最近、というか平成以降、よく耳にします。
実際、ひとりあたりのGDPは、1993年には世界第二位だったのに、2012年には13位です。
国際競争力は、1989年から1993年まで日本は世界1位でしたが、2012年にはなんと26位です。
日本経済は、悪化の一途です。
日本は、その80年代の終わり以降、経済成長率では世界のビリです。
これは当然の結果です。
日本が汚鮮され、いつのまにか政官財民の信用の絆が失なわれ、社会のあらゆるものが対立関係となったのです。
協力すること、協同すること、相互に力を合わせることは「癒着」だ呼ばれました。
サッカーの選手たちが、チーム内で互いに協力しあってプレイすることが「癒着」であり、批判の対象なら、それで試合に勝てるはずがありません。
これは、すこし考えれば、誰にでもわかることです。
しかし昨今の日本では、まるで気が狂ったように、協力することや協同することが「癒着」として糾弾されます。
しかしたとえば河川の堤防が決壊して、大規模な水害が発生するとします。
なんとかしなければならない。
そうなれば、まさに政官財民が、みんなで協力しあって、被災者の救助や支援、あるいは復旧作業をしていかなければなりません。
ところが、官僚が工事資金をネコババし、工事業者が利益を抜くために手抜き工事をし、働き手も、面倒くさいからと、もらえるものだけもらって、まともな仕事をしなければ、いったい出来上がる工事はどのような堤防になるのでしょうか。
平成日本は、それを続けてきたのです。
政官財民が、互いに敵対し、互いをののしり合い、「お前のせいだ」、「いやいやあんたのせいだ」と、互いに批判や悪口雑言を並べ立て、それぞれが「自分こそ被害者です」と声をはりあげるばかりで、誰も責任をとらない。
それで良い結果を期待するほうが、どうかしています。
政官財民は、癒着してこそ、成果があがり、経済が潤い、国が活性化するのです。
互いにののしり合い、責任を押し付けあっているだけで、経済の復興や成長はありうるのでしょうか。
日本は、もともと天皇が国民を「おおみたから」とし、その国民を支えるのが官の役目だとされてきた国です。
みんなが、日本を「我が家」と思い、みんなが家族同様となって助け合い、慈しみあい、互いに努力しあって、みんなでみんなを支えていく、そういう国柄でした。
だからこそ、日本には信用があり、信用があるから安心して仕事を任せられたし、政官財民の誰もが、互いに協力しあって持てる能力を最大限に発揮しあって、国をささえてきたから、日本は住み良い良い国であったのです。
経済も景気もお金も、すべては「人の世」がつくりだした人のなせるわざです。
ということは、「人」の民度(これを信用といいます)が高くなければ、全体がひずむ、落ち込む。あたりまえのことです。

このように申し上げますと、ChinaやKoreaは、国民相互の信頼関係などないのに、経済が発展している。
ということは、信用や信頼などは関係ないのではないか、という声も聞こえてきそうです。
たしかにChinaの上海や、北京、大連、あるいはKoreaのソウルの町にも、いまやビルが建ち並んでいます。
Chinaは世界二位の経済大国と豪語しています。
けれど、そこにあるビルは、ハリボテです。いつ崩落するかわからない危険な建物です。
そのビルの周辺には、貧民街が広がり、年収60万円もない人たちが、まるでモノのように扱われています。
なるほど、一部には大金持ちもいますが、その大金持ちたちは、自国の通貨で預金などしません。
すべて預金は外貨建てです。
つまり、そこには政官財民の協力の姿など、どこにもありません。
ただ支配と隷属があるだけです。
では、そのような国が、どうしてビルが立ち並ぶようになり、世界の経済大国になるのか。
これも答えは簡単です。
日本から、ヒト・モノ・カネが流出しているのです。
彼らは日本の利益のネコババで、見せかけの繁栄を手に入れているにすぎません。
このことは簡単に証明できます。
日本がChina、Koreaから完全撤退したら、その瞬間、両国の経済は破綻します。
つまり彼らの経済発展は、日本からの、いわば「泥棒経済」です。
だから日本を叩いたり脅したりするのです。
その意味では「強盗経済」です。
日本は、殴るぞと脅かせば、いくらでもお金を出してくれる打ち出の小槌だからです。
日本から巻き上げたお金で、ハリボテのビルを建てたのです。
そして日本は、そうされることが当然な「お詫び国家」に成り下がっています。
それで日本経済が復活するのは至難の業のようです。

むかしむかし「しなむら」という貧乏な村がありました。
食い物もろくにありません。
人々は殺し合い、肉を食ってようやく食いつないでいました。
ところがある日、山向こうに「ひのむら」という村が広大な田んぼを切り開いて、豊かに暮らしていることに気がつきました。
そこで「しなむら」の人たちは、隣の村を襲っては、米を巻き上げました。
おかげで、誰もがたらふく食えるようになり、ものすごく豊かになりました。
あたりまえのことですが、米を作っていた「ひのむら」は、だんだん貧しくなっていきました。
村人たちは、米の作り方が悪いんじゃないか、いやいや庄屋さんの態度が最近悪いんだよ、と互いに疑心暗鬼になり、互いの信頼関係が崩れ、いつの間にか米をつくる力さえも半減していきました。
いつのまにか堤防のメンテナンスもおろそかになっていきました。
村にいても食えないからと、昔貧乏で、いまは豊かになっている隣村に行き、そこで米を作るようになりました。
けれど、作った米はことごとく、その村の村人たちに巻き上げられてしまいました。←(いまココ)
ある日「ひのむら」を洪水が襲いました。
かつて立派な堤防で水害を防いでいた「ひのむら」は、人々が堤防の手入れを怠るようになっていましたから、あっという間に、堤防が決壊し、水浸しになり、いつしか村はなくなってしまいましたとさ。

政治は対立だ、と思っている人は、いまの日本に多いようです。
けれど、対立し、争い、互いに悪口を言い合う世の中では、どこまで行っても、信頼の和は広がりません。
そして信頼がないところに、信用は生まれません。
信用がなければ、経済は絶対に活性化しません。
争いよりも和、対立よりも協和、不信よりも信用。
経済は人が織りなすドラマです。
ならば、人が変わらなければ、経済なんて絶対によくならない。
そして住み良い世の中は築けない。
だからこそ、日本を取り戻す。日本の本来ある信頼の和の国のかたちを取り戻す。
それが、まわりみちにみえて、実は、いちばん近道の日本再生の道なのです。
第二に必要なことが「権力と責任の同一化」です。
責任を持たない者に権力を委ねてはいけません。
昨今の国会を見ていると、国会議員でありさえすれば、当事者でもなければ専門分野でもない、日頃まったく関係していない分野の取り決めに際しても、一票は一票として扱われます。
政党内の選挙でも同じです。
ベテランの議員で、その問題について大きな責任を負い、その責任の自覚のある人と、まったくの素人のポット出の議員が、同じ1票です。
こんな馬鹿な話はないのです。
「権限」というのは、常に「責任」と一体のものです。
当事者の一員だから、会議に参加できる資格を持つし、会議に参加したということは、その結果について責任を負うのです。
経済対策や財政対策として何らかのことが決められて、その対策の結果が予期に反して悪化したなら、では、誰が責任をとってきたのでしょうか。
責任を取れないなら、権限も与えるべきではないのです。
国会議員なら、国政に責任を持っているのです。
盛り蕎麦や、かけうどんは、蕎麦屋の責任です。
そして責任のないところには、たとえ1票であっても、権力や権限を与えてはいけないのです。
第三に新技術です。
なるほど、現在の時点の半導体にせよ、自動車にせよ、なるほど技術は国外に流出しました。
そのため、日本の国益は大きく損ねられ、一方、開発コストをかけずに濡れ手に粟の隣国は、開発コストにあたる経費を巨額の広告宣伝費にまわし、また自国内で市場を独占して、十二分に利益のとれる高値で製品を売ることで、大儲けをしています。
そうなってしまったものは、いまさら取り返しもつきませんが、ところが技術というものは、まさに日進月歩です。
いまの世界を征している、あらゆる技術は、ほんの数年後には、ただのローテクにしかならなくなるのです。
ファミリーコンピューターが出たばかりの頃、マリオにしても、パックマン、インベーダーゲームにしても、当時の世界を一世風靡しましたけれど、いまのゲームの技術レベルからしたら、とびきりのローテクということになります。
自動車は、いまハイブリットの時代へと変化しています。
巨大な大型セダンに乗っていればお金持ちで幸せという時代は、どんどん過去へと過ぎ去り、おそらく10年後には、自動車は宙を浮くようになります。
スーパージェッターの流星号(古いか)は、現実の日常生活のものとなります。
そしてそれら技術面において、日本は間違いなく世界の最先端にあります。
ただし、不思議な事にその最先端技術は、国が保護していない分野についてのみ、存在しています。
最先端技術開発を担う人たちにとって、国や行政は信頼するに足らない存在でしかないからです。
このあたりは、一の相互信頼をしっかりと見直していかなければならないことです。
四ツ目は国土強靭化です。
日本は天然の災害が多い国です。
そのためには、工事に手抜きは許されない国でもあります。
しかもいまの日本にある橋梁や堤防、高架道路などの社会インフラは、先の東京五輪(昭和39年)に向けて造られたものばかりです。
耐用年数を越えているのです。
このことは、原発も同じです。
耐用年数を越えた原発が、いまや全体の三分の二を占めます。
つまり、リニューアルしていかなければならないのです。
そのためには、たくさんの工事が必要になります。
そして、そうした工事に、一切の手抜きがあってはならないのです。
昨今では、工事の手抜き、部品の手抜きはあたりまえの常識になりつつあります。
なぜなら、競争用件が「価格競争」になっているからです。
これはいけないことです。
天然災害の多い日本では、競争は常に「品質競争」でなければならないからです。
そしてそれができる社会制度を、私たちは考え直す必要があります。
五つ目は、国学の復活です。
道徳教育、行儀作法などといっている間は、実は、まだまだなのです。
神話教育でもだめです。
神話とは荒唐無稽なおとぎ話のことを言うからです。
わたしたちの国にあるのは、神話ではなく神語(かむかたり)です。
その神語(かむかたり)からの我が国の歴史を学ぶのが国学です。
本当の意味で、この国学が復活するとき、日本は蘇ります。
お読みいただき、ありがとうございました。
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