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日本史を理解しょうとするときに、歴史時代となっている古代から現代にかけての日本の長い営みを、7世紀と19世紀というターニングポイントで鷲掴みにする。
そのうえで、各時代の学習にはいっていく。
これはまことに理にかなった歴史教育のあり方といえると思います。

蒙古襲来絵詞
20171110 蒙古襲来絵詞
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先日、日本史には7世紀と19世紀の二度、大きな改革が行なわれたということを書きました。
実はこの見方は、一般社団法人新しい歴史教科書をつくる会の発行する『新しい歴史教科書』だけが教科書として語る、日本史をわかりやすく学ぶひとつの切り口です。
歴史を学ぶに際して、ただテストのために年号や人物名、事件名などを、ただ覚えるだけというのでは、教育そのものが無味乾燥ですし、せっかく覚えたところで、おそらくその知識は、その子が社会人になったあと、その子の人生になんの役にも立ちません。
せいぜい酔ったときの会話で、
「いやあ昔、日本史で「納豆(710)売ります平城京なんて覚えたっけなあ。」
「そうなの。オイラはなんと (710) 素敵な平城京だったですよ」
などといった会話ができるのがせいぜいで、そのために大切な青春の時間を多く割くのでは、あまりにもったいないようにおもいます。
そして、このようなことでは何の役にも立たないということは、実は教える側もわかっていることですし、教えられた側も、おそらく日本人として日本の教育を受けた者なら、そのなかの99.999%の人が、やはり「何の役にも立たない」と気付いていることです。
にも関わらず、何も改まらない。
それどころか、歴史教科書会社によっては、教科書に記載されている年号や項目数の多さを最大のセールスポイントとして、学校関係者への売り込みをしている会社まであるくらいです。
これではただ子供たちに、地獄の苦しみを強要することを教養と履き違えていると言われても仕方がないのではないかと思います。


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古事記3の一部


さらに細かいことを言えば、どういうわけか韓国の大統領などの名前だけ、たとえば「李承晩」なら、これに「イスンマン」とルビをふっている。
それは「覚えろ」ということなのでしょうか。
なぜ「りしょうばん」だけではいけないのでしょうか。
すくなくとも高校の入試にも、高校の歴史教科書にも「イスンマン」とは書いてない。
意味不明のルビとしか言いようがなかったりします。
歴史が、ただ年号や人物名、事件名を暗記するだけの教科なら、それはすでに役割を終えています。
なぜなら、いまどきはスマホの時代になっていて、早い話アイフォンのボタンを押して「関ヶ原の戦いは何年ですか」と話しかければ、たちどころに答えが返ってきます。
そしてその答えは、多くの場合、人間の不確かな記憶よりも、はるかに正確です。
このブログで何度も書いていることですが、歴史というのは、事件や事故などの過去の出来事をストーリー仕立てにしたもののことを言います。
過去には様々な事柄があったし、ひとつひとつの事柄には、様々な側面があります。
たとえば冒頭の元寇の絵です。
この絵は肥後国の御家人であった竹崎季長が、元寇における自分の戦いを描かせた『蒙古襲来絵詞』の一部です。
このとき日本に攻めてきたのは、元と高麗の軍団と、一般に言われていますが、絵をよく見ていただきたいのです。
黒人、白人が入り混じっています。
実は、元の軍団は、まさに国際色豊かな軍団であったわけです。
そしてここに描かれたひとりひとりにも、それぞれの人生があったはずです。
無理やり戦いに連れて来られた人もいたでしょうし、逆に金儲けのために付いてきた人もいたことでしょう。
家族もあったかもしれません。
上の絵はひとつの例にすぎませんが、要するに歴史は深掘りすれば、様々な側面があるわけです。
そうした様々な側面を持つ歴史を、一連のストーリーにすることで、なぜそれが起こり、どのような事態となって、その結果どうなったをわかりやすく整理してまとめたものが歴史です。
そしてそうであるならば、日本史を理解しょうとするときに、まずは、少なくとも歴史時代となっている古代から現代にかけての日本の長い営みを7世紀と19世紀というターニングポイントで鷲掴みにし、そのうえで、各時代の学習にはいっていくという考え方は、まことに理にかなったものといえると思うのです。
まず日本史全体を俯瞰して、7世紀の大化の改新と、19世紀の明治維新という二つの大きな改革があったこと。
そしてそのいずれもが、
「神武創業に還れという精神」であったこと。
これを押さえたうえで、ではその還ろうとした神武創業とはいかなるものであったのか、と学習を深めていく。
そしてそれぞれの時代ごとに、自分が歴史の当事者となって、歴史を振り返り、先祖の足跡を学ばせていただく。
こうすることで現代まで続く、古くて長い日本の歴史を学ぶ。
日本史がそういう授業であったのなら、それは生徒たちにもワクワク・ドキドキの高揚感あふれるたいへんにおもしろくて、感動のある授業になると思うのです。
そして感動こそ、子供達の心のたからとなり、子供達を成長させるのではないでしょうか。
お読みいただき、ありがとうございました。
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20161026 倭塾バナー

20160810 目からウロコの日本の歴史

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