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年表にあるような、ひとつひとつの事件や事故、つまり、何年何月何日何時何分に起きた出来事を記したものは、ただの「史」です。
それを綴ったものが歴史です。
では、何のために綴るのかといえば、その事件や事故や出来事が、なぜ起きて、どうなって、その結果、何が怒ったかを、整理するためです。
広義の歴史はただの年表も含みますが、本来の歴史(あるいは狭義の歴史)は、要するに筋書きが書かれたものを意味します。

20171008 高松塚古墳
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年号を覚えるだけが歴史ではない、ということは、どなたにもわかりやすいことだと思います。
では「歴史」とは何か。
これについては、様々な先生が、様々に解説されています。
けれど、実に簡単なことなのです。
「歴史」という単語は、「歴」と「史」で成り立っています。
「歴」は、旧字が「歷」で、「厂+禾+禾+止」でできています。
これは家に整然と並べられた稲の前で立ち止まって数えている姿をあらわした会意象形文字です。
つまり「歴」は、「並べられたものを順番に整理したもの」という意味の文字です。
「史」は、「中+又」で、祈りの言葉を書いた木片+捧げ持つ右手の象形です。
大昔、まだ紙がなかった時代には、木片に字を書きました。
間違えると木片を削ってまた使い、その木片を紐で綴って書にしていたわけです。
つまり「歴史」というのは、文字を見れば、「木片に書いて並べられた出来事を、順番に整理して並べたもの」という意味の漢字であるということがわかります。
年表にあるような、ひとつひとつの事件や事故、つまり、何年何月何日何時何分に起きた出来事を記したものは、ただの「史」です。
それを綴ったものが歴史です。
では、何のために綴るのかといえば、その事件や事故や出来事が、なぜ起きて、どうなって、その結果、何が怒ったかを、整理するためです。
今風に言うならば、たとえば昭和16年12月8日に真珠湾攻撃が行なわれたということが史実です。
では、なぜこの日、真珠湾攻撃が行われたのか、そのときの状況はいかなるものであったのか、そしてその結果、何が起きたのか、そうしたことを明らかにしたものが歴史であり、我々日本人にとっての歴史認識です。


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こうした歴史認識は、実は、東洋史学と西洋史学では多少異なりがあります。
西洋史学では、ヘロドトスの「ヒストリア」が元になっていることから、歴史(ヒストリー)の記述にはひとつのルールがあります。
それは、善悪二元論に基づく強大な悪が現れて、あらゆるものを破壊し殺戮していく。
それに英雄が立ち向かい平和が訪れる、というものです。
歴史の記述は、すべてこのパターンを踏みます。
第二次世界大戦では、西にドイツ、東に日本という凶悪二国が現れて、あらゆるものを奪い破壊し尽くした、そこの颯爽と現れたヒーローがアメリカで、ついにその凶悪二国を打ち倒して世界に平和が訪れた、というストーリーに、史実を無理やり当てはめたものが、彼らにとっての歴史(ヒストリー)です。
ですからこれを修正し、「いや、事実はそうではない」などと言おうものなら、彼らはそういう人を「歴史修正主義者」として排除しようとします。
東洋史学では、前の王朝がろくでもない非道を行ったから、天命があらたまって、新しい王朝ができたとします。
これは司馬遷の「史記」以来の彼らの伝統です。
ですから先の大戦前、日本という王朝が非道を行ったから、天命があらたまって、共産党政権になったと説かれるわけです。
そのために都合のよい史実がなければ、彼らはその史実を捏造さえします。
お隣の半島国家などは、そもそも誇るべき歴史がなにもないことに加えて、自分たち自信が非道の数々を行ってきていて正当化のしようがありませんから、歴史を捏造します。
つまり彼らにとっての理想の歴史を勝手に描き、その妄想を真実と決めつけることで、それ以外のすべてを否定します。
哀れなものです。
日本の場合、歴史は、人がより良く生きるための糧です。
なぜそれができるかといえば、先人たちが素晴らしい生き様をしてきたからです。
ですから歴史を学べば学ぶほど、人は謙虚になり、先人たちに負けないように、しっかりと生きようと思うようになります。
ですから日本人にとっての歴史は、ただの史実ではなく、常にストーリーを伴うものとなっています。
そしてそのストーリーは、出来る限り、正確を期したものになるようにします。
嘘があってはならないからです。
というより、嘘をつく必要がない。
それほどまでに立派な祖先に恵まれているのが日本です。
お読みいただき、ありがとうございました。
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20161026 倭塾バナー

20160810 目からウロコの日本の歴史

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