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今日のねずブロは、戦前戦中までの「系統学習」と、GHQによって実施された「問題解決学習」の違いについて述べています。
これを知ると、戦後教育の何が問題なのかが、くっきりと見えてきます。
ちなみに今日の話は、GHQが行った「問題解決型学習こそが正しい」とする戦後の教育界が築き上げた様々な理屈を真っ向から否定する内容です。
ですから必ず戦後の教育論に染まったおかしな人から否定的コメントが入ることと思います。
おもしろいので、今日はブログのコメントを揶揄を除いて全部承認するつもりです。

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◆【お知らせ】◆
7月15日(土)18:30 第42回 倭塾 公開講座
7月17日(祝・月)18:30 CGS公開講座(幕末史)
7月23日(日)14:00 第1回 名古屋倭塾 公開講座(古事記)
7月27日(木)18:30 第17回 百人一首塾 公開講座(百人一首)
8月 9日(水)18:00 新潟県新発田市講演(古事記)
8月13日(日)14:30 東京・世田谷講演(古事記)
8月15日(火)14:30 ねずさんと靖国神社昇殿参拝
9月 2日(土)18:30 第18回 百人一首塾 公開講座(百人一首)
9月17日(日)13:30 第43回 倭塾 公開講座(古事記)
10月 1日(日)11:00 日心会『ねずさんと古事記』出版を祝う会(古事記)
10月26日(木)18:30 第19回 百人一首塾 公開講座(百人一首)
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戦前戦中までの教育と戦後教育の違いとして、よく挙げられることは、学制の問題です。
けれど、これよりもずっと大事なことが大きく変わっていて、それは古代〜江戸時代〜戦前〜戦中と続いた我が国の伝統的教育学習と、根本的に異なるものになっているというお話です。
よく言われることは、なるほど上に述べましたような学制です。
戦前戦中までの学制は複線型といって、上の図にあるように、尋常小学校卒業以降は、それぞれの目標や志向によって、様々な形の教育を受けることができるようになっていました。
実はこうした学制は、欧米や、いまのASEAN諸国などにおいてもあたりまえに行われているもので、世界の潮流は、複線型学制になっています。
ところが我が国の戦後の学制は、GHQの指導によって、小学校→中学校→高等学校→大学という、単線型になっています。
これは生徒たちに選択の自由がないということだけが問題ではなくて、実は、もっと深い問題を内蔵していることです。
どういうことかというと、それがGHQによって行なわれた日本の「教育内容改革」です。
どのように変わったのかというと、もともと我が国の教育は「系統学習」といって、ものごとの成り立ちや起こったことについて、
「なぜそのようになるのか、
それによってどのような結果が起きたのか、
それは将来に渡ってどのような影響をもたらすのか」
といった、事物の系統が教育の柱となっていました。
それがGHQによって、小学校から大学まで、すべての教育内容は「問題解決学習」に変わってしまったのです。
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「系統学習」と「問題解決学習」の二つがどのように違うのかというと、たとえば「1192年に鎌倉幕府が開かれた」という史実に関する学習の場合、
<問題解決型学習の場合>
(問)鎌倉幕府は何年に開かれましたか?
(答)1192年(○)
<系統学習の場合>
(問)鎌倉幕府は1192年に開かれました。なぜ頼朝は幕府を鎌倉に開いたのですか?
(答)・・・・。
といった違いになります。
系統学習は、事物の現象について、それがなぜ起こったのかを系統立てて学習する教育方法です。
問題解決型学習は、クイズと同じで、あらかじめ定められた答えを覚える学習です。
いわゆる綺麗事として、系統学習は「系統的に配列された学習内容を、順番に学習していくもの」であり、問題解決型学習は「生徒自らが学習問題や仮設を設定して自分の手足や頭を使ってその仮説が正しいかどうかを検証していく学習方法」などと説明されることがありますが、設問の系統の理解がないわけですから、生徒は仮説を構築することさえ実はできません。
ですからいくら綺麗事を言っても、結果は試問の答えが○か☓かという二者択一型の教育に生らざるを得ず、このことは、テストを採点する側からしてみれば、きわめて採点が容易というメリットがある反面、生徒の側からすれば、すべての教科が、ただの暗記科目になってしまうわけです。
そしてこれを学制にする場合、あらかじめ与えられた答えを述べるだけの学習であれば、小学校から高校大学まで、結果として同じことを反復学習するだけとなり、教育は、ただの記憶力を測るためだけのものとなります。
これに対し、系統学習では、基礎教育としての尋常小学校までは、まずはルールを系統的に学ぶわけですけれど、そこから生まれる設問に対して、どのような解決のアプローチを見つけ出すかは、それぞれまったく異なったものになっていくことになります。
たとえば、鎌倉幕府なら、その幕府という新体制が生まれることによって、どのような鎌倉の街づくりをしていくかという分野なら、それは建築科の学習になっていきますし、どのような幕府組織を構築していくかという設問なら、それは経営学の分野になっていきます。
また、どのような財政を行うかということに興味を持つ生徒なら、経済学の学習へと発展しますし、その中で、どのように民衆のリーダーを育むかという設問に興味を抱くなら、民衆の模範となるべき人を育てる師範学校への進級となっていきます。
つまり、学制は複線型にならざるをえないのです。
戦前戦中の子供たちが、尋常小学校においてさえ、片道6キロも7キロもある自宅から学校への道のりを毎日歩いて通い、農繁期等で親から学校を休まされると、学校に行けないこと、その分勉強が遅れてしまうことに泣いて悔しがったという話をお聞きになられたことがある方も多いかと思います。
いまなら、そんなことは考えられないことですけれど、なぜそれほどまでに子供たちが学校に親しんだか、また教師を尊敬したかといえば、それは教育内容が系統学習であったからです。
どうしてそうなるのか。
なぜそうなったのか。
その結果、何が起きたのか。
自分がその当事者なら、どのように決断をしたのか。
その場合、結果はどのようになっていったのか。
そうしたことを系統として学ぶことは、単なる記憶力を試す詰め込み教育、問題解決型教育とくらべて、夢中になるほど楽しいものです。
人は、知ることを楽しむ生き物です。
知ることの楽しさは、何にも代えがたい。
だから、昔の子供たちは片道6キロも7キロもある道のりを苦ともしなかったし、師匠である教師を心から尊敬したのです。
戦前の学制は、明治に入ってから欧米の学制に倣って作られたものですが、教育内容としての系統学習は、それ以前の江戸時代、あるいはもっとはるかに古い時代から我が国において継続し、確立してきたものです。
けれど、そのことによって日本人があまりに優秀な民族になっていることを、拒否しようとしたGHQは、日本の教育改革を、教育内容改革と、そのための教育制度改革によって、日本人の劣化を促進しようとしたわけです。
なぜなら問題解決型教育で育った子供たちは、あらかじめ定まった答えを解答するだけで足り、自らものを考える、未来を担い創造するという思考をまったく持たない、ただ、いまさえ良ければという次元の低い大人となっていくからです。
もちろん、入試問題においては、かつての師範学校や陸海軍の予科でさえも、まずは記憶力を試す紙のテストが行われました。
このことはいまも昔もまったく同じです。
けれど、それは単なる「ふるい」にすぎず、実際の入学許可は、その後に行われる面接試験が昔は重視されていました。
その面接試験は、設問に対して、どのように考えるのか、自分ならどうするのか、どのように解決すべきと考えるのかといった、その生徒の物事の捉え方や意欲を発見することに注力されたのです。
ところが戦後は問題解決型教育ですから、面接よりも試験結果そのものに重点が置かれるようになりました。
このため、学校よりも進学塾の需要の方が増し、また系統を必要としない、ただの詰め込み教育は教師側の負担を軽減しましたから、その分、詰め込まれる事柄だけが、やたらと増えるという結果を招きました。
そのため、ゆとり教育と称して、詰め込みの内容を軽減するという措置が採られましたが、ところがそうなると生徒たちの学力は明らかな低下を招きます。
そこで中山成彬文部科学大臣のときに、教育内容を抜本的に見直し、あらためて系統教育を復活させようという動きが始まったと私は理解しています。
驚いたことに教育界等は、それは単に詰め込み量を増やすだけのものと露骨な反対運動をし、いまなお「ゆとり教育の見直しによって、教科書のページ数が増え、重量が重くなった」と、まったく意味不明の反対運動が展開され続けています。
振り返ってみればわかりますが、戦前戦中までの系統教育の時代、教科書は決して分厚いものではありません。
過去の日本の教育が、覚えることは最小限にし、そこから何を得るか、どう捉えるかが重視された教育であったことは、日本の教育が世界の先端を走っていた時代の教科書が、驚くほど小さくて薄かったことを考えれば、あまりにも明らかです。
ところが、それがGHQによる日本破壊工作であるという現実を直視せず、逆に洗脳こそが正しいと信じる、あるいは、それしか知らないということは、とても残念なことです。
そもそも土台に歪みがあれば、どのような改築改造を行ったとしても、歪みは矯正されず、無駄な時間を浪費するばかりです。
昔から、迷ったときには原点に帰れといいますが、日本人の民度が極端に高かったとされる江戸時代や明治初期の日本をいまいちど見返して、そこからスクラップ・アンド・ビルドで抜本的な改正を行うくらいでなければ、本来あるべき教育は戻ってきません。
不思議なことに、今の時代では、高い教育を受けたはずの若者が実社会で通用せず、むしろ学生時代に成績の悪かったという人が、実社会でおおいに活躍しているという現実があるといわれています。
日本を取り戻すためには、右翼も左翼もありません。
日本人として、日本の原点にみんなで帰ること。
そこに新たな、まったく違った解決法があるように思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

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