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◆次回倭塾は7月15日(土)18:30〜です。どなたでもご参加いただけます。今回、事前応募がやや少ないので、まだお席に余裕があります。ご都合の付く方は是非お越し下さい。

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◆『ねずさんと語る古事記・弐』
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◆【お知らせ】◆
7月15日(土)18:30 第42回 倭塾 公開講座
7月17日(祝・月)18:30 CGS【ねずさんとふたりごと】公開収録
7月14日(金)08:00 ABCフォーラム朝食会(テーマ:百人一首)
7月23日(日)14:00 第 1回 名古屋倭塾 公開講座(テーマ:古事記)
7月27日(木)18:30 第17回 百人一首塾 公開講座
8月15日(火)靖国神社昇殿参拝
9月 2日(土)18:30 第18回 百人一首塾 公開講座
9月17日(日)13:30 第43回 倭塾 公開講座
10月 1日(日)日心会『ねずさんと古事記』出版記念イベント
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「疑わしきは罰せず」というのは、罪刑法定主義の基本中の基本として、刑法学を学ぶ生徒が、まず最初に叩き込まれる思想(イズム)です。
もともとラテン語の「in dubio pro reo」を翻訳したもので、そこから「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判における原則としても用いられます。
刑事訴訟では「推定無罪の原則」とも呼ばれています。
現代刑法学は、この土台の上に構築されていますから、この土台が崩れてしまうと、現代刑法学そのものが成り立たなくなってしまいます。
ですから学生たちは、いわば「有無を言わさず」に、最初に大原則の大基礎としてこの原則を叩き込まれるわけです。
ところがこの思想は、もともとが1798年のフランスの「人権宣言」に基づくもので、要するにそれまでの王権による民衆支配、つまり王によって民衆が私有民とされていたことに対するアンチテーゼとして書かれた原則であって、日本には実は、はるかに優れた法制度があったのだというのが、今日のお話です。
フランス人権宣言は第9条で、
「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される。
ゆえに逮捕が不可欠と判断された場合でも、
その身柄の確保にとって不必要に厳しい強制は、
すべて法律によって厳重に抑止されなければならない。」
と述べています。
これは所有者(支配者)である王によって、勝手に身柄が拘束されたり、処刑されたりすることを防がなければならないという趣旨で書かれたものです。
現実には、このように主張していた民衆が、王の退位後、今度は次々と民衆同士が「疑わしい」というだけで、ギロチン送りを繰り返したわけで、歴史的にみれば、この「疑わしきは罰せず」は、かなり疑わしい精神であり原則であるということができます。
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ところがこういう現実にうまくいかなかった法原則を日本は西欧に学んで採り入れているし、そのことは戦後の日本国憲法にも明記されています。
第31条です。
「何人も、法律の定める手続によらなければ、
その生命若しくは自由を奪はれ、
又はその他の刑罰を科せられない。」
ところが、少し考えたら誰にでもわかることですが、事件や事故などの不幸な出来事は、起きてから対処するのでは遅すぎます。
事件や事故は、「起きないように予防する」ことが大事なのであって、起きてから騒ぐのは愚の骨頂です。
現実に殺人が行われから加害者を逮捕しても、被害者の失われた命は戻ってこないのです。
火事と同じです。
火災が起こったら、もちろん総力をあげて消火や鎮火に務めなければなりません。
なぜなら火事は何もかも焼き尽くしてしまうからです。
焼け出された人々は、ほんとうに悲しいものです。
それまでの人生の思い出となる品々が、全部、灰になってしまう。
ですから火事は起きないように日頃から努力し続けなければなりません。
放火などもってのほかだし、もし放火をする者があるならば、極刑にしてでも取り締まらなければなりません。
しかしそのことは、実際に放火が行われ、何千人、何万人という被害者が出てから、犯人を捕まえて、法の定める手続きに従って、裁判が確定するまでは、誰の目にも明らかな放火犯であっても無罪と推定される。
果たしてそれが、法の正しいあり方といえるのでしょうか。
むしろ、未然に防ぐために、疑わしいとお上(かみ)に思われただけで捕まえられるし、罰せられるし、街中の誰からも後ろ指を指されて警戒される。
そして火災の発生そのものが抑止される。
そういう社会こそ、理想なのではないでしょうか。
しかしそのような社会の実現のためには、そのお上(かみ)、つまり人の上に立つ側、取り締まる側が、権力だけでなく、それに見合った責任を明らかにし、民衆の完全な信頼を得ていなければなりません。
「警察は敵だ」などと言われるような社会では、まったくいけないわけで、警察官こそが、町でもっとも信頼されている、そういう社会でなければ、これは実現が不可能です。
だからかつては、警察・・査察して刑をもって戒(いまし)めるという名前はなくて、民と同心であり、民に力をあたえる与力であり、行いを奉じるお奉行であったのです。
その奉行所は、起こった事件や事故を取り締まるところではありません。
事件や事故そのものが起こらないように、あらかじめ察して手をうつことにより、民の生活に平穏と安全と安心をもたらすために設置されたものです。
だからこそ、その責任者である奉行は、実際に所轄管内で不祥事があれば、その責任をとって自ら腹を切ることが求められたのです。
それが日本の古くからの哲学です。
警察のことをポリス(Police)といいますが、この言葉はフランス革命の際に新たに生み出された造語です。
もともとポリスは、古代ギリシアにおける都市国家や、そこに住む秩序ある人々を意味するラテン語のpolitia(民事行政)に由来します。
つまりフランス革命でさえ、取り締まる警察は、市民生活に秩序をもたらすべきものとして生まれたものです。
日本における警察は、そのPoliceの翻訳語です。
ですから警察という語は、江戸時代には存在しません。
明治になって、西洋の法制度を取り入れる際に、Policeの訳語として造語されています。
けれどそのPoliceを訳すとき、明治の翻訳家であり法家だった人たちは、Policeを日本的な意味において、社会に犯罪や事故が起きないよう警戒する「警」と、犯罪や事故が起こるのを防ぐために、それをあらかじめ知るこ「察」を組み合わせました。
つまり「明察功過」にこそ、取り締まる側の使命があるという、江戸時代までの思想が、翻訳語に反映していたのです。
もちろん、権力者の恣意のままに、気に入らないとか、敵対しているとか、愚にもつかない理由で逮捕され、拷問され、死刑にされることは、民衆にとって不幸です。
なぜそのようなことが起こるのかといえば、警察が「権力者の走狗」となるからです。
だから民衆がこれに対抗するには、法による正義を確立するしかない、というのが、西洋のフランス革命以降の法律哲学です。
しかし日本では、その権力者自体が、天皇から任じられた役職です。
天皇から権力を与えられますが、それは同時に、権力に見合った責任を持つことを求められました。
そして責任をもって権力を行使する者が、権力を行使する相手は、天皇の「おほみたから」でした。
このことは、いわば会社社長に高級で雇われたら、その会社の社員全員が会長の親戚だったというようなもので、しかも万一のことがあれば、社長は会社をクビになるどころか、命を取られるのです。
いってみれば、イタリア・マフィアのゴットファーザーに、組長として高級で雇われたら、その組員たち全員がゴットファーザーの親族だった、みたいなものです。
そういう意味でしたから、明治時代の警察官は江戸時代の奉行所の考え方を受け継ぐ「駐在さん」と呼ばれ、近隣の住民からたいへんな尊敬を受けていました。
これには、その駐在さんとなった方々の多くが、もと、藩士であったということも影響していたかもしれません。
こうしたことが現実になることができていたのは、駐在さんと民衆の信頼関係がしっかりと確立され、駐在さんと民衆が敵対関係、対立関係ではなく、どこまでも一緒に治安を図る仲間であり、役割の分担であると考えられていたからにほかなりません。
それが明治の中頃から隣国人が国内に増え、特に戦後はその隣国人が三国人を名乗って国内で暴力行為を公然と働き、これを取り締まるために警察権力を復権させたら、今度はその警察を交えて仁義なき戦いを繰り広げるというていたらくとなりました。
それでもいまでも警察官と普通の日本人が中が良いことは、外国人の目から見ると、異常なことに見えるのだそうです。
数年前に、私は車を運転中、皇居の脇で白バイの警察官に捕まりました。
その場で車を停められて切符を切られたのですが、たまたまそこに、ヨーロッパのある国の大使館の職員が通り掛かり、
「どうしてあなたは警察に捕まったのにニコニコしているのか」と聞いてきました。
そこで
「我々日本人は警察官を信頼しているからだ」と答えますと、彼らのひとりが、
「日本は素晴らしい。我々の国では警察官と市民がこんなにフレンドリーなことはない。よかったら一緒に写真を撮らせてくれないか」というので、結局その大使館の若者3人と警察官と私の5人で、一斉にニッコリ笑って、「ハイ、チーズ」となりました。
そして「あまりに素晴らしいことで感動した。自分のブログにこの写真を載せても良いか?」と聞くので、警察官の方の了解を得て、「もちろんOK」と答えました。
諸外国では、西洋でさえ、警察官と民衆の間には距離があるのです。
距離がなければならないのです。
なぜなら警察は民衆に対する権力の行使者だからです。
ところが日本では、まったくその必要がありません。
民衆は権力よりも偉い天子様(天皇)の「おほみたから」とされているのです。
そして警察はその「おほみたから」を守る存在です。
そういう考え方が、戦後の日本では、理論上はまったく教えられていないけれど、日本人はそのような社会を構築してからすくなくとも1300年以上を過ごし、結果として日本人のDNAの中には、それがはっきりと沁みついているのです。
だから、震災のときにも、整然とした行動がとられています。
もうひとつ、「疑わしきは罰せず」を考えるときに、冤罪(えんざい)についても触れておかなければなりません。
何年か前に川崎で中一児童の殺害事件がありました。
現代憲法や現代刑法のもとでは、加害者だけが処罰の対象となり、加害者の少年たちは、有罪の判決が下るまでは無罪と推定されるし、有罪となっても少年法によって護られて、少しばかり少年院に行って娑婆(しゃば)に出てくるか、保護観察処分として最初から少年院にさえもはいらずに、そのまま街で、不良を続けることになります。
どの事件犯人とは言いませんが、かつてあった足立区◯瀬の女子高生◯ンクリート詰め殺害事件では、加害者の少年たちは、「俺達はあの事件の加害者だ」ということがステータスとなり、その後も女性たちを脅して強姦の限りをつくしていた、という話もあります。
こうなると、そもそも何のための刑事処罰なのかさえわからなくなります。
これが、近代刑法という西洋の概念が輸入されてくる以前の江戸社会だとどうなるかというと、中一児童殺害事件であれば、川崎の町奉行は切腹です。
町奉行というのは、そのような悲惨な事件や事故が起こらないようにするために、あらゆる権限を与えられているのです。
それだけの権限を持ちながら、実際に事件が起こったならば、その責任は当然に町奉行に及びます。
自ら腹を切れば、息子さんは奉行職を相続できます。
しかしまごまごしていて、腹を切らないでいれば、江戸表から使いがやってきて「上意でござる」と切腹を命じます。
この場合は、お上の手をわずらわせたということで、お奉行の家はお取り潰しです。
明日から奉行の家族は、ただの町人、ただの浪人者となりますし、お奉行の家人たちも職を失います。
厳しかったのです。
足立区◯瀬の事件も同じです。足立の町奉行は切腹です。
もちろん犯人グループは、全員打ち首です。
そして犯人だけでなく、犯人たちの両親も、良くて遠島、悪くすれば打ち首。
犯人とその親が住んでいた長屋はお取り潰しで、長屋の家主や地主は遠島、犯人の居宅の向こう三軒両隣は、全員、犯罪とは無関係であっても、数年間の懲役もしくは増税の刑に処せられました。
まして、もし犯人グループの中の生き残りのひとりが、再び街で狼藉を働いているという噂がほんのすこしでも立つならば、その噂が事実であってもなくても、犯人たちは良くて百叩き、悪くすれば遠島か打ち首、犯人のみならず両親も遠島、家主や地主、隣近所も同様の処罰に遭いました。
これらは、「疑わしきは罰せず」という近代の刑法論からすれば、とんでもないことと考えられることと思います。
なぜならそれは「権力者による横暴」だからです。
しかし、その権力者は、権力者よりも上位の天子様によって「おほみたから」とされている民の生活の安全を守るために親任された地位であり、「おほみたから」の生活の安全と安心を守るという責任があり、事件や事故が起こったならば、当然にその責任を取らされるという立場にあるということになれば、話の様子が変わってきます。
では、冤罪(えんざい)はどうするのかという問題があります。
間違って、犯人ではない人物を逮捕してしまった。
その場合、お奉行の立場はどうなるのか、という問題です。
誤認逮捕があれば、上述のように長屋ごとお取り潰しです。
家主まで処罰されまています。
そして真犯人はのうのうと生き延びることになります。
その真犯人が、他で再び犯罪をすれば、そこで逮捕され、処罰されるのですが、そこでもまた誤認逮捕が行われたとします。
要するに、誤認逮捕があったとしても、どこまでも逮捕劇が繰り返されるわけです。
なぜなら、目的が治安の維持にあるからです。
真犯人がのうのうと生き延びたとしても、以後一切の犯罪に手を染めず、真面目にカタギとして生きて行くならば、結果として治安は維持されるのです。
もちろん、誤認で逮捕された人や、その近隣の人たちにとっては、それは不幸なことです。
しかし、疑われるようなことをしてきたから、間違っていたとしても逮捕されるのです。
誤認や誤解されることのないように、日頃からまっとうに生きていれば、誤認逮捕されることも、近隣に迷惑をかけることもないのです。
また、奉行所が意図して誤認逮捕をしているのではないかとお上から疑われれば、奉行は良くてお役御免、悪くすれば切腹です。
そこに甘えも妥協もないのです。
要するに、個人の権益を守るか、社会の安定を図るかという、これは社会科学の問題なのです。
犯罪が多い社会より、犯罪がない、犯罪が抑止された社会の方が、人々が安心して生活できるに決まっています。
何事も西洋式が正しいと、無批判にそれを受け入れるのではなく、まさに和魂洋才で、良いものは良いものとして、工夫し採り入れていくことこそ、大事なのではないかと思います。
なんでもかんでも西洋のものをありがたがるという思考は、明治のはじめには、それは必要なことであったかもしれませんが、あれから150年も経過しているのです。
そろそろ日本人は、もとからある日本的な価値観や考え方をあらためて取り戻し、真に平和で豊かで安心で安全な社会を築くことを考えかつ行動していく時代に来ていると思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

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