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     20170226 古事記壱
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20170406 新嘗祭に臨まれる天皇陛下
新嘗祭に臨まれる天皇陛下=2013年11月23日、皇居・神嘉殿(宮内庁提供)

多くの日本人は、「天皇制」という言葉にとても違和感を覚えるといいます。私もそうです。
そのような言い方をする方が意図するしないにかかわらず、「天皇制」という言葉は、どうも「天皇は日本国憲法によって規定された存在なのだ」というニュアンスが感じられるからです。
日本という国は、憲法があるから日本ではありません。
国境があるから日本でもありません。
日本があって天皇があるわけでもありません。
日本は、久遠元初の昔から、天皇があるから日本があるのです。
イザナキ、イザナミという二柱の神から子が生まれ、孫が生まれ、ひ孫が生まれ、そうして次第に人口が増え、淡路島、四国、九州と、その子孫たちが広がっていき、その広がっていった子孫たちが、本家の中の総本家として、天皇家を仰ぎ、天皇のおわす場所を国の中心としてくることで成り立った国が日本です。
これが日本の成り立ちです。
このことは、私が申しているのではなくて、古事記の神話に書かれていることです。
その日本には、長い歴史の間に、アーリア系やコーカソイド系、あるいはネグロ系等、様々な人種の人たちがやってきて、なんとなく日本に住み着き、日本人と交じり、子を為してきました。
それら混血の人々も、天皇を国の中心と仰いできたから、日本人となりました。
こうした国民についての考え方は、国によっても実は様々です。
米国の場合、出身の国籍や肌の色に関わらず、合衆国憲法を遵守し、合衆国のために命を捧げる人が米国人と規定されます。
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イスラエルの場合、ユダヤ教の信者であり、イスラエルを護る意思のある人がイスラエル人です。
ですからイスラエルには、黒人系のイスラエル人もいれば、黄色人種系のイスラエル人もいます。
白人であっても、様々な国や民族の人が、ユダヤ教の教えに従い、イスラエルに忠誠を誓えば、それはその日からイスラエル人です。
ですからイスラエルでは、ユダヤ教を辞めれば、イスラエル人ではなく、イスラエル国民でもありません。
一般に国民国家というものは、国境の内側にいる人は、等しく同じ権利義務を持つものと規定されますが、イスラエルの場合、国内にいる回教、ドルーズ教、キリスト教の信者はイスラエル人ではありません。
従って数多くの身分上の制限があります。
ですからユダヤ教徒はユダヤ教徒、回教徒は回教徒、キリスト教徒はキリスト教徒との結婚しか認められていません。
異教徒との結婚はありえません。
どうしても結婚したいのなら、イスラエルから出ていって、他の国で結婚してもらうしかありません。
ちなみにドールズ教徒は、教団としてイスラエルの味方になる方針を決めています。
ですから兵役もちゃんとこなすし、とりわけ優秀な兵士となっています。
それ以外の教徒は、徴兵にも応じません。
ですから国籍はイスラエルにあっても、イスラエル国民とは理解されません。
Chinaの場合は、王朝が交代する都度、人口が大きく入れ替わってきたという歴史を持ちます。
Chinaに住んでいるからChineseではないし、漢民族としての血筋も相当疑わしいものがあります。
ですから漢民族というのは、単に漢字を用いる人という意味であって、血統による血筋ではありません。
もともとChinaでは社会のすべてがピンはねで成り立っており、その中の最大のものが各地方毎に割拠している軍閥です。
現代のChina共産党は、その軍閥の中の最大勢力という構造になっています。
言い換えれば、ピンハネに応じている人々が、現代中共にとっては全部Chineseです。
その意味では、彼らの意識の中では、現代日本国政府も毎年300億円を越える上納金を拠出していますから、これは古代の朝貢と同じ意味となり、日本もChinaの内、ということになります。
そして中共政府は、反日によって成り立つ日本への対抗勢力ですから、彼らの感覚にとっては、日本人は国というよりも、国内にある反中民族ないし、犯罪集団という認識となります。
同様に韓国は、日本への対抗のために造られた人工国家です。
自分たちのしでかしてきたありとあらゆる犯罪を、全部日本になすりつけることで成り立っている国ですから、まともな議論などできるはずもなく、また、反日であることが韓国人であることの要件ですから、日韓関係など、そもそも正常化などするわけがありません。
これらは、個人がどのように優れた人であるかとは、まったく関係のない、国家形成の基本構造です。
ですから中華系や韓国系の血筋の方の中にも、立派な人はたくさんいますが、民族や国家の意識がそこに加わると、おかしなことになっていきます。
国民国家というのは、19世紀の西洋で生まれた概念とされていますが、このように国民についての意識や考え方は、実は各国によってまちまちです。
日本は、ユーラシア大陸の東の外れにあるため、太古の昔から、世界中からいろいろな人がやってきて、なんとなく日本に住み着きました。
そして生粋の日本人と血がまじって行くのですが、そうした人々さえも日本語を話す日本人になりました。
このことが何を意味するかといえば、日本列島にはもともと生粋の日本人が住んでいて、そこに様々な民族が過去においてやってきたけれど、全部それらが日本人となったということです。
なぜ外国からやってきた人々が日本の文化を受け入れ、日本人となっていったかといえば、日本が世界中のどこにもない、シラス国であったからです。
国民が、国家最高権威によって「おほみたから」と規定されるのです。
ですから日本人は、権力の横暴によって収奪されることなく、安心して安全に豊かに暮らすことができたのです。
このことは、近年において外国からやってきて日本に長く住む人が、いつのまにか日本人に同化してしまうことにも見て取ることができます。
最初は、電車に乗るときに整然と並んで電車を待ち、順番に電車に乗り込む日本人が馬鹿にしか思えず、一目散に割り込んで席に座っていたChineseも、いつの間にか整然と並ぶようになる。
日本に長く住む日本人が、カメラを向けられると無意識にピースサインをする。
長く日本にいた米国人が、母国に帰ったあと、英語の語尾にいつのまにか「ね、よ、でしょ」を付けるようになる等々、平和で安全に安心して暮らすことのできる日本に、いつの間にか同化してしまう。
これらはすべて、末端のひとりひとりの日本人が、奴隷ではなく末端のひとりひとりこそが大事な存在なのだ、たからなのだと考える日本の素晴らしさに、知らず知らずのうちに同化していくことを示しているということができます。
仁徳天皇が、民のカマドを観て税を免除し、カマドから盛んに煙が立ち昇るようになったのを観て、
「朕は豊かになった」
と述べられたという話は有名です。
税を免除したために、皇居はボロボロになってしまっていたのですが、仁徳天皇にとっては、自らが贅沢な暮らしをすることよりも、民の暮らしが豊かになることの方が大切だったのです。
日本はこうした歴代天皇の存在があって、その歴代天皇によって民が国家最高の宝であると規定されることによって、歴史を紡いできた国です。
つまり、天皇がすべての日本人の親となって、民の幸せを願い続けてくださったことによって、国家的恩恵を受け続けてきたのが日本人であるということです。
ですからその日本のことを、かつてのChinaでは、「蓬莱山(ほうらいさん)」とか、「桃源郷」と呼んでいました。
桃源郷というのは、ユートピアとは異なります。
ユートピアは、人類が主体的に築き上げようとする理想国家です。
そしてその国家を築こうとした旧ソ連は、管理社会となって行き詰まって崩壊しました。
一方、桃源郷というのは、日常生活そのものが静かで満ち足り、人と人とが無用な争いを起こさず、互いに思いやりの心を持って過ごすことのできる社会です。
日本こそ桃源郷なのです。
4世紀から5世紀に生きた陶淵明(とうえんめい)という人が、その桃源郷のことを次のように書いています。
「人々は野良仕事に精を出し
 家に帰ると読書を楽しみ
 狭い道には車も入って来れぬから
 誰もが静かに暮らすことができる。
 近隣の人たちと歓談して酒を酌み交わし
 肴に庭の野草を食う
 小雨が東の方から降ってくると
 それに伴って気持ちのよい風も吹く」
世界中が、権力者による収奪で成り立っていた古代において、日本だけがまさに桃源郷となっていました。
なぜそれができたのかといえば、権力者よりも上位に天皇という最高権威があり、その最高権威によって、民衆こそがたからとされてきたからです。
私たち日本人は、自由な言論を楽しむことが出来ます。
日本にいて、日本の批判さえも許容されています。
けれど、そのために暴力をふるえば、あたりまえのことですが、逮捕され、隔離されます。
ところがその牢屋が、江戸の昔でも、明治や昭和初期の日本でも、諸外国における日常生活より、よほど文化的な生活のできるところであったのです。
なにせ、牢屋の中に布団や畳が用意してあり、囚人たちがそれを汚さないように大事に使っていたくらいです。
そんな国、世界中どこを探してもありません。
その日本では、つい最近まで、会社はかつての藩と同様、終身雇用があたりまえでした。
なぜなら日本では、会社のトップは天皇の「おほみたから」を預かっているのです。
ところが最近では、パート、アルバイト、派遣等によって、いつでもクビにできる雇用形態があたりまえになってきました。
なぜこのようなことが起こるのかといえば、日本人が天皇を祖とするという意識を失い始めているからです。
日本を取り戻すということは、本質的には、日本が天皇のシラス国という、日本元初の頃からの仕組みを取り戻すということであろうと思います。
最後にひとつ付け加えます。
天皇が行う新嘗祭のことです。
新嘗祭は、その年の新穀を皇居に天照大御神をお招きされ、天照大御神とともに天皇が新穀を召し上がるという行事です。
この行事の際、炊いたご飯は、柏の葉の上に盛られます。
食べるのに使う箸はトングのような形をした古代箸です。
最高神である天照大御神をお迎えするのです。
迎えるのは国家最高の権威である天皇です。
普通に考えれば、最高の食器が用いられそうなところです。
ところが、それが柏の葉にトング箸なのです。
我が国では、世界最古といわれる1万6500年前の土器が発掘されています。
8000年前には、すでに漆塗りの食器が用いられています。
ところが柏の葉にトング箸なのです。
ということは、この伝統行事は、土器が用いられるようになる前から始まっている行事であるということです。
ということは、それはいったい何年前から始まっていることなのでしょうか。
すくなくとも、1万6500年よりも、もっと古い時代からの慣習でありそうです。
そしてそれくらい古い昔から、天皇は、天皇でおいでになられたのです。
ですからはっきり申し上げて、天皇は、日本国憲法に基づく存在ではありません。
もちろん、憲法に基づく存在でもありません。
日本人が日本人たるゆえんであり、天皇があるから日本人があり、日本国があるのです。
つまり天皇は制度ではなく、日本の本質そのものなのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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「お詫びと訂正」
第一巻八十三ページに「これは千葉の常若神社の渡邊宮司から教えていただいた話なのですが、聖徳太子の十七条憲法の各条文は、それぞれ創成の神々の神名と関連付けて書かれているからこそ、十七条なのです」とありますが、私が教わったことは古事記と聖徳太子に関するお話であり、聖徳太子の十七条憲法と神々の神名との関連付けは教えていただいたことではなく、私の考えであると、渡邊宮司をはじめ、関係各位に深くお詫びして訂正いたします。

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