◆新刊書『ねずさんと語る古事記 壱』3月15日新発売。大好評予約受付中!
おかげさまでAmazon1位です(2/26現在)。ご予約はお早目に。

←いつも応援クリックをありがとうございます。

(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)
いまの世界は国民国家だらけになっています。
ですから多くの日本人は、世界中の国家は、大昔から国民国家であったと、なんとなく思い込んでいます。
けれど、これは大きな誤解であり間違いです。
国民国家(Nation State)とは、簡単にいえば、その国に住む「国民の統合体」が国家であるとするものです。
日本は大昔から、国民を「黎元(おほみたから)」としてきた国ですから、これはもう世界最古の国民国家といっても過言ではないといえます。
ですから私たち日本人にとっては、国家=国民であることは、ごく自然な理(ことわり)です。
ところが、たとえばお隣の半島の場合、1910年(明治43年)の前までは、国民国家ではありません。
李の王様が国土を私的に領有した「領有国家」です。

【倭塾】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第38回 2017/3/18(土)18:30〜20:30第4/5研修室
第39回 2017/4/9(日)13:30〜16:30第4/5研修室
第40回 2017/5/13(土)18:30〜20:30第1/2研修室
【百人一首塾】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第12回 2017/2/ 9(木)18:30〜20:30 第三研修室
第13回 2017/3/23(木)18:30〜20:30 第三研修室
第14回 2017/4/20(木)18:30〜20:30 第三研修室
第15回 2017/5/18(木)18:30〜20:30第三研修室
李氏朝鮮の時代には、いまの韓国人と血の繋がった祖先たちが住んでいましたが、彼らは李氏朝鮮王に私的に領有されていた人々であって国民ではありません。
なぜならそこは李氏朝鮮王の私有地なのですから、それは私有民です。
韓国という国自体存在していないのですから、当然、国民でさえありません。
国家という言葉自体は、Chinaの古い史書にも出てきます。
けれど、昔のChina朝鮮における国家という言葉は、王や皇帝の管轄地を意味する言葉であって、幕末に日本人が「Nation State」の翻訳語として使用した「国家」とは、まるで意味も使い方も異なるものです。
さらにいえば、両班からみれば、白丁は人ではありません。
私有民ですらありません。
当時の両班たちにしてみれば、自分たちが白丁と同じ「人」であるとされること自体、大迷惑な話です。
また、女性であれば、両班であっても、名を名乗ることが許されませんでした。
これは徹底していて、国王の妻であっても名前がありません。
そして名前がないということは、人間として扱われていなかったということです。
これはいまの韓国でも同じで、女性は、極端にいえば、単に子を産むための道具であり性の道具という扱いです。
韓国で女性というのは、適齢期の女性を意味し、適齢期を過ぎたら働き口もありません。
使用期限が過ぎたゴミ扱いです。
哀れな話です。
ちなみに日本では、適齢期をすぎた女性は「おかみさん」と呼ばれる神様か、「おばちゃん」と呼ばれる敬愛される存在になります。
このことは、現代韓国女性にとって、まさに驚くべき、うらやましいこととして認識されることなのだそうです。
要するに、
国民国家=国民の統合体
領有国家=国王や皇帝の私的領有国家
という違いがあります。
領有国家は、簡単にパターン化すれば、どこかから武装移民がやってきて、その地を土地を奪って王朝が築かれます。
朝鮮半島の場合ですと、もともとは、倭人系、China系、女真族系、元によって半島の全部が占領されたときのモンゴル系、穢系など、様々な種族が住んでいて、従って日本が統治する以前は、全道で言葉も文字もバラバラでした。
日本でも方言があったではないかと言われる方がおいでかもしれませんが、日本の場合、方言はあっても、語順は同じです。
ところが半島では、その語順さえもまったく異なっていたのですから、これは異なる民族としか言いようがないのです。
その異なる民族を、一部の人達が武力で押さえつけて一定の地域を国というまとまりとしたものが領有国家です。
従って李氏朝鮮は、領有国家ですから、領有し、支配するために、その正統性を、何らかの形で主張しなければなりません。
そのために、選んだ道が、Chinaの冊封体制の中に進んで組み込まれることでした。
要するに、やーさんと同じで、「ワシのバックには誰それがついとるんやでえ」ということが、王権の正統性の理由であったわけです。
一方日本は、はるか古代以前から、領有国家ではありません。
日本にある土地も人も動植物も、その一切は神々のものであり、その神々と繋がるのが天皇のお役目です。
その天皇は、国家最高の権威であって、政治的権力者ではないというのが、国の形です。
これを「シラス(知らす、Shirasu)」といいます。
天皇は、世界の歴史に登場する領主とはまったく異なる概念であり存在です。
その天皇は、最高神である天照大御神の直系のご子孫です。
いまさら正統性を主張する必要もありませんから、冊封の必要もありません。
ですから日本は、Chinaの王朝に対しても、一貫して対等であろうとしてきています。
もちろん厳密には、古い時代に日本が冊封を受けた時代もあります。
けれどそれは、Chinaの王朝が冊封国にしか交易を認めなかったという事情によります。
もし、冊封を受けることが、=子分になるということならば、清の時代に清国と交易をした英、仏、独、米、露なども、すべて冊封国として清の子分であったということになってしまいます。
さて、ちなみにですが、韓国や北朝鮮は、戦後に誕生した国ですが、それらは日本統治に対する「対抗国家(Counter State)」として築かれた国です。
日本に対抗するために・・・といえば思わず笑ってしまうような話なのですが、これは大真面目に、日本に対抗するためにひとつの国家としてのまとまりを形成しています。
従って韓国にしても北朝鮮にしても、反日であることが建国の出発点ですから、反日であることが国家的正義となります。
逆にいえば、両国が親日になるということは、両国が国家であることを止めるということです。
つまり、両国は、両国がこの世に存在する限り、反日国です。
これは、そこに住む人々の性格の良し悪しや、頭の良い悪い、あるいは人格等とは一切関係のないことです。
ですから、
「反韓はよくない。なかには良い人だっている」
という議論は、根底において間違っています。
どこの国にも良い人はいます。
そして良い人がいるということは、悪い人もいるということです。
両者は紙の裏表です。
そして個人の性格の良し悪しと、国家的正義とは、まったく別な種類のものです。
性格が良い人の多くは、国家的正義に忠実です。
忠実であれば、反日になります。
それが度を越せば、日本人を皆殺しにすることが、彼らにとっての正義となります。
実際、Chinaの王朝は、そのようにしてきました。
新たな王朝が立つと、前の王朝の貴族王族が皆殺しにされただけでなく、民衆も皆殺しにされました。
その都度、人口が大きく減少し、その減少したところに周辺民族が進駐してきて増殖をはじめます。
ですから、王朝交代のたびに、China大陸では、中にいる人は大きく入れ替わっています。
これもまた多くの日本人が誤解していることですが、Chinese=漢族ではありません。
漢族というのは、漢字を使っていた人たちといった意味ではありますけれど、では、一般民衆に至るまで漢字を使っていたのかというと、全然違います。
むしろ、文盲の人の方がはるかに多かったのです。
では、どうして漢字を使う人が漢族なのかというと、孔子の四書五経を学んだ人が、話し言葉が違っていても、四書五経が書かれている漢字を共通文字として外交上の意思疎通を図っていたからです。
つまり、外交文書や政治文書が、漢字を共通文字としていたというだけのことであって、漢族という人種や民族はそもそも存在していません。
もちろん、これもまた今のChineseの祖先にあたる人たちが、そのあたりに居たことは事実ですけれど、彼らには自分が漢族であるとか、Chineseであるといった民族意識はまったくありません。
清の時代であれば、清国人であったし、明の時代なら明国人です。
元の時代には、全員がモンゴル人であるということになっていました。
そして戦後には中華人民共和国が誕生しましたが、これもまた日本という大国に対する対抗国家として築かれた国です。
ですから反日が国是であって、口に反日を唱える人が正義の人です。
そして裏でこっそり日本と交易をして儲けるのです。
そういう意味では、実は戦後日本も、戦前の日本への対抗国家です。
GHQが方向付けを行い、これを政府が占領解除後も踏襲することで、いまだに日本は反日国家です。
ですから戦前の日本の一切に対抗することが国家的正義です。
実際には、それは文化破壊であったり、かなり性格のねじ曲がった人たちによって推進されているから、あまりにもいかがわしいことなのですが、日本自体が日本を否定し日本人であることを否定することを国是としているわけですから、本当の意味での正義は埋没し、悪が世にはびこることになります。
そしてその悪は、一般の日本人には到底受け入れることができない低レベルな議論でしかないために、その悪人同士は少数派同士で結託し、さらに同じ反日であるChina、Koreaにシンパシーを得ることになります。
すると日本の八百万の神は悪であり、日本の神社は悪魔を祀る宗教施設だという見方になります。
ところがそういう人たちであっても、お正月には初詣に行くし、受験のときには合格祈願のお守りなどをもらって大喜びしているわけです。
日本というのは不思議な国です。
そしてそれが、なぜそうなるのか、について、これは日本では、日本が民衆を「黎元(おほみたから)」とする国民国家を形成してからあまりにも歴史が長く、それが空気のようにあたりまえになっているから、誰もどうしてなのかわからない。
ところが空気は、普段は意識していなくても、さすがに空気が薄くなってくると、誰もが苦しくなるわけです。
それで、どうして苦しいのかがわからない。
はじめのうちは、だからそれを人のせいにしたりします。
あるいは政治のせいにしたりもします。
ところがそのうちに、周囲の人も、政治も、実は自分同様、苦しくて病んでいることに気づくわけです。
では、何がおかしいのか・・・ということになる。
アイデンティティというのは、同じ仲間だという意識のことをいいます。
では、日本人のアイデンティティとは、いったいどこからきていて、いったいどういう形をしているのか。
実は、そのことを記すという目的を持って、7世紀に書かれたものが『古事記』です。
ですから実は『古事記』の中には、日本的なアイデンティティのすべてがあります。
共産主義史観では、人々は進歩するものであり、昔より今、昨日よりも今日の方が進んでいるのだと説きます。
けれど『古事記』をあらためて学んでみてわかることは、昔の人の方が、いまの人々よりもはるかに知性が進んでいたのではないかということです。
本当に考察が深いのです。
そしてその深い考察のもとに、日本の建国までの流れが記述されているのが、『古事記』の上つ巻であり、中つ巻の壱の神倭伊波礼毘古命までの記述です。
今回、そこまでを本にすることになったのですが、本当に読むと人生観が変わるような衝撃があります。
お読みいただき、ありがとうございました。

↑ ↑
応援クリックありがとうございます。


ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓ ↓


