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20161121 就活
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就職試験などの面接で、「尊敬する人は誰ですか?」という設問は、いまも昔も、いわば定番の質問です。
この質問についての答について就職専門サイトや就活情報誌などを見ると、スティーブ・ジョブズや坂本龍馬などが、よく出る名前としてあげられたりしています。
採用する側も、「この質問は就活者の価値観を知ろうとするものであり、その人が何に価値を置いているか、たとえば孫正義を尊敬する人なら、チャレンジすることや事業創造や行動に価値を置いていると考える」などと、事前に担当者が教えられるようです。
孫氏が、本当にそういう意味の人物といえるかは別として、「尊敬する人」を切り口に、相手の人物の価値観を知ろうとすることは、たいへん重要な意義があるし、これがそのための質問であることは、間違いのないことだと思います。
ところが、最近では、多くの就活情報誌や、あるいは面接する側の担当者への企業の外部研修などにおいて、就活者の「両親」という答えは、
「価値観がわからない。
 理由は聞くまでもない」
などとされているところがあるのだそうです。
これにはびっくりさせられました。
なぜ驚いたかというと、すくなくとも昭和30年代くらいまでは、「父」、「母」、「両親」という答こそが定番でした。
就活者が他の、たとえば歴史上の人物の名を答えたときには、第二の質問として「尊敬する人」とは別にあらためて、
「両親をどのように思っていますか?
 その理由はなぜですか?」
と質問することが常識でした。
なぜならその就活者の両親への思いを聞くことで、その人が長く使える人材かどうかを、誰もが簡単に見抜くことができたからです。
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このことは逆に考えたら、誰にでもわかることです。
世の中で最も尊敬する人に「父・母・両親」のいずれもが出てこないということは、その人は、
「育ててくれた両親にすら感謝も尊敬もできない人である」
ということになります。
ということは、会社や上司がその人をいくら一生懸命育てたとしても、その人は何の恩義も感じないし、感謝もない、つまり身勝手な人物であると、自ら表明していることになるからです。
そしてそのような人物を採用すれば、会社は組織集団ではなく、単に個の集まりを無理やり規則で働かせているだけのものとなってしまうし、その人が会社に定着することは、まずないというケースが多いのです。
会社は、莫大な費用をかけて社員の育成をしますけれど、その投資が最初から水泡に帰すということがわかっている人物を採用することになってしまうのです。
そしてそのような者を採用すれば、これは童子教にもありますが、
 畜悪弟子者 悪しき弟子を畜(やしな)へば
 師弟堕地獄 師弟地獄に堕(を)ちる
なのです。
会社が地獄に堕ちるということは、会社が倒産するということです。
会社は組織であり、人が織りなす機構です。
そして子供時代にもっとも身近な組織機構が、家族です。
その親を尊敬できないような人物なら、その社員が、会社という家族の一員となることは決してないし、それどころか上司や社長を頭から否定したり、馬鹿にしたりして組織を崩壊させる原因を作ってしまうことにもなりかねないと考えられてきたのです。
ひと昔前までは終身雇用が前提でしたから、22〜3歳で新卒者を採用しても、当時の55歳定年でも30年以上です。
昭和30年代頃までは中卒者、高卒者の採用が多かったですし、もう少し古い時代までいきますと、いまの相撲部屋の親方定年と同じ65歳定年の会社も多かったですから、下手をすれば半世紀も、その社員には会社で仕事をしてもらうわけです。
半世紀の間、嫌なときも、つらいときも、嬉しいときも、悲しいときも、常に会社とともにあり、会社の上司や先代からいまの社長に至るまで、ずっと変わらず忠誠を尽く、役席者となってからは、部下のことを家族のように思い、人を育ててくれるような社員を選ぶのが、会社の人事担当者の仕事です。
その採用が、育ててくれた親への感謝も尊敬もない人物であったならば、おそらくはその社員は半世紀という歳月を、社の家族の一員として、社とともに歩むことは決してできないと見極められると考えられてきたのです。
このように書くと、「両親と答えるなんて、いまさらダサい」などと思う人がいるかもしれません。
なるほど2014年に、国立青少年教育振興機構(東京)が日・米・中・韓各国の高校生に「親を尊敬しているか?」というアンケートをとったところ、「とてもそう思う」と回答した生徒の割合は、
 1位 米国 70.9%
 2位 中共 59.7%
 3位 韓国 44.6%
 4位 日本 37.1%
です。
日本は4か国中、最低の数字となっています。
別な調査でも、これは2012年5月11日放送の日テレ「なんでもワールドランキング ネプ&イモトの世界番付」の放送内容ですが、「親を尊敬する国ランキング」で、
 1位 中共・インド他13カ国 同率1位で 100% 
 2位 チリ、フィリピン          99.1%
 3位 オーストラリア、シンガポール    99.0%
となっていて、98%までいくと、世界のほぼ全部の国が、これに該当してしまいます。
ところが日本は、世界でビリから二番目の国からも、なんと10ポイント下がった81.8%、これもまた世界最低の数字になっています。
世界のほぼすべての国の調査結果が98%以上であったという事実は、富める国であれ、貧しい国であれ、親を尊敬するということは、人類の常識と言って良いことだということです。
これこそ、戦後の日本解体工作の最大の成功例といえるかもしれません。
フィリピンのマニラにスモーキー・マウンテンと呼ばれるゴミ捨て場があります。
そのゴミの山の中で、1990年代には、約3万人が生活をしていました。
住んでいる住民の多くは、地方や離島の出身者でした。
貧しい村の生活に耐えかねて、生きるために家族連れで都会のマニラに出てきたのです。
ところが離島の出身者では仕事もない。
仕事がなくてお金がないから、住むところもない。
それで、いつしかスモーキー・マウンテンに、ベニヤ板や段ボール箱でバラックを建てて住み着いたのです。
なぜスモーキー・マウンテンというゴミ捨て場に住むのかというと、そこでゴミをあさって、プラスチックやアルミ缶などを拾うのです。
これをリサイクル業者に売って日々の暮らしの費用にあてるのです。
けれどそこは、あらゆるゴミ捨が捨てられる場所です。
毎日、300台前後の大型トラックがゴミを満載してやってきてゴミを捨て、そのゴミが山のように堆積しているところです。
堆積したゴミからは腐敗ガスがたちのぼり、そのガスに含まれる有毒物質によって、30分もいたら誰でも眼が痛くなります。
そのゴミを、大型のブルドーザーが動かしています。
そういう場所で、毎日ゴミをあさるのですが、まる一日ゴミをあさって、ようやく得られるお金は、良くて5円〜10円です。
写真家の池間哲郎さんがその場所を訪れたとき、そのゴミの山でゴミ拾いをしている子どもたちのひとりに10歳くらいの可愛らしい女の子がいて、その子に質問したそうです。
「あなたの夢は何なの?」
こんなスラムにいても、子供はきっといろいろな夢を抱いているに違いない、そう思い込みながらの質問だったそうです。
ところが少女から帰ってきた答は、
「私の夢は、大人になるまで生きることです」
というものでした。
ゴミを拾う子供たちは、大型トラックに轢き殺されたり、ゴミを寄せるブルドーザーのキャラピラに巻き込まれたり、ゴミに生き埋めになったり、子供たちの中で、15歳まで生きることができる子は、3人に1人という過酷な環境にあったのです。
けれどそんな子供たちに、
「あなたの尊敬する人はいる?」
と聞くと、誰もが
「Father」、「Mother」と、そのときだけは明るい笑顔で答えるのだそうです。
客観的にみれば、そんなところで生活しなければならないような事態を招いた親でしかありません。
けれど、15歳になることさえ許されない子供たちからすれば、唯一安心できる場が、母の胸の中であり、そんな中でも必死で家族を支えようとしてくれている父の姿なのです。
たしかに日本人は、戦後豊かになりました。
いまどきの子供たちには、飢えるということ自体が、まったく理解できないことであったりする子もいると聞きます。
そして、世界的に見たら、人類の理想郷と言って良いくらいの豊かさを享受していながら、
「オレの小遣いが少ないのは、親の稼ぎが悪いからだ」と、親のせいにして、自分はケータイのゲームばかりをしている。
さらにもっと贅沢を要求する。
しかもそれが間違っているという指摘は、家庭でも学校でもされることがない。
そして大学まで出してもらって、成人して就職試験になると、尊敬する人は「スティーブ・ジョブズです」、「孫正義です」、「ホリエモンです」と答える。
「どうしてですか」と聞かれると、答は「お金持ちだから」。
それで採用になった社員が人事部に配属になって、新たに採用する人にまた質問するわけです。
「あなたの尊敬する人は誰ですか?」
最近の優秀な子供たちにとっての、勉強の目的は「良い大学に入ること」なのだそうです。
良い会社に入っても、そこに定着しようという意思すら持ち合わせていない。
要するに、学問の目的が、単に「良い大学に入ること」だけになっているわけです。
ということは、「良い大学」に入ってしまったら、人生の目的は終了です。
その先は余生でしかないことになります。
時代は遡りますが、江戸時代には、いまでいう文科省のような機構は、幕府にも朝廷にもありませんでした。
幕府にせよ、朝廷にせよ、諸藩にせよ、商家にせよ、もちろん代々の世襲もありますけれど、基本は、私的な学問所や私塾、あるいは寺子屋を出た者の中から、優秀な子を採用しました。
判断するのは、採用する側です。
ですから寺小屋にしても、私塾・学問所にしても、世に役立つ人を送り出すことが勤めでした。
生徒にとっても、学問の目的は、世に出て、世の役に立つことでした。
判断するのは、世の中であり、採用する側です。
ですから寺子屋、私塾、学問所は、いかに世に役立つ人材を送り出すかという厳しい競争に常に晒されていました。
当該学問所の看板を背負った者が、社会に出て役に立たない者であったなら、その学問所は簡単に倒産、閉鎖に追い込まれました。
逆に、世に役立つ生徒を輩出できるところには、生徒が詰めかけました。
そこには生き残りのための強い競争が常にあったのです。
ところが昨今では、生徒数の減少から大学がやっていけないからと、国が補助金を出して積極的に外国人留学生を招き、そういう生徒を採用する大学の中には、偏差値40以下のところも数多くあると聞きます。
いったい文科省は、何のためにあるのでしょうか。
そして、日本はこのままで本当に良いのでしょうか。
お読みいただき、ありがとうございました。
※スモーキー・マウンテンに関する記述は、池間哲郎著『最も大切なボランティアは自分自身が一生懸命に生きること』を参考に書かせていただきました。
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