◆第34回倭塾は、2016年11月12日 18:30〜開催です。
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←いつも応援クリックをありがとうございます。学校で、「江戸時代までの日本は米本位制で、武士の給料もお米で支払われた」と教わったご記憶があろうかとお思います。
給料だけでなく、たとえば寺子屋の授業料や、私塾の授業料も米で支払われました。
また、税である年貢も、お米で支払われたことは、みなさまご存知のとおりです。
ちなみに税については、他に河川や道路、あるいは公共施設の普請事業などで働く、つまり労働力を提供することも税でしたし、商人がイベント事に際して金子(きんす)や料理を提供することも税と呼ばれていました。
つまり、お金による税の提供も、ごく一部にはあったわけです。
すこし考えたらわかることですが、江戸時代、貨幣経済はたいへんに発展していました。
商品先物取引や、株売買に株相場なども、江戸時代には既に行われていましたし、もっと下品なところで丁半博打の賭場は全部金銭取引です。
着物を入れる質屋さんも現金取引です。
お伊勢参りに金毘羅参り、あるいは富士詣に、ひなびた温泉での湯治なども、江戸時代には盛んに行われていましたが、その旅での宿泊費の支払いは、全部現金です。
また馬や籠、川の渡船の代金や、大井川の渡し人足の手間賃も、これまた現金取引です。
吉原で遊女を買うのも、夜鷹商売も、これまた現金取引です。
要するに江戸時代においては、生活全般に、すでに貨幣経済が深く浸透していたし、先物取引に見られるように、それは西欧社会と比べてみても、はるかに、かなり進んだ実体経済が貨幣経済のもとで行われていたわけです。

【倭塾】(江東区文化センター)
第35回 2016/12/24(土)13:30〜16:30 第4/5研修室
第36回 2017/1/14(土)13:30〜16:30 第4/5研修室
【ねずさんと学ぶ百人一首】(江東区文化センター)
第9回 2016/11/24(木)18:30〜20:30 第三研修室
第10回 2016/12/8(木)18:30〜20:30 第三研修室
第11回 2017/1/19(木)18:30〜20:30 第三研修室
それだけ貨幣経済が世界的に見ても屈指の発展を遂げていたにも関わらず、国の柱となる税も俸禄(武士たちの給料)も、ことごとくその大半が米で現物支給だったということは、いったいどういうことなのでしょうか。何を意味しているのでしょうか。
米による禄の支給は、7世紀の大宝律令の時代にはすでに確立されていますが、では、古い昔からそのような制度だったから、ただ漫然と米による俸禄支給が行われていたのでしょうか。
すこし考えたらわかることですが、米による税の取り立て、米による俸禄の支給は、実にたいへんなことです。
俸禄の支給日には、米俵を積み上げて、これを支給するのですが、受け取る側も、これを家まで運ぶのは難儀なことです。
現金支給と較べたら、どう考えても不合理です。
その不合理なものが、少なくとも千年以上に渡って、ずっと続けられてきたわけです。
実はここに、まさしく日本らしい統治の考え方があるのです。
どういうことかといいますと、日本は天皇のシラス国です。
ですから日本の国の形は、「皇・臣・民」によって成り立ちます。
貴族や武士は、その「臣」にあたります。
「臣」は、「民」の面倒をみることが仕事です。
その「民」は、天皇のたからものです。これを「おおみたから」といいます。
つまり「臣」は、天皇のたいせつなたからである民たちが、豊かに安心して安全に暮らせるようにすることが仕事です。
この仕組を「シラス(知らす、Shirasu)」と言います。
「臣」たちが面倒を見るエリアは「知行地」と呼ばれましたが、この「知行」という言葉は、我が国独自の漢語で、「知らすを行う」という意味です。
つまり、「皇・臣・民」という、シラス統治を実現するために「臣」に委ねられているのが「知行地」です。
ですから当然のことながら、知行地において、その殿様は、支配者ではありません。
あくまで「おおみたから」を預かる立場です。
ということは、地震、水害、火災、凶作などの災害が起きたときなど、民に困ったことが起きたときの備えも、知行する「臣」の勤めです。
古くは安倍晴明といえば陰陽師で有名ですが、安倍晴明の給料は、今で言ったら年収約4億円です。
公務員で年収4億円といったら「すごい」と思われるかもしれませんが、その4億円は、現金で支給されるのではなくて、お米で支給です。
けれど、どんなに頑張ったところで、安倍晴明ひとりでは4億円分のお米など食べきれるものではありません。
安倍晴明の家人たちを加えても、それは無理です。
ではそれがいったい何を意味しているかというと、安倍晴明は朝廷から、4億円分のお米で、知行地の人たちがちゃんと豊かに安全に安心して食べていかれるように、しっかりと面倒を見よ、ということです。
これが「知行(ちぎょう)」です。
この考え方は、江戸時代の武士もまた同じです。
どこまでも「知行」のための俸禄なのです。
それを自分の贅沢のために全部遣ってしまったら、4億円分の知行地の人が飢えてしまいます。
加えて知行地には、天変地異による凶作や災害もあります。
そのときには「知行」する者が、貯えたお米を放出して、民を扶(たす)け、面倒をみなければなりません。
そういうことに全部責任を持つということが、「知行」するということです。
「知行」というのは、「知らすを行う」と書きます。
「知らす」というのは、天の神に通じるという意味です。
神は上(かみ)でもありますから、直接には、上司上長を指しますが、その上司の上には、たとえば江戸社会なら大名がいるし、その大名を任じているのが将軍だし、その将軍を任命しているのが天皇です。
そして天皇は、民を代表して天の神に通じるお方です。
そして日本は、天皇のシラス(知らす、Shirasu)国です。
その天皇のたからのことを「おほみたから」と言います。
「おほみたから」は、最近では「大御宝」とのみ書かれることが多いようですが、もともとこれは大和言葉で、漢字は当て字にすぎません。
大和言葉での
「おほ」は、大切な存在、つまり天皇です。
「み」は、我が身の「み」です。
「た」は、田です。
「から」は、「はらから」という言葉がありますが、身内のことです。
つまり「おほみたから」は、「天皇が田で働く人々を我が身内とする」という意味の言葉です。
その一部の「知行」を命ぜられた人は、その「天皇のはらから」である「田ではたらく人々」が、困ったことにならないように、しっかりと面倒をみなければなりません。
つまり、天皇のシラス(知らす、Shirasu)を、特定の地域について行うわけです。
これが「知行」です。
だから「知らすを行う」と書くのです。
お米は独占できません。
貨幣なら、一部の大金持ちが独占して、自分だけが贅沢三昧な暮らしをすることができます。
いまどきは、在日系の企業などで、社長一人が年収で何百億円もとり、その一方で多くの従業員は、社会保険も厚生年金もない時間給労働者という企業が日本にもたくさん出るように成りました。
けれど、企業にせよ、公務所にせよ、そもそもなんのためにあるのかといえば、社会の公器として存在しているわけです。
そうであるならば、いかにしたら、みんなが困らない、みんなが食える社会を築いていくのかが、最大の社会の課題であるはずです。
まして日本は、天然災害の宝庫といって良い国です。
そしてひとたび災害が起これば、ひとりのちからでは、どうにもならないのです。
みんなの助け合う力が必要になります。
このことを突き詰めれば、いかにお米による俸禄という制度が、そのために重要な働きをなしていたかがわかります。
お金は腐りませんが、お米はほっておいたら腐ります。
ですから、いただいた俸禄は、ただ蓄えるのではなく、循環させなければなりません。
米本位制である以上、富は独占できないのです。
つまり、誰か独りの贅沢のために、冨が独占されることがないのです。
人間一人が食べる量など、天下とっても二合半です。
それ以上は、いくらお米があっても食べられません。
食べる量以上にお米をもらったらどうするかといえば、みんなのために配らなければならないのです。
貨幣そのものは、日本でも和同開珎が、すでに708年には発行されています。
日本には貨幣はあったのです。
けれども日本は、貨幣の存在がありながら貨幣経済を否定し、意図的に米経済で世の中を回してきました。
その理由は、経済も国も、すべては「おおみたから」である民のためにあると考えられたからです。
歴史は、ただ批判のための道具としたり、馬鹿にしたり、日本を貶めたり、あるいは面白くもない年号の丸暗記にするのではなく、そこから学びを得ることにこそ、歴史を記述し、歴史を学ぶ意義があります。
お読みいただき、ありがとうございました。



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