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←いつも応援クリックをありがとうございます。行橋市議の小坪しんや氏に関する爆破予告事件について、昨日、二度目の爆破予告がなされました。
事件は、今年9月はじめに、行橋市に宛て、
「行橋市役所を爆破する」
「小坪市議は市議を辞職せよ」
「辞意表明をブログ上で行え」
「さもなくば火の海に包まれるだろう」
という爆破予告が入ったことにはじまりました。
このことは小坪氏のブログ、あるいはその他のブログ等で拡散されていますので、ご存知の方も多いかと思います。
けれど昨日、二度目の爆破予告が起きました。

【倭塾】(江東区文化センター)
第34回 2016/11/12(土)18:30〜20:30 第4/5研修室
第35回 2016/12/24(土)13:30〜16:30 第4/5研修室
【ねずさんと学ぶ百人一首】(江東区文化センター)
第9回 2016/11/24(木)18:30〜20:30 第三研修室
第10回 2016/12/8(木)18:30〜20:30 第三研修室
最初の予告のとき、行橋市は職員が警察官とともに朝まで徹夜で市庁舎内の爆発物の捜索をしました。
これを受けて9月12日、なんと共産党の徳永克子市議が、
「小坪慎也議員は謝罪及び必要な行動を自ら行うことを求める」という緊急動議を市議会に出しました。
市議会は、これを即日可決しました。
爆破予告は明らかなテロなのに、なぜ行橋市の市議が共産党市議の動議を可決したかというと、「騒ぎが起きたということは、名指しされた小坪議員ひとりの責に帰すべき問題であって、自分たちは関係ないから、サッサと小坪議員を追い出して、事なきを得ようとした」わけです。
良く言えば「日本的事なかれ主義」ともいえます。
しかし、悪く言うなら、ただの「無責任」です。
なぜなら行橋市議会は、いとも簡単に「テロに屈した」ことになるからです。
テロは、容認すればエスカレートします。
沖縄で、左翼活動家が、警察官や県の職員等に平気で暴行をしている様子は、最近youtubeなどでもご覧いただけるようになりましたが、沖縄は、左翼の反日活動を容認したために、それがエスカレートして、いまや左翼無法地帯と化しています。
だからテロに対しては、「断固立ち向かえ」というのが、世界の常識であり世界の良心の発露です。
日本は言論の自由の国です。
ですから、極右から極左まで、日本国内にはありとあらゆる言論があり、意見があります。
思想信条は自由です。
しかし、当然そこには一定の制限があります。
自分の意思を押し通すために脅迫や強要をすれば、それは犯罪です。
まして爆破予告ともなれば、これは単なる愉快犯では済まされません。
その犯罪と自由な言論の境をどこに置くのか。
これは難しい問題です。
しかし、そこを間違えれば、言論の自由はなくなり、圧政と横暴、横車による暴力がまかり通る世の中になってしまいます。
だからこそ、議会があります。
議会は、良心の発露であり、自由な言論の場です。
そして議会が自由であり、言論が自由であるためには、議会は決して、絶対に暴力に屈してはならないのです。
これが議会制民主主義の最低限の暗黙のルールです。
このルールが理解できなければ、それは議会でもなければ議員でもないのです。
なぜならそれは、進んで暴力による支配を容認することになるからです。
暴力による支配を認めるなら、議会は要りません。
つまり、行橋市議会の議員たちは、進んで議会を、そして民衆の代表である議員であることを、共産党市議の口車に乗って、ろくに考えもせずに否定したことになるのです。
議員が議員であることを否定するなら、それは最早議員とはいえません。
議員でないなら、議員を辞職すべきです。
これは、小坪議員と私が個人的に親しいからとか、保守だから擁護しているとかいうのではありません。
もし、この爆破予告が、保守主義者によって共産党市議を辞めさせよという理由で行われたものであったとしても、私は、まったく同じことを申し上げます。
ひとこと余計なことを申し上げるなら、高度成長期の与党は、ほぼ完全な企業優先政党でした。
ですから公害問題や、労働問題、育児問題、高齢者対策、人権問題など、いわゆる弱者救済事案に関しては、あるいは社会的弱者についての何らかの保護を訴えるためには、社会党や共産党などの野党に頼るしかなかった時代でもありました。
簡単にいえば、お金儲けをしたい人は与党。
社会的正義を貫きたい人は野党を応援したのです。
それ以前の終戦直後には、外地にあってBC級戦犯として収容されている兵隊さんや軍属たちの早期帰還を強く訴えたのは社会党です。
公害問題を追求したのも、野党です。
野党は理不尽な要求をすることもありましたけれど、それなりに理屈がしっかり通った活動をしていたのです。
昭和の時代に野党を応援していて、いまは保守の論客となった人を「もともとは裏切り者」などと揶揄することは、それ自体がマヌケのすることということができます。
かつては与野党ともに、「国を守り正義を守る」という一点においては、しっかりと一致していたのです。
昨今では、与野党ともに、議員であることの意味を失ってしまったかに見えます。
だから行橋市議会のような、履き違えが平気で起こるのです。
市議であれば、市民が「豊かに安心して安全に暮らせる」ようにすることが、第一です。
そのために議会があり、議員という職と地位があります。
爆破テロは、果たして市民を豊かにし、安心させ、安全に暮らせる要素といえるものなのでしょうか。
そこを考えないから、履き違えと申し上げているのです。
与野党や右左の問題ではないのです。
安全と安心と和を大切にする民度の高い国民であれば、日本的事なかれ主義は通用します。
けれど近年の反日活動は、卑劣な手段をなんとも思わない、日本人のような顔をして日本に住み、日本語を話す日本人でない人達によるものです。
こうした連中には、半歩でも屈すれば、要求は露骨にエスカレートするし、市民生活の安全と安心を脅かすのです。
行橋市の市議会議員は、そこがわかっていないのではないかと思います。
だから結果として、二度目の爆破予告がなされたわけです。
この事態を招いた責任は、誰がどのように取るのでしょうか。
この問題は、ひとえに行橋だけの問題ではなく、全国の議会、議員と名のつくすべての機関に共通する事柄であろうと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。


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