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←いつも応援クリックをありがとうございます。SAPIOの10月号にご掲載いただいたコメントが、livedoorニュースで紹介されました。
自分では編集の方の思いよりも、かなりトーンを落としてお話したことなので、こうして紹介されるとはちょっとびっくりです。でもありがたいことですね。
http://news.livedoor.com/article/detail/12003540/
さて、このところよく車の中でテレサ・テンを聞くのだけれど、たとえば「つぐない」なんて曲の歌詞は、どうも日台関係のことが歌に詠み込まれているような気がしてなりません。
まあ、和歌や俳句などと違って、あくまでも歌謡曲ですし、この歌の歌詞は、あくまでも男女の恋愛のことを歌ったものなわけですし、考え過ぎと言ってしまえばそれきりなのでけれど・・・。
というのは、テレサ・テンは、台湾出身の歌手のわけです。
そして聞くところによれば、彼女の親は、蒋介石とともに移住してきた約50万の外省人たちの中の一組であったというし、そういう意味では、もとからの台湾人、つまり日本人だった台湾人ではありません。
けれど、彼女が台湾の歌手であり、その台湾の歌手が日本語で、
・窓に西陽があたる部屋はいつもあなたの匂いがするわ
・こんな女でも忘れないでね
優しすぎたのあなた
子供みたいなあなた
明日は他人同士に
・過去に縛られ暮らすことより
とフレーズを続けるわけです。
日本人からすると、戦後に離れ離れになってしまった台湾の人達が、テレサ・テンの歌を通じて、なにかこう、日本人に、あるいはかつて台湾にいた日本の軍人さんたちに、
いまもあなたの匂いがするわ
台湾を忘れないでね
日本人はやさしすぎたの
日本人はまるで子供みたいに純真だった
いまは他人同士
過去に縛られずに強く生きていくわ
と語りかけているような歌に聞こえてくるのです。

この曲は、1984年の大ヒット曲となった歌ですが、戦争が終わって40年、当時二十歳だった軍人さんも、齢60歳を迎え、そんな折に、かつて日本人だった台湾人女性が、このようなことを連想させる歌を歌った。
そのことが、この曲が日本で大ヒットした背景にあったのではなかったと思うわけです。
実際、たとえばこの曲を、日本語の堪能なChineseのたとえばアグネス・チャンさんや、コリアンの桂銀淑さんがが歌ったとしても、果たしてヒットするかといったら疑問に思えるわけです。
やはりそこにはテレサ・テン=台湾というファクターがあったのではないかと。
優しすぎたのあなた 優しすぎたの日本人は
子供みたいなあなた 日本人は子供みたいに純真だったの
このフレーズは、台湾出身の歌手であるからこそ、説得力をもって日本人の心に響いたのではないかと思うのです。
すみません。
今日はつまならない話を書いています。
けれど日本は、「戦後日本」という日本が、本来のあるべき日本の姿ではないように思うのです。
やはり日本は、天皇のシラス国であり、天皇主権の国であり、その天皇は主権の行使をせず、主権の行使は、あくまでも天皇に親任された政府が責任をもって守り育んでいくというのが、本来あるべき日本の国のカタチです。
そして台湾の人達は、サンフランシスコ講和条約で日本が権利権限および請求権の一切を放棄して連合国(=国連)に委ねたとはいえ、その連合国(=国連)は、いま、台湾を国家として承認さえもしていないわけです。
テレサ・テンは、天安門事件の学生たちを擁護し、そしてもっぱらスパイによって殺害されたというウワサです。
そのウワサの真偽のほどは確かめようもありませんが、嘘と暴力で支配する暴力国家が国連の安全保障理事国であり、以前は同じ日本人であった台湾の人たちが、国家として承認されいていない国の人々、つまり無国籍者と、戦後70年を過ぎたいまでも、そういう立場に置かれているということについて、わたしたち日本人は、もっとしっかりと事実を受け止めていかなければならないのではないかと思うのです。
台湾の友人の言葉が思い出されます。
台湾はね、待ってるんですよ。
聯合艦隊は必ず来る、
日本は必ず立ち直って台湾を助けに来る。
信じてるんです。
大切なことは、歌の感じ方は自由だということではないかと思います。
歌謡曲やPOPだって、作曲者や作詞家には、それなりの思いや意図があったものと思います。
けれど、その曲の味わい方や感じ方は、人それぞれです。
それを、「こうでなければならない」とするのは、解釈の強制・強要であり、歌の矮小化です。
もっと自由に、楽しむことが大事と思うのです。
私は、『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』で、百人一首の歌の読み方について、従来の様々な解説本とは、ほぼ異なる解釈を提示させていただきました。
書名にある通り、それはどこまでも「ねずさんの」解釈です。
私には私の解釈があり、みなさんにはみなさんの解釈がある。
その自由を前提にしたとき、和歌の本当の楽しみが生まれてくるのではないかと思うのです。
大和言葉には、大和言葉独自のやさしさとか美しさがあります。
余計な解説がなくても、
いまこむと いひしはかりに なかつきの
ありあけのつきを まちいてつるかな
と聞けば、そこに何か感じるものがある。
その感じる心こそが、大切なものではないかと思うのです。
お読みいただき、ありがとうございました。


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