
京都御所
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←いつも応援クリックをありがとうございます。写真は京都御所の紫宸殿(ししんでん)です。
向かって右に桜、向かって左に橘の木があります。
これが「左近の桜」、「右近の橘(たちばな)」です。
紫宸殿側から見ると左右が反対になるからです。
紫宸殿は、御所の正殿です。
その正殿前に、なぜ桜と橘があるのかというと、神話に由来します。
桜が、木之花咲耶比売(このはなさくやひめ)です。
橘が、石長比売(いわながひめ)です。
石長比売が姉、木之花咲耶姫が妹です。
昔は「花」といえば桜を意味したので、木之花咲耶比売(このはなさくやひめ)が桜はわかりやすいかと思います。
石長比売は永遠の生命の神様ですが、それがなぜ「橘」かというと、垂仁天皇の時代の田道間守(たじまもり)の故事に由来します。
田道間守が常世の国に行き、不老不死の霊薬である非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を持ち帰ったのですが、古事記本文に、この「非時香菓」に注釈があって、「是今橘也(これ今の橘なり)」と書かれています。
そこから永遠の生命=石長比売=橘となったわけです。
田道間守は一世紀初頭の人ですから、ちょうど約2千年前の逸話です。
そんな古い時代の逸話が、いまもこうして橘の木となって紫宸殿前に飾られています。
日本はそれほどまでに古い国なのです。
そして木之花は桜で、美を象徴します。
つまり京都御所では、田道間守よりも更に古い時代の神話に基づく石長比売と木之花咲耶比売が、紫宸殿の前に鎮座され、いまもご皇室をお守りしてくださっているわけです。
先日行われた新しい歴史教科書をつくる会主催の「日本史検定講座」で、高森明勅先生の講義が行われたのですが、そのなかで、Chinaの冊封体制についての説明がありましたので、ちょっとだけ引用します。
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China皇帝が東アジア世界の頂点に位置しています。
天下に君臨する皇帝の別号が天子です。
天子というのは皇帝だけが名乗ることができる尊称です。
そこには国境という概念もありません。
尖閣もないし沖縄を返せという話にもなるわけです。
要するに皇帝や天子というのは、天下(=世界)に君臨しているわけです。
周辺の国々は、皇帝がそれぞれに領域を決めてそこを任せます。
だからChina皇帝は、皇帝の下にある周辺の国々に「王、公、侯、伯、子、男」というランクの称号を与えます。一番上が王です。
王には一定地域を与え、その領域を治めなさいと委ねます。
その委ねた領域のことを当時の言葉で「国内」と呼びました。
現在も国内という言葉はありますが、当時の「国内」という言葉の意味は、「皇帝によって委ねられた領域」のことです。
そこを治めるのが王で、その王に「冊書」という、いまでいう辞令が与えられました。
そしてこれらに任命することを「封ずる」と呼びました。
これが「冊封関係」です。
そして複数の冊封関係を束ねたものを「冊封体制」といいます。
高句麗王、新羅王、百済王倭王という、それらを束ねて「冊封体制」です。
個別は「冊封関係」です。
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今日話題にしたいのは、この「China皇帝は天下(=世界)に君臨する」という思想のお話です。
文中にあるように、China皇帝=天子です。
Chinaでは古来、天帝という神様がいるとされていました。
これは神様ですから、目に見えない存在です。
その天帝から天命を得て君臨するのが皇帝です。
天帝の命を受けて、つまり天帝の代理人として人間界に君臨するわけです。
ですから天子です。
人の世は、天帝の下にありますから、天子は世界に君臨します。
世界に君臨するのですから、そこに国境という概念はありません。
皇帝が冊書によって委ねたところは、天子の支配下です。
つまり中華皇帝の支配下で、そこは言語や民族が異なっていても、Chinaの一部です。
冊封体制の外側のエリア、つまり皇帝の冊書をもらっていない外周にある国や民族は、蛮夷です。
野蛮な夷狄(いてき)です。
夷狄とは、中華皇帝の威に服しない、未開で野蛮な人たちであり民族であり国です。
その夷狄が冊封を受けることは、進んだ文明を持つ中華皇帝の徳に服して、世界の中心にある華やかな文明の恩恵を受けることです。
だから、その中心にあるのが中華です。
そして中華と交易を為すには、その国は進んで中華皇帝の冊封下に入らなければなりません。
ですから中華と交易をする国は、冊書の有無に関わらず、中華皇帝の徳に服したものとみなされます。
このことを現代に引き直してみると、中共の行動がよくわかります。
南シナ海にしても、尖閣にしても、沖縄にしても、ベトナムにしても、あるいは現実に侵略されてしまったチベット、ウイグル、内モンゴルにしても、そもそも中共政府に国境という概念はないのです。
彼らにとっては、彼らと交流のある国は、全部、彼らの「徳に服した隷属下の国」となります。
そして彼らが進出した先の、彼らにとっての蛮夷の国も、彼らの人口が増えれば彼らの国です。
米国にはたくさんのChineseが進出していますが、彼らは郷に入って郷に従うことは一切しません。
どこまでも自分たちの都合を押し付けるだけです。
そして彼らはいま、オバマ大統領という黒人大統領が誕生したのだから、次はChinese大統領を米国に立てようとしています。
そして手始めに、親中色を明確に出している女性大統領候補に巨額の資金援助をしています。
しかしよくよく考えて見れば、中華思想は、その逆が真実です。
中華皇帝という絶対皇帝のもとにあらん限りの横暴を許し、国をあげて支配と収奪を蔓延させて、まさにこの世の地獄を、あの広大な国家の中で湯源させ、結果、王朝そのものが崩壊するという歴史を、ただ漫然とこの二千年間、あるいはもっと長い期間、繰り返し続けてきたのが中華です。
日本は、早くからこれに気づき、すくなくとも7世紀のはじめの遣隋使の時代には、冊封体制を離れて、対等な国家とし、遣唐使を廃止してChinaとの国交も絶ち、日本独自の文明を進化させてきました。
そしてこのとき、反面教師となったのが、まさに中華でした。
ですから言葉は同じ天子様です。
けれど日本では、その天子様が、民衆を大御宝とし、政治権力の直接の行使はせず、政治権力者を親任するという政治体制を築きました。
そして日本国民は、臣も民も、どちらも大御宝ですから、これを合わせて臣民と呼びました。
臣と民は、それぞれに役割は違いますが、人としては対等な天皇の大御宝なのだという形を築いたのです。
天皇という存在があるから、臣と民は、人として対等な存在となるのです。
天皇という存在を否定すれば、臣と民は、役割分担を超えて、身分の違い、人としての値打ちの違いになってしまいます。
つまり臣と民が、上下関係、支配と隷属の関係になってしまうのです。
その意味で、日本は、中華文明とは対極に位置づけられる臣民文化を築いてきたということができるのです。
そしてその天皇を中心とした臣民文化が、未来永劫続くようにとの願いが、京都御所の右近の橘となり、その美しさが左近の桜として、いまなお、京都御所の正面に植えられているのです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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