大阪の橋下知事は、報道陣の取材に応え、麻生太郎首相の支持率について「一度リーダーを選んだら犯罪でもしない限り支えていくべきだ」と述べたという。
けだし、そのとおりだと思う。
麻生氏を首班指名した自民党内部にあって、マスコミの偏向報道に動揺してそくさくと民主にすり寄ったり、マスコミと一緒になって麻生批判をはじめる一部の自民党議員の節操のなさには、いいかげん反吐が出る。
加えて、「批判をすることはいいことだ」という風潮にも疑問がある。
自由な言論は、討論を呼ぶし、それはいいことである。しかし、やるなら正々堂々とすべきだ。本人のいないところでゴソゴソ言うのは、「批判」ではなく、ただの「悪口」である。それは「卑怯者」の姿である。
いいたいことがあるなら、本人を前にして正々堂々と主張すればいい。それができないなら黙ってろ! それが人の道である、と言いたい。
すくなくとも、選んだばかりの大将が、すこしばかり漢字の読み間違いをしたくらいで、ガタガタ騒ぐな、といいたい。
悪口雑言を並べている議員側は、それなら君たちにいったいなんの実績があるのだ?と聞きたい。麻生氏は、就任以来、外交・内政に、それなりに動き回っている。努力をしている。国政に責任をもたず、批判ばかりしているような議員に、国政を担う資格はない。
漢字の読み間違いが問題だというなら、むしろ、一国の総理ですら漢字の読み間違いをするという戦後教育のふがいなさこそ「批判」の対象になるべきである。
昨日、橋下知事が学力テストの成績公表を拒む文部省を訪れ、「都道府県教育委員会に成績を渡さないというなら、大阪府教委は義務教育から撤退する」と述べたというが、テストというのは、点数に差がつくから生徒に競争意識が芽生え、努力しようとするのである。
競争そのものを否定する現代教育は、誰がどうみても社会の役に立たない。
役に立たない教育を推進している文部省は、税金の無駄遣い省である。
国民教育の必要性は論を待たないが、その国民教育を、愚民化教育に「政治利用」しているいまの文部省は、この際、人事を見直し、省内左翼勢力を一掃すべきである。
誰が左翼かは、とっくにわかっている話だろう。そういう勢力を一掃するのが政治の役割である。
子供たちの未来がかかっているのである。一国の総理ですら漢字の読めないアホというなら、その総理を選んだ政治家や政党はマヌケであり、その国の国民はバカである。
日本が、そのようなアホ・バカ・マヌケの連鎖国家になり下がったというなら、原因を作った戦後教育を根本から見直し、文部省内の左翼勢力は公職追放して、国家の教育体制を根本から見直せといいたい。
だいたい政治も企業も組合も、どこの組織でも同じだが、小利口なやつほど使い物にならん奴はいない。グチグチと批判ばかり繰り返し、なにかしようといえば、「いえ、それにはこういう問題点があります」と、問題点ばかり口にする。それが仕事だとか、それが正義だとか思ってる。
で、失敗したら、「だから私があのとき言ったでしょう」と要領よく責任逃れしてほおかむり。
で、成功したら、「あの件には、私も当初から参加してました」と要領よく成功者の仲間入りする。自ら努力することがないから、失敗もない。失敗がないから周りが勝手に落ちて行って、数年経つと成功者(?)になっている。そしてこのテの人間が増えると、組織は必ず崩壊する。
なぜなら自ら率先し、泥にまみれて行動し、責任をもって物事に対処する。そういう根性や覇気のある人材がいなくなるからである。
バブル崩壊後、失われた10年とかいうけれど、日本人から覇気が消えうせた10年でもある。
小利口者や小役人ばかりが増えて、なんの生産性もなくなった10年ともいえる。
資源エネルギーが石炭から石油に代わったことで、世界の構造は一変した。日本でも石炭産業といえば、国を代表する東大出のエリートの就職先だったが、資源が石油に転換することで、凡才の就職先だった石油業界が社会の中心になり、自動車業界が興隆し、化学繊維中心の世界になった。
いま、石油が枯渇し、代替資源がいまだ模索中というなかで、まさに世界は激変しようとしている。時代は、小利口者やエリート官僚の時代から、橋下氏のような覇気のある人物が求められる時代に変わろうとしているのかもしれない。
関連記事:橋下知事、文科省にブチ! 成績渡さぬなら義務教育から撤退 産経新聞
ごめんなさい。とっても文章が過激になってしまいました><;;

橋下知事「文科省はバカ」

橋下知事「たけしの日本教育白書、軍国主義教育に陥る そこからなんです」


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