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今日から一週間、
地球の反対側に行ってきます。
ある市でご挨拶をするためです。
その間、過去記事のリニューアル記事をお届けします。
ただし、どの記事も、新たな視点を加えています。
ねずブロは、みなさまの応援がエンジンです。
どうぞこれからもご愛顧のほど、よろしくお願いします。

伊東深水「吹雪」
伊藤深水吹雪

「立てば芍薬(しゃくやく)
 座れば牡丹(ぼたん)
 歩く姿は百合(ゆり)の花」などと申します。
どれも美しい花ですが、芍薬(しゃくやく)は、すらりと伸びた茎の先に、華麗な大輪の花を咲かせます。
花は、牡丹も芍薬もよく似た大輪の花を咲かせるのですが、牡丹が「木」なのに対して、芍薬は「草」です。
草は木ほど丈夫でしっかりとはしていませんから、そんなところから芍薬の花言葉は(大輪の花なのに)「はじらい、はにかみ」です。
振り袖の着物を着た立ち姿が、ちょっと恥じらいがあって、すこしはにかんだ笑顔がまるで花が咲いたよう。
そんな姿が、「立てば芍薬」という言葉になっているのかもしれません。


芍薬(しゃくやく)
芍薬

「牡丹(ぼたん)」は、「百花の王」といわれるくらいで、まさに豪華絢爛、華麗で美しい花を咲かせます。
洗剤などのメーカーの「花王」さんの「花王」も、もともとは牡丹のことを言った言葉です。
まさに花の王様で、花言葉も「高貴」。
座った姿に品があり、高貴ささえも感じさせる。そんな姿が「座れば牡丹」の言葉になったのかもしれません。
ちなみに、鑑賞する際に、芍薬は立って鑑賞するのが良く、牡丹は座って眺めるのが良いから「立てば芍薬、座れば牡丹」という説もあります。
牡丹(ぼたん)
牡丹

「百合(ゆり)」の花言葉は、「無垢、純潔」で、ほかにも「威厳」というものもあります。
ちなみに百合の名前の由来ですが、百合は球根が一枚一枚むけるのですが、それが100枚(つまりたくさん)あることから、百枚合わせで「百合」なのだそうです。
もっとも、大きな花が風にそよいでユラユラ揺れる、そんな風情から「ゆり」となったという話もあり、どちらがほんとかは、わかりません。
百合は、花そのものが清楚な印象がありますので、まさに「歩く姿は百合の花」なんて、とっても美しい形容だと思います。
百合(ゆり)
百合

記紀では、まず日本の国土が生まれ、次いで神々が誕生したとあります。
わたしたちの国においては、国土や風土と神々は兄弟であり、その神々の直系のご子孫が歴代の天皇であり、その家系に連なっているのが、わたしたち日本人です。
ですからわたしたちの国では、国土や風土と、わたしたち日本人自身に、分つことの出來ない深い関係があるとされているわけです。
柿本人麻呂は、万葉集で次のように書いています。
==========
やすみしし 我が大王(おおきみ)
神(かむ)ながら神さびせすと
芳野川(よしのがは)たぎつ河内(かふち)に 高殿を 高しりまして
登り立ち國見をすれば疊(たゝな)はる青垣山
山祇(やまつみ)の 奉(まつ)る御調(みつぎ)と
春べは 花かざしもち
秋立てば 黄葉(もみぢ)かざせり
ゆきそふ 川の神も 大御食(おほみけ)に 仕へ奉ると
上つ瀬に 鵜川(うがは)を立て
下つ瀬に 小網(さで)さし渡し
山川も 依りてつかふる 神の御代かも
===========
この歌は、持統天皇の吉野行幸に際して詠まれた歌で、現代語に訳すと次のようになります。
「すべての天下をシラス我がおおきみが
 神として、そして神の御業をなさるため
 吉野川の 激流渦巻く 都邑に宮殿を 高く建て
 その高殿に登り立って 国見をなさると
 幾重にも重なりあい 緑なす山々の
 山の神が天皇に捧げる貢ぎ物として
 春には 花を髪にかざし
 秋には 紅葉を飾り
 流れる川の 川の神も 天皇の御食(みけ)に仕えようと
 上の瀬で 鵜飼いを催し
 下の瀬では 投網をさし渡し
 このように山の神も川の神も仕えている、まことに尊い神の御代であることよ」
日本は、人も国土も風土も、すべて一体となって神に仕える国です。
その最高神が天照大御神様であり、お伊勢様です。
そのお伊勢様で、先日サミットが開かれました。
各国の首脳の反応は、最高の体験であったというものでした。
天照大御神様のお力は計り知れません。
ですからこれから世界は、新たな世界にむけて一歩を踏み出すことになると思います。
戦後70年を支配した歪んだ思想は、これから音を立てて崩壊していきます。
なぜなら、歪みの中に生きるのは魑魅魍魎です。
そして魑魅魍魎は、薄暗闇の中でしか、その猛威をふるうことはできません。
天照大御神様は、太陽です。
すべての闇を払われます。
明るい太陽の日差しの下では、悪鬼悪神は崩壊するしかないのです。
その天照大御神様に直接お仕えするのが、人の身であり神官のなかの大神官であられる天皇です。
すこし厳しいことを書きます。
ですから天皇は、どこまでも神に仕える人であるということです。
人は人であって、神ではありません。
それを無理矢理、「神」に仕立てたという大きな間違いを犯してしまったのが、実は明治以降の日本であると思っています。
日本人は努力しました。
けれど、そこに大きな歪みがありました。
その歪みは、明治維新から80年後に大東亜の敗戦というカタチで修正されました。
考えてみれば、人として、国家として、正しい行動をどこまでも民衆が追求していながら、80年の間に8度もの大戦を経験しなければならなかった、そこで多くの命が失われたということは、どこかに歪みがあったということです。
すくなくとも、戦後70年は、日本は一度も戦争で多くの命を失うことがなかった。
これは、戦前の抱えた大きな歪みが修正されたからであるとみることもできようかと思います。
ところが戦後には、別なカタチの歪みがまた生まれました。
それが「反日」という歪みです。
「反日」というのは、究極的には「日に叛(そむ)く」、つまり最高神であられる天照大御神に背くということです。
日本人は敗戦後の歪みの中で、知らず知らずの間に、その罠に埋没してきました。
その結果起きているのが、平成の大不況です。
ちなみに戦後、意味を変えて使われる様になった言葉に、「陛下」という言葉があります。
「陛」というのは、天皇や王のいる殿上に登るための階段のことをいいます。
「私はその階段の下にかしずく者です」というのが、「陛下」という言葉の持つ意味です。
ですから戦前は「天皇陛下」という言葉は、「私は天皇の殿舎の階段の下にかしずく者です」という意味での一人称として用いられました。
ところが戦後は、「天皇」=「陛下」という意味で、別な意味での一人称として用いられるようになりました。
これは、実はとんでもない言葉のマジックです。
さて、日本には四季があり、季節はめぐります。
高度成長という暑い夏から、バブル景気という稔の秋が過ぎ、平成の大不況という長く続く冬の時代が、いまようやく過ぎて、日本に春が、すぐそこまでやってきています。
芍薬や牡丹が咲いても、歩く姿は気品あるユリの花というのが日本人です。
驕ることなく、地味に堅実に、けれど堂々と、シラス日本を取り戻していきたいと思います。
※この記事は2014年5月の記事のリニューアルです。
20151208 倭塾・動画配信サービス2

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