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20160302 ワンピース

拙著の『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人 第二巻』の冒頭にも書きましたし、このブログでも繰り返し述べていることですが、日本の漫画が、なぜいま世界でこれほどまでに受け入れられているのか。
たいせつなことなので、今日もこのことを、あらためて(ちょっと切り口を変えて)また書いてみたいと思います。
漫画の歴代発行部数ランキングを発表しているサイトがあります。
http://www.mangazenkan.com/ranking/books-circulation.html
ここを見るとすごいです。


1位 ワンピース 3億2086万部
2位 ゴルゴ13 2億部
3位 ドラゴンボール 1億5700万部
4位 こちら葛飾区亀有公園前派出所 1億5650万部
5位 名探偵コナン 1億4000万部
6位 ナルト NARUTO 1億3500万部
7位 美味しんぼ 1億3000万部
8位 SLAM DUNK 1億2000万部
9位 ドラえもん 1億部
10位 鉄腕アトム [完全復刻版] 1億部
11位 タッチ完全復刻版  1億部
12位 金田一少年の事件簿 9000万部
13位 ジョジョの奇妙な冒険セット 9000万部
14位 サザエさん 8600万部
15位 BLEACH 8200万部
16位 はじめの一歩 7550万部
17位 三国志(横山光輝)7000万部
18位 HUNTER×HUNTER 6500万部
19位 北斗の拳(新書版) 6000万部
20位 キン肉マン 6000万部
文章で書かれた小説などは、10万部も売れたら大ベストセラーと言われているのですから、まさに「漫画恐るべし」です。
なぜこんなにまで日本の漫画が世界中で受け入れられるのでしょうか。
そこには「共感、独創、対等」という3つのファクターがあります。
1 共感
およそ人々に受け入れられるものというのは、そこに読み手の共感がなければなりません。
読み手が登場人物に感情移入できるから、共感が生まれるわけです。
この点は、みなさまも異論はないと思います。
逆にいえば、マンガが売れるからと、教育をそこに交えただけでは、そこに共感は生まれないことになります。
いかに読者が感情移入できる共感を生むかが、大きなキーワードになっています。
2 独創
漫画は、一部例外的に小説や伝記などを漫画化したものもありますが、ほとんどが作者のオリジナル、つまり独創です。
横山光輝氏の『三国志』や『水滸伝』のようなケースもありますが、これは原作が大ヒットした吉川英治の小説をもとにしており、原作が登場人物があまりに多くてわかりにいく点を、横山氏がマンガで上手に消化して、大ヒットとなりました。
こうした例外的なものを除いては、マンガは作者(原作者を含む)の独創性がものをいいます。
ただ、絵がきれいで上手というだけでは売れず、また原作がいくら良くても、絵が良くなければ、やはり売れません。
ちなみに、この「独創性」という視点について、一般の漫画以外の書籍ではどうかというと、昨今の多くの本が、誰かの引用の羅列であったり、似たような話をくどくどと書いているだけであったりと、そこにあまり独創性が見受けられません。
このため、ほとんどの本は売れず、書店で売れているのは、漫画とダイエット本と手作りお弁当のレシピ本です。
それら「売れている本」に共通しているのが、独創です。
読者は、お金を出して本を買うのです。
お金を出すということは、代金を支払う苦痛と、本の価値の交換です。
読むことで感動があったり、ストレスが発散されたり、あるいは共感できたり、自分の肥やしになると思うから本を買うのです。
お酒を飲むのに3千円払うのは、気持ちよくなれるから、楽しいから、ウサを晴らせるからです。
お金を出してエステサロンやスポーツジムに通うのは、自分のためになると思うからです。
運動したいだけなら、お金を出して毎朝マラソンすれば良いのです。
あえてお金を出してジムに通うのは、そこにそれだけの価値を認めるからです。
本も同じです。そこにお金を出すだけの値打ちがあると思うから買うのです。
お金を出してまで買う値打ちがなければ買いません。
GHQが焚書にした図書ばかりを集めた私設図書館に行ったことがあります。
一歩入った瞬間に感じたことは、本からオーラが出ているように感じたことです。
その中の1冊を手にとってみました。
ある大学教授が書いた本でした。
教授自身が、東南アジアの山中深くに単身分け入って、そこに住む村人たちと起居をともにしながら、彼らの持つ文化や伝統、風習を調査したときのことを記したものでした。
内容は、誰も本にしたことがないことを、本にしていたものです。
内容は、すべて著者の教授の実体験です。
巻末に引用文献一覧などありません。
あるわけありません。
世界ではじめて自主的に行った実態調査なのです。引用のしようがない。
こういう本が、焚書にされたのです。
まさに日本人の汗と涙の血で認められた図書たちです。
この図書館に一歩踏み入れたときの、あの圧倒されるような、ワクワクさせるような、ものすごいオーラと感じたものの正体が、まさにこれでした。
つまり、独創です。
ですから昔は、書店さんや図書館に行くことは、とてもワクワクすることでした。
なぜなら、そこは自分の知らない様々な知的な感動にあふれたからです。
親からは子供の頃、「本は宝物だから足でまたいでもいけない」と教えられました。
だから『ぼくら』とか『冒険王』とか『少年マガジン』とか、大事にとっておいたら、それは蔵書ではない、と笑われました。
大切にしなければならない蔵書というのは、自分のたからものになる本のことだと教えられました。
もっともいまにしてみれば、あの頃の箱に入れた『ぼくら』とか『冒険王』とか『少年マガジン』とかを大事にとっておいたら、高いお金で売れたかもしれません。
けれど、そこが問題なのです。
売れるから値打ちがあるのではないのです。
そこに込められた知的財産というカタチのないものに、値打ちがあるのです。
最近の評論家や大学教授などが出す本の多くは、この知的財産性がありません。
あるのは「模倣」です。
「独創」があるから、知的財産性があり、値打ちがあるのです。
誰かの図書を引用し、あれこれと評釈を加えているだけなら、それは教授ではなく、生徒が書いたノートに過ぎません。
そしてノートなら、どの先生の講義録なのかが大事であって、独創が発揮されているのは、せいぜいノートの取り方にすぎません。
ダイエット本や手作りお弁当の本や漫画がなぜ売れるのかといえば、それらはまさに、その内容に「独創性」があるからです。
3 対等
ヒットしている漫画に共通していることが、この対等観です。
日本的対等感と読み替えた方が良いかもしれません。
ほぼすべてのヒット漫画が、対等な仲間たちの主人公のグループ(シラス仲間たち)が、上下と支配のウシハク悪者グループと対決し、勝利する物語になっています。
このことは、私達の世代が子供だった時代の、黄金バットや鉄腕アトムや鉄人28号、あるいは8マンにはなかった傾向です。
黄金バットやアトムや28号の時代には、日本社会には、まだまだ社会に日本的対等観が残っていました。
ですから、誰もがヒーローに憧れましたし、自分がヒーローになろうとしていました。
誰もが一緒、みんな一緒ではなくて、
「あいつは勉強はできるけれど、駈けっこだったら俺が一番だい!」として、自分のいる場、自分のいる分を築こうとしました。
先生は師匠ではあるけれど、人としては対等でした。
会社の上司や先輩たちは、尊敬する人たちでしたけれど、背広を脱いだら人として対等な仲間でした。
釣りバカ日誌の浜ちゃんは、会社ではドジばかりしている下っ端だけれど、釣りの世界では、浜ちゃんは会社のオーナーの師匠です。
そういう根底に人は対等であるという認識が、日本社会の根底にかつてはしっかりと根を降ろしていました。
だからこそ、駆けっこで1番になれないし、漫画を書くこともできないけれど、漫画のストーリーについては、誰より知っているという奴が、みんなから尊敬されたりもしていました。
彼らは、まさにヒーローでした。
様子が変わったのは、バブル頃からです。
日本的対等観が崩れて、なんと上下と支配のウシハク世の中に日本社会が変わって行ってしまったのです。
そのストレスが、日本の漫画の主人公に、「対等な仲間たち」という概念を備えさせました。
アニメは、人々の期待や願望の表現です。
その期待や願望が、情報の送り手と受けての間に一致を見たとき、そのアニメは大ヒットとなります。
ウルトラマンは、単独で戦ったけれど、セーラームーンやポケモンは、対等な仲間たちで戦いました。
そこに、実は失われようとしている日本文化が、漫画やアニメというカタチで表現され、世界に広がって行ったのです。
そしてその人気ではっきりとしたのは、世界中の多くの民衆が真に待ち望む社会は、まさに上下と支配の構図ではなく、人と人とが対等に生きることができる社会であったということでした。
たとえば英語には、平等と対等という言葉の区別がありません。
どちらも「イコール(equal)」です。
言葉がないということは、概念もないのです。
だから力の強い者が上に立って支配する。
支配者を選び間違えると、生活までおびやかされかねないから、彼らは支配者の選択に実に熱心です。
ところが日本では、大昔から、すべての人は、偉い人もそうでない人も、みんな天子様の「おおみたから」です。
誰もが「氏素性のしっかりとした人」です。
そして天子様によって任命された権力者は、天子様のたからを預かる立場です。
権限や権力を持ちますが、人としては、民衆も権力者も等しく「おおみたから」です。
だから、人と人とが「人として対等」であることが、日本ではあたりまえだったのです。
お隣の韓国の人が、従軍慰安婦とか性奴隷といって騒ぎますが、日本では大昔から、売春婦であっても人として対等です。
ですから見眼麗しく情あり、教養があって立ち振舞が優雅、つまり女性としての魅力次第では、彼女たちは武家の妻になったり、あるいは商家の旦那の妻になったりしました。
妻にならない女性も、売春宿を卒業(退職)したあとは、お華や三味線、長唄、お琴、和裁や着付けなどの師匠となって、一生安泰に、しかも人々から尊敬されて暮らすことができました。
そういう「職業や身分の貴賎ではなく、人として互いを尊敬し認め合う」という文化が彼らにはないから、性奴隷にしか見えないのです。
哀れなことです。
何年か前、パリのアニメ博覧会で、韓国がセックス・スレイブをことさらに描いた作品をゴリ押し出品しました。
けれど、漫画もアニメも、人々の期待や願望が、絵になったものです。
ですから日本の漫画やアニメは、どれも対等な仲間たちが、ウシハク敵と勇敢に戦う物語ですけれど、彼らは、性奴隷や被害者をひたすら強調した作品を出品しました。
これはつまり、情報の発信者や受け手のその国の国民たちが、性奴隷を求めているということの証にしかなりません。
哀れなことです。
そういうことを日本が胸を張って堂々とアニメフェアで主張していれば、二度と彼らはアホな真似はできなくなったであろうかと思います。
喧嘩をするとかではありません。
日本文化のどこが凄いのか、その凄みの原点をしっかりと踏まえて、そのことを堂々と主張することこそが、世界の人々を、日本ファンにしていく要諦であると思うのです。
一日1000人の精神が奪われても、1500の精神を育てていくのが日本です。
だからこそ、共感、独創、対等による文化や技術の発展があるのです。
ウシハク国では、こうはいきません。
彼らの本質が、対立、模倣、支配にあるからです。
対立し、敵対し、二極化し、否定します。
模倣し、コピーし、レプリカし、強奪します。
そして支配し、強制し、差別します。
なるほど、中韓のことかと納得してはいけません。
日本も、いまやそうなりつつあります。
※この記事は2015年6月の記事のリニューアルです。
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