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昨日の記事で、土佐藩の家老で野中兼山(のなかけんざん)をご紹介しました。
兼山が生まれが元和元年(1615年)です。
これは大阪夏の陣のあった年ですから、彼は江戸時代初期の人です。
この野中兼山の功績というのは、たいへん大きなもので、坂本龍馬で有名な土佐藩の郷士制度を作ったり、250年後にやってきた昭和初期の室戸台風にも耐えられる港湾設備を作ったり、あるいは米価安定のための「公定価格制度」を導入したりと、その生前の業績は枚挙に暇がありません。
土佐で有名な「カツオの一本釣り」も、もとをたどせば兼山の貢献によって生まれています。
つまり野中兼山は、たいへん立派な人物であったということです。
野中兼山が、それだけ大きな貢献ができたのは、もちろん本人がとてつもなく優秀だったということが第一でしょうが、やはり二代藩主の山内忠義にたいへんにかわいがられ、信頼され、重用されたことによります。
ところが、藩主の覚え目出度いということは、同時にヤキモチ、嫉妬の対象にもなるわけです。
もともとは野中家というのは、兼山の父親が初代藩主の山内一豊の政策に腹を立てて、脱藩浪人となった家です。
つまりもとをたどぜが、兼山は藩のやっかい者からスタートしているわけで、そのやっかい者が、藩主の信頼を得て立身し、いわば藩内で強権を発動することは、既得権のある藩の重役たちにしてみると、まさに「目障りな」存在であったわけです。
このため兼山は、二代目藩主の山内忠義が急逝し、若い山内忠豊が三代目藩主になると、蟄居を命ぜられています。
この蟄居はきわめて重いもので、兼山が死んだ後も、なんとまる40年もの間、蟄居が解かれませんでした。
なぜ40年も解かれなかったのか。
そのことを考えると、巷間言われるような藩の高官の恨みを買ったというよりも、政治の本質というか、どんなに良いことをしても、それが政治である以上、線引によって、必ずどこかに不利益を被る人がでる。
そうした人たちへの責任と、納得を得て藩の平穏を保つためには、他に選択がなかったし、だからこの処分は野中兼山納得の上のものであったし、むしろ兼山が望んだものでもあったであろうというお話が、昨日のお話です。
では、どうしてそこまで深い政治が日本においては可能だったのでしょうか、というのが今日のテーマです。

ひとつには、昨日の記事にも書いた「背私向公」があります。
聖徳太子の十七条憲法の第15条にある言葉です。
「私に背き公に向え」と読みます。
ご紹介した野中兼山もそうですし、その前にご紹介した小林虎三郎もそうですし、我が国には、まさに自分個人の利益を捨てて、公(おおやけ)のために身を捧げた歴史上の人物がたくさんいます。
まさに「背私向公」に生きることで、本人のみならず大切な家族までをも個人としては不孝な事態に追い込んでしまう。
それは、個人としても家族としても、決して幸せなことではないけれど、それでも公のために尽くしていく。
いまでも、そういう人はいます。
たとえば東大病院救急部の矢作直樹先生は、いまの時代にあって天皇陛下のために救急病院の体制を万全の体制に作り変えた方です。関連する数多くの著作も書いておいでになります。
左傾化した東大において、これだけのことをするということは、東大教授としての個人の栄達や保身だけを考えるなら、決してできないことです。
それでも、国体を護るため、そしてそのことが一般の民衆にとっての救急医療体制の改善改良につながるからと、ひとり戦われました。
日本人には、歴史の中だけではなく、いまの時代にも、そうして「背私向公」に生きる人たちがたくさんいます。
では、外国ではどうでしょうか。
たとえば支那では、これは古来から、役人に合格すると、その途端、それまでの役人になるまでの投資を回収するためにと、民衆からありとあらゆる財産を巻き上げ、金持ちたちを拷問までして財産を吐き出させたりまでして、個人としての利得を得ようとします。
韓国も、官僚となれば、ありもしないデタラメをでっちあげてまでして、日本からカネをせびり取ろうとする恥知らずを平然と行います。
その一方で、背私向公に生きる人など、歴史上も現代も、皆無といって良い情況です。
ではなぜ、彼らは、そうまでして個人の利得を図ろうとするのでしょうか。
彼らは、個人として、この世のありとあらゆる贅沢を味わおうとします。
その結果、彼らにとって大切な家族も、贅沢三昧の暮らしをします。
香港マダム界などというのは、月間のお小遣いが最低500万円以上使える女性でないと入れないそうですが、まさに旦那の稼ぎで、特別な大金持ちとして社交界の花となり、この世の贅沢を一身に集めるわけです。
それが彼らにとっての理想的な生き方だから、そうなります。
これに対し、小林虎三郎は妻の身を案じて離婚までしたのに、妻は己の良心に従って夫と行動を共にし、殺されています。
野中兼山の妻は兼山の現役中もなんの贅沢もさせてもらえず、その後も40年の幽閉生活を送っています。
家族の幸せを思う気持ちは、誰しも同じです。
その家族にまで辛い思いをさせてしまうということは、男として、夫として、これほど辛いことはありません。
けれどそれでも日本の歴史上の人物は、ことごとく、利己心を捨てて、正しい道を選んでいます。
先の大戦の兵隊さんたちも、国に恋人や家族などの愛する者を残しながら、お国のためにと死んでいきました。
問題は、
女房を香港マダム界に入れられる人生と、
公のために生き、命さえも失う人生。
そのどちらが良い人生なのでしょうか。
そのどちらが、より良い国家を建設できるのでしょうか。
どちらが多くの人々にとって幸せな暮らしができる社会なのでしょうか。
現代日本人は、前者を望む人が多くなったといわれます。
だからダメなのです。
だから日本は経済力を失い続けているのです。
なぜなら欲得合戦になったら、欲深い者が勝つのがあたりまえだからです。
下手に教養のある日本人と違い、彼らには恥も外聞もありません。
日本人にとっての教養を自らを律するためですが、彼らにとって教養は相手をたぶらかして金品をせしめるためのものです。欲の深さと、欲望国家としての伝統が違うのです。
では、日本人も対抗手段として、彼らのように欲深になったら良いのでしょうか。
それは違いますし、無理です。社会の伝統が違い過ぎます。
では、どうしたら良いのでしょうか。
実は彼らにも弱みがあるのです。
どういう弱みかといえば、セイタカアワダチソウと同じです。
彼らはその欲深さゆえに、自滅するのです。
欲深い者たちの社会では、いきおい最高に欲深い者が、金品や富を独占します。
結果、ほんのひとにぎりの富者と、圧倒的多数の貧民層に別れます。
テレビの出演料が、番組1本5千万の人もいれば、1本5千円の人もいるわけです。
100倍の差がありますが、5千万円とれるのは、社会の中でほんの何人かです。
結局、最後には富の奪い合い、そして殺し合いというジレンマから逃れれらないのです。
こうして社会全体が崩壊していきます。
逆に、日本的同質社会では、富は均一に分配され誰もが一定の生活を保証されます。
だから社会が安定します。
ただしこれには条件があります。
その条件とは、誰もが一定のレベルの生活を保証される社会では、誰もが一定の発言権を持ちます。
この場合、人々の志向は拡散し、まとまりを欠くことになります。
だからこそ最高権威としての天皇の存在という求心力が大切になります。
言い換えれば、野中兼山や、小林虎三郎のような立派な人が、立派に生きることができたのは、天皇という国家の中心があり、そのなかで彼らが魂に恥じない生き方をしようとしたことによります。
いまでも「大和魂」という言葉は残っていますが、意味をわかって使っている人は多くありません。
これは戦前戦中までは日本人にとって、空気のようにあたりまえであった考え方であり、戦後の日本人にとっては、実は失われた日本の常識です。
では、昔の人は「魂」をどのように捉えていたのでしょうか。
まず、人は「肉体」と「魂」が「絆」で結ばれた状態で生きていると考えられました。
「絆」が解かれ、「肉体」と「魂」が離れ離れになることが「死」です。
ものすごく簡単にいうと、肉体が生きて活動するためのエネルギーが命です。
ですから、肉体が死ねば、肉体のエネルギー活動である命も滅びます。
パソコンやスマホは、電源が入っている状態で動きますが、電源がOFFになれば、全ての動きが停止します。
死は、スマホの本体が壊れることですから、もう電源は入りません。
これと同じで、要するに「命」は肉体の動かす電源のようなものですから、肉体が滅ぶとともに終わります。
これに対し「魂」は、そのパソコンやスマホを使っている人そのものです。
パソコンが壊れても、扱っている人が死ぬわけではありません。
壊れたら、次のパソコンやスマホに買い換えるだけのことです。
つまり「魂」は永遠の存在であり、人の本体そのものであると考えられていました。
ですから、肉体が贅沢をしたり快感や快楽を得るために悪さをすれば、それは魂の傷になります。
パソコンを悪用してハッカーをすれば、逮捕されるようなものです。
大切なのは魂ですから、その魂を傷つけないように生きる。
これが日本人の古くからの考え方です。
人が死ぬと「肉体」は滅び、命も失われます。
一方、肉体に宿った「魂」は、肉体を離れた状態になります。これが「御霊(みたま)」です。
「御霊」は、再度この世に「肉体」を持った人として生まれてくることもあれば、人としての修行の結果、成長して神様になるケースもあると考えられました。
ですから特攻隊の兵隊さんが戦友に「靖国神社で会おう」と言ったのは、命は南の海に散ってしまうけれど、「御霊となって靖国神社で会おう」という意味です。
肉体は物理的に亡くなっていますし、その時点で肉体を動かすエネルギー活動としての命も失われていますから、肉体も命も、死んだ後に靖国神社に行くことはできません。
靖国に行くのは、その人の本体である魂です。
同様に、生きている人がお盆にお迎えをしたり、お送りしたりするのは、故人の魂です。
肉体ではありませんし、命でもありません。
命と魂の両者を簡単にまとめると、
「命」=肉体を物理的に維持するための物理的なエネルギー活動
「魂」=肉体に宿る本体、肉体が死んだ後は御霊(みたま)
となります。
命が惜しければ、この世の贅沢だけが生きている目標になります。
他人のことなど関係ない。自分さえ贅沢ができれば、それで良いことになります。
なぜなら死んだら、終わり。もう何もないからです。
肉体が物理的活動を停止したのです。あとは野となれ山となれという考え方が生まれます。
ところがそこに「魂」という概念が入ると様子が変わってきます。
魂は永遠の存在です。
ですから、今生の贅沢を手に入れるために悪事を働けば、それは魂の穢れとなります。
まさに「玉にキズ」です。
永遠にさまようことになります。
だから、いま少々辛くても、玉にキズを付けないように、大事に生きる、よりよく生きようとする考え方が生まれます。
簡単なことをいえば、いまこの瞬間(人の一生など、永遠の魂からみたらほんの一瞬みたいなものです)に、贅沢を手に入れたいからと、目の前にいるお金持ちを殺して財産を奪えば、奪った直後には、吉原の遊郭に行って太夫をあげてどんちゃん騒ぎをして、一瞬の贅沢と満足を手に入れることができるかもしれません。
けれど、そんなことをしたら、何日か後には逮捕されて牢屋に入れられて河原にさらし首にされます。
これと同じで、今生の満足を得るために、魂を汚せば、その汚れは、ずっと付いてまわります。
ですから、商家の丁稚の子供が、店主から預かった200両の大金(いまなら1200万円くらい)のお金を、むき出しのまま路肩に置いて、他の子供達とかくれんぼをして遊んでいても、誰もそのお金を盗まない。
そういう社会ができあがっていたのです。
だからこそ「乞食したって、この魂だけは汚さねえ」という意識が、どんな日本人の心の中にもしっかりと根づいていたのです。
ここが、魂を一切考えず、いま生きている自分の命だけが惜しい支那人や朝鮮人と、日本人の大きな違いです。
時代劇などで、よく「後生ですから、お頼み申します」などという言葉が出ます。
「後生」というのは、生まれ変わった後の世のことですから、自分の魂にかけて約束を守り果たすから「お頼み申します」と言っています。
ただの慣用句ではなく、実はこれはたいへんに重たい言葉です。
そして魂に恥じない、より良く生きるとはどういうことかといえば、より多くの人のために生きること。
その最大のものが、天下万民のために生きることとされました。
ですから「背私向公」というのは、より良く生きることでもあったし、正しいことを堂々とつらぬいて生きるということでもあったし、公のために生きることでもあったし、それが最良の生き方でもあったわけです。
小林虎三郎も、野中兼山も、まさにそういう行き方を貫いたのです。
ちなみに用語の使い分けとしては、おおむね以下のような使い分けになります。
*****
命 (みこと) =肉体の生のエネルギー
魂 (たま) =肉体に宿っている魂
御霊 (みたま) =肉体が滅んだ後の魂
御神霊(おみたま) =神様に昇格した魂
神 (かみ) =神様
大神 (おおかみ) =位の高い神様
大御神(おおみかみ)=最高位の神様
(何千年も前からの古い思想ですから、例外も多々あり、呼び方や位置づけなどもさまざまですので、この一覧はあくまでご参考です。ご専門の研究者の方ですと、これらの区別がものすごく厳格ですので。)
*****
そして最高神である天照大御神直系のお血筋にあるのが天皇です。
そして天皇の御威光のもとにある命が日本人です。
政治は天下万民のために行われる線引です。
大きな改革を施すということは、それがより多くの人のためになることであったとしても、その過程において、様々な不利益を一部の人には与えることになります。
これは、必ずそうなります。
今日は晴れてほしいという人もいれば、同じ日、同じとき、同じ場所で、今日こそは雨が降ってくれないと困るという人もいるのです。
それを、今日は雨、と決めれば、晴れてほしい人からは、必ず恨まれます。
ですから、公に生きるということは、同時に、不利益を誰かに与えることになります。
そのツケは、どこかで精算しなければなりません。
昨日の野中兼山では、兼山の改革によって不利益を被った人たちに対し、その償いを藩として何らかの形で世の中に示さなければ、政治のバランスがとれないのです。
だから藩主の交代を機会に、兼山を蟄居させています。
40年間の家族の幽閉は、逆にいえば、兼山の家族を護るためのものです。
ぜんぶ、わかってやっていることです。
まさに、心を鬼にして、兼山の家族を、表面上は幽閉という形にせざるを得なかったのです。
兼山の功績を考えれば、切腹というわけにはいかない。
もちろん、お家断絶処分というわけにもいかない。
だから40年という時間をかけています。
たいへん高度な政治的判断です。
家老たちもまさに自らの魂に恥じない行動をしているわけです。
一方、小林虎三郎の場合は、幼いころに疱瘡に罹り、肌は荒れ、片目は見えなくなっています。
つまり、いまでいう不具者となっているわけです。
この場合は、高貴な魂が、神となる前の最後の訓練の場として今生に生まれてきたものとみなされました。
ですから、小林虎三郎の言は、そのまま神の声でもあったし、だからこそ虎三郎の言は重く用いられています。
こうした日本人の魂観というのは、太古の昔から日本人の心のなかにずっと継続しているものです。
これが「大和魂」で、そうした魂観を持つ者が、日本民族、日本人であるし、それを持たない者は、日本に住んで日本語を話していても、外人です。
外人というのは、「人の外」です。つまり「人ではない人」です。
英語でいえば、インベーダーであり、バーバリアンです。
戦後のGHQは、これが理解できませんでした。
それもそのはずです。英語には、魂という発想がないのです。
英語では、命がソウル(Soul)です。
日本語的な魂は、訳せばスピリット(Spirit)ですが、おわかりいただけますように、それは日本語の魂とまるで意味の異なるものです。むしろ訳せば精神性です。
つまり、英語には言葉がないのです。
ないということは、そういう思想もないということです。
だからわからない。
わからないから、GHQが監修した戦後教育からは、すっかり消えてしまっています。
逆にいえば、日本人が日本人であるためには、この「天皇と魂」という古くからの日本人の根幹を取り戻していかなければならないということになります。
それが「日本を取り戻す」ということなのではないかと私は思います。

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