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20150809 夏の空

事故や病気で、残念なことに手足を切断することになる方がおいでになります。
この場合、義足や義手のお世話になることになります。
義足の場合は、歩行ができることが優先されることはご理解いただけようかと思います。
ところが義手の場合、腕や手は、足よりもはるかに複雑な仕事をこなす器官であるだけに、その作成にはたいへんな技術がいる、ということはご理解いただけようかと思います。
最新の医学においては、筋電義手(きんでんぎしゅ)というものが開発され、生身の腕手と同じような動きをする義手も開発されています。
ただし、コンピューター制御によるそれら筋電義手においても、卵を持つ、あるいは握手をするといった動作をするのが精一杯で、文字を書いたり、たとえば「タバコを吸ったり」といった、微細な動きを可能とするものは、今の最新の現代医学においても、まだ困難とされているのが実情です。
ところがこれを、つまり、「自由に字を書いたり、絵を描いたり、あるいはタバコを吸ったり、お茶碗を持って食事したりできる義手」を、乃木希典大将が自費で制作し、それが実際に使われていたのです、と申し上げたら、みなさんは驚かれるでしょうか。
でも、事実なのです。
『鍛え上げられた陸軍将校の凄味①』小名木善行
AJER2015.7.28(3)


乃木式義手
20150808 乃木式義手

「乃木式義手」といいます。
乃木大将は、ご自身が戦災による障害者でした。
西南戦争等に際して、左目を失い、また片腕、片足に銃創を負い、不自由な体となっていました。
けれど乃木将軍は、日露戦争(1904~1905)のあと、
「私は片手、片足が残っているからまだ良い。食事もできるし、タバコも吸える。けれど戦争で両手を失った者は、一服の清涼剤としてのタバコも吸えぬのは、あまりに可愛そうだ」
と、ご自分の年金を担保に入れてお金をつくり、ご自身で試行錯誤の上、ついに、モノを掴んだり、持ち上げたり、食事やタバコまで吸うことができ、字や絵も描ける、そんな、まさに夢のような義手を完成させたのです。
このようなことを申し上げると、現代の最先端の医学でさえ困難なのに、そのような大昔に、そんなすごい義手などできるわけがない、とみなさんは思われると思います。
私も、話を聞いたときは、そのように思いました。
ところが、そのレプリカがあるという。
そして、「では、本当かウソか、ご自分で実際にやって試して御覧なさい」と言われ、その「乃木式義手」を実際に装着させていただきました。
するとどうでしょう。
豆はつまめる。モノは持てる。
そしてなんと、字や絵まで、付けた直後から、もう書けてしまうのです。
これには驚きました。
古い昔のものですから、もちろんマイコン制御なんてありません。
では、どうしてそのようなことができるのかというと、よく観光地などで売られている、竹でできた「へびのおもちゃ」の要領なのです。
へびのおもちゃ
20150809 へびのおもちゃ

このおもちゃのへびは、左右にはクネクネと動きますが、上下には動きません。
これを応用することで、上腕を体から離すと、先が開き、体に近づけると先が閉じるように、義手は造られています。
そしてその長さが絶妙で、タバコを吸ったり、お匙を持って食事をしたりといった行動も、自在にできるように工夫されているのです。
乃木式義手(レプリカ)を操作しているところ
20150809 乃木式義手の操作

上の写真は、私が実際にその義手をつけて操作しているところの写真です。
このあと、実際に字や絵を書いたのですが、それは下手なので内緒です。
乃木大将は、ご自身も障害者であられたことから、両手を亡くした兵隊さんを心から不憫に思い、なんとかしてあげようと、この義手を作成されたそうです。
まさに、乃木大将の愛情から生まれた義手という感じがします。
実際に自分で操作をしてみて感じたことは、もし自分が、あるいは家族の誰かが事故等で腕を失い不自由な生活を余儀なくされているとき、目の前で、この義手を使って字が書けるようになり、自分で食事もできる姿を目の前で見たら、きっと感謝の思いで胸がいっぱいになり、涙で目が霞んでしまうに違いないと感じました。
それほどまでに、愛のこもった暖かさを感じる義手でした。
ところがこの「乃木式義手」、ある学者の先生の1本の論文によって、
「乃木希典の制作した義手は、当時の世界の水準には遥かに及ばないものであった」
「この義手は1911年ドレスデンで開かれた万国衛生博覧会に日本陸軍から出品されたが、この頃の欧米の水準からは著しく遅れたものであり、また医学と無縁の将軍が義手を考たことに当時の医師達も興味を示さなかった。このことは当時の日本の四肢切断者への社会の対応が未熟だったことを物語っており、この乃木式義手もほとんど用いられていない」
などと書かれて貶められています。
なるほど、当時の世界の義手(それは現代でも同じなのですが)は、失った腕や手と同じ形状のもの、つまり見た目が、もとあった腕や手と同じ形状をしていることを、第一優先にして造られています。
私の義弟も、病気のために両足を膝から切断しまし、義足を装着しましたが、歩行用というよりも、見た目が健常者の足のカタチをしていて、なおかつ歩行も(松葉杖を使えば)できる、というものでした。
けれど、みなさまは、パラリンピックなどにおいて、弾力があり素早く走ることができる義足をご存知だと思います。
見た目は、素足とは異なります。
けれど、機能は、見た目が素足に似ている義足よりも、はるかにすぐれています。
パラリンピックで使われる義足
20150809 パラリンピック

要するに、義足や義手などに、ようやく最近になって機能性が求められるようになってきたのです。
つまり、それまでは義手義足に機能を求めるだけの技術力が世界に伴わず、そのために、いかに本物の手足に似ているかだけしか世界では問題にされなかった。
もっというなら、乃木将軍がこの乃木式義手を造った頃、それはつまりいまから100年前のことですけれど、その頃の義手は、単に見た目だけを補うという趣旨のものでしかなかったわけです。
けれど、実際に義手等のお世話になることになったとき、とりわけ手は、日常生活の様々な場で活用されるものであるだけに、モノがつかめて、タバコも吸え、字や絵も書けるという機能を持った義手が、両腕をなくした方々にとって、どれだけありがたいものであったか。
そういう意味では、ご自身が障害者であられた乃木大将の、「俺は片腕があるから、自分で飯も食える。だが戦(いくさ)で両腕を失った者は、タバコも吸えぬ」と、戦傷者に心からの同情を寄せ、自らの年金を担保にして、創意工夫し機能性義手を創りあげた乃木大将は、世界の最先端を走っていたとさえいえるわけです。
あえて、その論文を書いた学者さんの名前は伏せますけれど、私達の戦後って、いったい何だったのかと、あまりにも情けなく悲しくなります。
この乃木式義手のことは、私は東京・九段にある「しょうけい館」で知りました。
ここは、戦傷病に関する様々な歴史的記録を展示しているところで、他にも病院船のこと、あるいは戦地における急患への対応など、さまざまな展示が行われています。
場所は地下鉄九段下駅から徒歩30秒で、参観は無料。
行けば、とにかくものすごく勉強になります。
そして戦傷病に関する研究は、日本では戦後70年間戦争がなかったために、戦中までは、日本の戦傷病学は世界の最高水準にあったものが、現代日本では、世界的に見てもこの分野の研究がものすごく遅れています。
早い話、銃弾が体内を貫通したときにできる貫通銃創は、平時の医学では、単に割創(かっそう)や「切傷(せっそう)」と分類されます。
ところが銃弾は、体内に入った時にできる入り口は、小さな穴ですけれど、銃弾が体内で上下左右にグルグルと回転し、体内の組織を大きく損傷させて、体外に飛び出します。
入り口と出口が小さくても、体内には、猛烈な破壊が施されているわけです。
そうであれば、傷口だけを塞いで「はい、治療終了」とはなりません。
嫡出弾の変形の様子(しょうけい館資料より)
20150809 銃弾傷

また砲弾創や、寒冷地での凍傷、火炎放射器や落雷などによる熱傷、あるいは外創に起因する神経麻痺や感染症、精神疾患との関係など、戦場には戦場特有の様々な外傷例があるわけです。
そのことがなぜ問題なのかというと、たとえば、かつての日本海軍には、圧抵傷(あっていしょう)という独特の戦傷名があります。
これは、艦船が魚雷等で爆発する瞬間に、応力が甲板に働いて、甲板上にいる人間が空中に跳ね上げられ、着地する際に足底部を粉砕骨折したりする傷のことです。
そしてこうした症例が確認されると、そのことは万一魚雷等を受けても甲板に応力が働かないように艦船の設計をする、あるいは万一空中に跳ね上げられても、着地時に足底部等を保護するデッキシューズなどの考案が工夫され、産み出されてくるようになるわけです。
もちろん戦闘などないにこしたことはありません。
けれど、万一、そうした自体に日本が巻き込まれるようになったとき(なったら困ることですけれど)、みんなが安全を確保できるように、そしてまた、万一怪我をしたときにも、いち早く手当ができるようにという工夫が、必要になるわけです。
日本の技術力をもってすれば、野戦病院に移動用CTスキャンを設営することもできることでしょう。
かつての日本には、下の写真のような手術自動車なども配備されていたのです。
日本は、戦傷に関しても、世界最先端だったのです。
手術自動車(自動車を二台並べて間に無菌の手術室を設置した)資料・同上
20150809 手術自動車

8月には、靖国神社に参拝される方も多いかと思います。
是非、お帰りの際にでも、いちど「しょうけい館」に立ち寄ってみられたらいかがでしょう。
きっと、ものすごい衝撃を受けるものと思います。
◆しょうけい館ホームページ
http://www.shokeikan.go.jp/
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