
もう6年ほどまえになります。
まさやんさんが、ブログ「日本が好きなだけなんだよ」で、清水馨八郎著『侵略の世界史』をご紹介してくださいました。
この500年、白人は世界で何をしてきたかというお話です。
本からの抜粋です。
P220~P229
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19世紀の半ば、白人の世界侵略は、アフリカ、中南米、アジア、太平洋地域を獲りつくし、残りは極東アジアのみとなっていた。
アメリカは太平洋を東から西へと侵略の手を伸ばし、ハワイ、フィリピンをすでに手にしていた。
ロシアは沿海州まで獲得し、日本海を隔てて、日本に向き合うところまできた。
英米はすでに中国の分割を開始していた。
日本、朝鮮、中国、満州をどこが獲るか、興味はその一点にかかっていた。
1853年、ペリー艦隊の浦賀来航は、こうした中で起きた。
(中略)
日本列島はヨーロッパから西回りで来ても、東回りで来ても、最も遠い国、だから侵略を免れたとみるのは十分な解釈とはいえない。
コロンブスのアメリカ大陸到達(1492年)からわずか50年後、ポルトガル船が早くも種子島に漂着(1543年)している。
スペインがインカを滅ぼしたように、日本を抹殺しようとすれば、けっして不可能ではなかったはずだ。
19世紀の問題を考える前に、16世紀にさかのぼって第一回の危機について考えてみよう。
(中略)
スペインのザビエルがキリスト教の布教のため鹿児島に来日したのは、鉄砲伝来からわずか6年後の1549年であった。
16世紀における侵略の先進国のスペイン、ポルトガルの手口は「鉄砲と十字架」である。
日本においても早くもこの二つが揃ったのである。
しかし、日本はここからが違った。
ポルトガル人からたった2挺の鉄砲を買った種子島の八坂金兵衛は、一年後には10挺を制作し、数年後には種子島には600挺の鉄砲があったという。
改良に改良を重ね、種子島という名の火縄銃は、本場のヨーロッパをしのぐ、猛烈な早さで日本全国に流布し、その機能の改良もヨーロッパ以上に進んだ。
ここで興味あるのは、鉄砲が偶然、種子島という名の島に最初に伝来されたことだ。
その種は忽ち(たちまち)コピーされて、全国に普及したことだった。
鉄砲はその半世紀も前に中国に伝わったのに、シナ人の中華思想で真似することも、その技術もなかった。
(中略)
鉄砲伝来からわずか32年後の長篠の戦いで、織田信長軍は鉄砲隊3000人を3隊に分けての一斉射撃で、武田軍に勝利している。
新奇な物に遭遇した時の日本人の好奇心と、優れた対応とその機敏さは、戦後、トランジスターをみて、たちまちトランジスター商人となり、続くテレビも、自動車も、本場の米国を追い越した例に通ずるものである。
明治維新直後に鉄道を輸入し普及し、やがて世界一の新幹線を走らせたのも、同じ線上の日本人の特性である。
この特性の始まりを、鉄砲の普及に見ることができる。
これで早くも日本は、白人侵略の手段である鉄砲を、こちらも持ってしまったのである。
(中略)
次に侵略支配の先兵であるキリスト教であるが、当初、信長も秀吉も宣教師を優遇し、布教を許した。
両者ともキリシタンの宗教部分には何の関心もなかったが、ただたんに宣教師が南蛮貿易に役立ち、海外情報を知るために利用できたからであった。
キリシタンは当初九州で信者を増やし、キリシタン大名たちが勢力を伸ばしてきた。
秀吉は九州征伐に際して突如キリスト教布教を禁止し、宣教師の国外退去を命じた(1587年)。バテレン(神父)の衣の下に武器を見たからである。
確かにザビエルは、ローマ教会の戦闘的一派ゼスイット派に属し、教会にはマニラから持ち込んだ鉄砲や弾丸を貯蔵していた。
明らかに当時の神父は、侵略の先兵だったのである。
家康は当初、貿易奨励のため、キリスト教に寛大な方針を採ったが、慶長10年(1605年)にはキリスト教徒は70万になり、教線も仙台にまで延びた。その発展は幕府に脅威を与えるとして、1613年、全国的に禁教令を発した。
後発のオランダは、先発のスペイン、ポルトガルに領土的野心があることを幕府に密告し、独り幕府に取り入って1639年、鎖国令が出た後も白人国の中で唯一長崎・出島での貿易を許された。
(中略)
日本が軍事力を増強したことで、スペイン、ポルトガル勢力は、日本を侵略できなかった。
そうしてこの両国は、ヨーロッパ内の勢力争いから脱落し、英仏蘭の時代を迎えるが、これらの国は世界の他の地域の侵略に忙しく、極東アジアにまで軍隊をさしむける余裕はなかった。
一方、日本における江戸時代は、戦争のまったくない平和が260年も続いた世界的にも珍しい時代であった。
このため人口は倍増し、学問や芸能で国民の質が著しく向上した。
このことが幕末の混乱と外敵の襲来という国難を見事に処理し、明治維新から一挙に近代化を成功させた真の原因である。
江戸時代なくして明治はなかった。
この意味で江戸時代は、日本の第一の近代化時代といってもよい。
江戸を知らなければ明治を語れないといえるほど、江戸時代は大事な時期だったのである。
武士が身分制度の最高位におり、かつ城郭が全国に100以上もありながら、戦争が一度も起こらないという平和な時代が、なぜ続いたのだろうか。
江戸幕府は、中央機構の完備と参勤交代制度や武家諸法度、婚姻政策、隠密制度などにより謀反が絶対できないような見事な大名統制をしいた。
新田開発や干拓により、農地は初期の150万町歩から2倍の300万町歩になり、人口も江戸初期で2倍の4000万人に増加した。
五街道の整備、河川、海上交通の整備で、人と物資の交流が盛んとなり、各地方の城下町、港町、宿場町、門前町が栄え、江戸、大阪、京都の三都が隆盛した。
中でも江戸は、将軍のお膝下で、18世紀には人口100万人を越え、当時早くも世界最大の都市になっていた。
大阪は天下の台所として近代流通、商業組織、金融組織の基礎を造った。
都市の発達は、自由闊達な町人文化を生んだ。
歌舞伎、浄瑠璃、俳諧、浮世絵など日本芸能文化の多くは、この江戸期に生まれたのである。
士農工商の最上位の武士階級は、戦争がないので武芸より学問文芸に励み、人格を陶冶する余裕を持っていた。
幕府は昌平黌(しょうへいこう)を、諸藩は水戸の弘道館、会津の日新館、萩の明倫館などの藩校を造り、子弟の教育に努めた。庶民も寺子屋で読み書き、算盤、女子は茶の湯、生け花、裁縫を学び、国民の識字率は当時すでに世界一であった。
寺子屋の数は一万にも及び、僧侶や武士、浪人が教師となった。サムライ(侍)という字が、人が寺に居るという構図からも分かる。
さらに心ある先覚者によって、各地に著名な私塾が開かれた。
広瀬淡窓の咸宜園(かんぎえん)、緒方洪庵の適塾、吉田松陰の松下村塾などから多数の人材が輩出した。
明治になって寺子屋は尋常小学校に、藩校は高等教育機関にスムーズに移行した。
教育国家・日本の基礎が、江戸時代に出来上がっていたのである。
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いちいちもっともな記述です。
この本を紹介したときブログ「日本が好きなだけなんだよ」のまさやんさんは、以下のように書きました。
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一昔前、ジャパンバッシングが吹き荒れていた頃、日本人は物まねが上手なだけだと欧米人から揶揄されたことがあった。
しかし、模倣してオリジナルより優れたコピーを生み出す日本人の能力が、16世紀の白人の侵略から日本を守ったことを知る日本人はあまりいない。
種子島で手に入れた火縄銃をあっという間に自分達で量産し始め、短期間に日本の軍事力は増大した。
そのため、スペインもポルトガルも手が出せなかったのである。
中国や朝鮮では最近になってもオリジナルの劣化コピーしか作れないが、16世紀には鉄砲を作る技術は持っていなかったようである。
キリスト教に改宗したキリシタン大名は、人身売買を行なっていたという報告がある。
幾ばくかの火薬の樽と引き換えに、うら若き日本の娘達が海外に売られていったという記録がある。
そういったキリシタン大名やスペイン人・ポルトガル人の非人道的行為も、秀吉がキリスト教の禁教令を出した一因になったようだ。
布教に見せ掛けて教会に武器を持ち込むなど、スペイン人・ポルトガル人の腹黒さがいかんなく発揮されたようだが、結局、何も出来ずに追い出されている。
最終的に白人国家で交易を許されるのはオランダだけになるが、鎖国といいつつも完全には国を閉ざさないで、白人国家とのパイプを僅かだけでも残しておく徳川幕府の判断は絶妙だったと思う。
この僅かなパイプが幕末の日本の危機に大きく役に立ったことは、歴史の示す通りである。
外国人が日本に来て買っていくお土産で人気なのが、100均ショップで売っているような安い扇子だそうだが、扇子に書かれているのは大抵、江戸時代の風景画や人物画だったりする。
今や世界で大人気の和食の大部分は、江戸時代に完成したものが多い。明治時代まで日本人は一般的に牛馬や豚の肉を食べる習慣がなく、せいぜい食べても鳥やウサギ、猪や鯨程度だった。
あとは魚や穀物野菜、卵などを食べていたわけで、伝統的な和食に肉が使われてないのはそのためだ。
最近では懐石料理にも牛ステーキが付いて来る世の中だが、すき焼きなどの肉を使った和食は明治以降に出来たものである。
日本独特と言っても良い文化が完成したのが江戸時代だったのであり、いかにこの時期が日本人にとって重要だったかが分かる。
まさにこの時期は、白人の侵略という大きな試練を前に、日本人が日本という母胎で育まれた時代だったことが理解出来るだろう。
こういった歴史は、もっと日本人全体が誇りに思って良いものだと思うし、教育やメディアでもっと啓蒙するべきだと思うが、公共放送の大河ドラマでさえ、戦国武将を臆病な泣き虫として歪曲してしまう世の中では、それを期待するのも難しい。
識字率は江戸時代より向上したが、言葉遣いと道徳は著しく下落しており、黒船はいないが在日米軍と反日勢力が存在している。
幕末とは違った意味で現在も国難の時代なのである。
日本という身体の内部で反日という名の病原菌が回っており、愛国心という名の白血球は著しく減少中だ。
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ふたたび「侵略の世界史」からの抜粋です。
(P149~P157)
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近世500年間の世界の覇権国を概観すると、16世紀がスペイン、17世紀がオランダ、18世紀と19世紀がイギリス、20世紀がアメリカと見ることができる。
この中にあって、最もヘゲモニーが長持ちしたのは、一番小さな島国イギリスであった。
イギリスの東インド会社は、1600年、エリザベス女王の特許状で設立され、18世紀半ば頃、フランス勢力を打倒し、土着君主を抑圧して、インドを完全に掌握してしまった。
イギリスはインドの現地人を多数傭兵として使い、結局現地人同士が戦わされることになった。
現地人を犠牲にして植民地戦争を戦う方式は、以後すべての戦争に採用されたのである。
(中略)
イギリスは、オランダ、フランスを武力闘争で打ち負かし、世界の海上権を握り、広大な植民地を独占することになった。
このためイギリスはヨーロッパのどの国より物資資源、産業資本を蓄積することができた。
これが18世紀中頃以後にはじまった「産業革命」の原動力となっていったのである。
産業革命は、道具による生産から機械による生産への転換であり、また動力の転換でもあった。
1814年、スティーヴンソンは蒸気機関車を発明し、1825年に最初の鉄道を実用化させた。
これで馬車から鉄道の時代がやってきた。またアメリカ人フルトンは、蒸気船を実用化した。以上を交通革命という。
かくして最初に産業革命をなしたイギリスは、19世紀に入ると「世界の工場」として繁栄を誇った。
この革命を、19世紀中頃をすぎるとフランス、ドイツ、アメリカにも達した。
産業革命の進展によってヨーロッパ列強は、原料輸入と商品の市場獲得のため、ますます植民地が必要となってきた。
このため、植民地からの収奪は強化され、先住民の伝統的な生産・生活様式は、強制的に転換させられ、悲惨な状態へと追いやられてしまった。
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続いてまさやんさんの解説です。
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日本の明治維新以降の、日清、日露、大東亜戦争はいずれも自衛戦争であるが、17世紀以降のヨーロッパ諸国同士の戦争のほとんどは植民地争奪戦争である。
その中で有色人種は奴隷のように扱われ、詐取の対象としか見られてこなかった。
文字通り、この間、大部分の有色人種が歴史の表舞台から消えうせてしまい、わずかに日本を含む数カ国の有色人種国家が歴史を刻むだけである。当時の有色人種からすれば、いきなり侵略をしかけてきて、いきなり詐取をし始める欧米人は、まさに『鬼畜米英』という表現がふさわしい存在だったのである。
しかしながら、歴史というのは多彩な側面を持っており、欧米の植民地支配が、イギリスの産業革命を促し、科学技術を飛躍的に発達させ、また砂糖やコーヒーなどの嗜好品が世界中に普及する要因にもなった。
英語が世界共通語と呼ばれるくらい普及したのは、大英帝国の世界を股にかけた大泥棒の輝かしい成果である。
もちろん、その間に流された有色人種の血涙は尋常な量ではないが、人類史上に残るこれらの犯罪国家が、日本に非難を浴びせる割に、自分達の反省に乏しいのは、彼らの多くが戦勝国であり、核兵器を持っている国もあるからだろう。
16世紀がスペイン、17世紀がオランダ、18世紀と19世紀がイギリス、20世紀がアメリカと、世界史の中で常に覇権国家は交代してきたが、21世紀は一体どこの国が覇権国家になるのだろうか。
アメリカは既に衰退しつつあり、覇権国家の座から転落しつつある。
日本の実質的な仮想敵国で、人権無視、侵略上等、歴史捏造の無法者国家、中国が覇権国家になるとしたら世界も救われない。
歴史は後退し、大日本帝国の存在しないアジアの先行きはあまり明るくない。
本来なら日本が中国を分裂させる政治工作を積極的に行うべきだが、逆に日本のマスコミや経済人、政治家を中国に工作されてしまっている。
あとは中国が朝鮮半島に手を出して自滅するか、勝手に中国が内乱になるのを願うぐらいしか方法がないのが現状である。
日本の再生は今のところインターネット頼みで、これも効果が未知数。
日本国内の売国奴どもを懲らしめる、何かうまい手はどこぞにないものだろうか?
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これが6年前の記事で、上記は当時、ねずブロでもご紹介させていただきました。
そしてこの6年で、日本をとりまく世界の環境は大きく変化しました。
中共政府は、覇権主義を露骨にむき出し、結果、いま世界から見放され、同じく見放された韓国と組もうとしています。
Kの法則は早晩働きはじめ、中共政府は自滅していくことでしょう。
日本国内においても、ここへきて、反日工作の実態が次々と暴かれてきています。
いまだに在日に牛耳られた一部のメディアは、反日に酔っていようとしていますが、彼らが崩壊するのも、もはや時間の問題です。
彼らの崩壊は、日本が彼らに戦争をしかけたわけでもなければ、彼らとどこかで干戈を交えたわけでもありません。
国家として、政治的に彼らを批判したことも非難したこともありません。
日本は、正しい道を一歩一歩踏みしめながら前進し続けただけです。
そうしたら、彼らが勝手に自滅をはじめたのです。
これが日本の強さです。
そしてその日本には、敗戦国としての連合国の庇護下の国という立場から、これからは、国際社会の一員としての責任を果たす義務が生まれます。
なぜなら日本が連合国の庇護下の国、つまり被占領国家ならば、日本には、権利も責任もありません。
けれども日本が、堂々たる主権国家として国際社会の一員である権利を行使しようとするなら、それなりの責任も生まれてくるからです。
権利と責任は、いつの時代も、どこの国においてもセットだからです。
権利というのは、国連にカネを納めれば生まれるというものではありません。
日本にいて日本に税金を納めても、外国人は外国人だし、犯罪者は税を払っても犯罪者であることを思えば、それはあたりまえの理屈とおわかりいただけようかと思います。
国際社会の一員としての責任を果たしてこそ、国際社会の一員としての権利が生まれるのです。
日本は、経済国家です。
間違っても軍事国家ではありませんし、政治国家でもありません。
そして本来の日本は、さらに道徳国家でもありました。
経済にとって、公正と正義は、不可欠のものです。
公正と正義がなければ、商売なんて危なっかしくてできたものではありません。
日本が国際社会の中で、これからも平和を愛する諸国民とともに、経済の発展を享受しようというのなら、日本は、国際社会における公正と正義の実現のための責任を果たさなければならないのです。
ちなみに、日本国憲法にはその前文に「平和を愛する諸国民の公正と正義に信頼し」と書かれています。
この日本国憲法ができたのは、日本が占領統治下にあった昭和22年です。
ですから、ここでいう「平和を愛する諸国民」とは、大東亜戦争を日本と戦った連合国であるこがわかります。
そしてその連合国に、中華人民共和国と大韓民国は含まれていません。
なぜなら、その当時、中共政府も韓国政府も、まだ生まれていなかったのです。
日本国憲法において、日本が信頼すると言っているのは、日本が戦った連合国であり、中共や韓国はそこに含まれません。
また「含む」ということを、戦後、日本国政府も、米国政府も述べたことは一度もありません。
つまり、中共と韓国を、日本が「公正な正義の国」として信頼する対象としたことは、日本国憲法制定後も、実は一度もありません。
そして東西冷戦の火中の栗を拾ったこの両国は、あらゆる面における日本の援助で、経済の発展を遂げ、それだけならばたいへんに喜ばしいことなのですが、いまや、世界中で害毒を撒き散らす、世界の公正と正義を実現しようとす諸国にとって、かつてのソ連よりも厄介で迷惑な存在となっています。
日本が、これからも世界で商いをし、日本が豊かな国でいたい(それはひとりひとりの日本人が豊かに暮らすということです)のなら、日本は、世界の国々とともに、世界にある不正と悪徳を国是とするような迷惑国家に対して、毅然とできる国にならなければなりません。
そして、それを実現しようとする安保関連法案にいま反対している国会議員や各種団体は、自分たちが不正と悪徳を国是とする迷惑国家の手先にされていることに、はやく気づくべきです。

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