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露草(ツユクサ)
20150603 露草

日本弥栄の会が発行する機関紙、月刊『玉響』の今年6月号に、鶴見クリニック院長の鶴見隆史先生の面白い論考が載っていました。
スバリ、「悪魔界発の輩(やから)の特徴」です。
読んで感じたのは、「なるほどこれは、悪魔の見分け方なのだな」というものでした。
それは他人の中にも潜んでいるし、政党や団体であったりもするし、国家そのものであったりします。
そしてもしかすると人間の心に誰しもが持っている悪魔なのかもしれません。
日本を取り戻そうという運動が、日本人的な心を取り戻すという運動であるなら、まずは自分の中からこうした悪魔を追い出していかなければならないと思います。
ちなみに、悪魔は「排除」の対象です。
悪魔は「差別」しなければなりません。「区別」も必要です。
警戒を怠って悪魔が繁殖することは、個人にとっても団体にとっても国家にとっても望まれないことだからです。
以下に転載します。
転載にあたっては、ねず流で文章をすこし手を加えています。


============
【悪魔界発の輩(やから)の特徴】
月刊『玉響』2015年6月号P36
http://www.nihoniyasaka.com/contpgm2/w_magintro.php
1 自分本位
2 正義装って周囲を巻き込み、集団を作って悪いことをする。
3 欲望、特に金銭欲が異常なまでに強い
4 嘘をつくことをなんとも思わない
5 自分に不都合になると、必ず理屈に合わない難癖をつける
6 驚くほど心の中が冷たい
7 相手のちょっとした欠点をあげつらって仮借ない攻撃をする。
8 しつこい
9 問題を都合よくすり替える
10 他人の不幸が喜び
11 考えが表面的で深みが「全く」ない
12 自分への反省がまったくない
13 他人の悪口が大好き
14 電話魔
15 言葉遣いが汚い
16 固定観念の塊
17 ちょっと御しやすいとわかると、調子に乗って傲慢で支配的な態度に出る
18 根本的に品格がない(下品)
かような特徴を持つのが悪魔界発人間である。
いっけん紳士風に、または淑女風に振る舞うが、少し深く付き合うと、言葉の汚さや態度のあまりの悪さに驚くであろう。
それゆえしばらく付き合うと判別がつくが、人が良すぎると長々と付き合ってしまいたいへんなことになってから気づく人もよくいる。

(以下略)
==============
私がサラリーマン時代、本社内に、常に徒党を組み、集団となっている連中がいました。
彼らは、「仕事は社内電話で社内営業をすること」と思っているのか、朝から晩まで、暇さえあれば仲間の支店長たちと電話で長話をし、会議と称して会議室にこもって長談義をしていました。
常に口癖のように「現場は馬鹿ばっかりだ」を繰り返していました。
ひたむきであること、まっすぐであること、情熱を持って仕事に取り組むことに一切の価値を認めず、汗を流すことを嫌い、いかにカッコよく手を抜くか、いかにその場を取り仕切るかにしか興味がないようでした。
私は、彼らに「同和軍団」と名前を付けました。
まるで昔の同和みたいに、わけのわからないことばかり言うからです。
すると彼らは私に対して、わけのわからないことばかり言う嫌われ者というレッテルを貼りました。
彼らは徒党、こちらは単独。
結局彼らは、社内で政権を取りました。
会社は2000年に倒産し、私は退職しました。
民事再生法が適用となり会社は資金力のある在日系企業に買われました。
会社には、半島系の人達が役員や管理職として入ってきました。
同和軍団は、その新体制のなかで出世し、管理職者の一員となりました。
会社は再生するどころか、いまではかつての上場企業の片鱗もない、業績の悪いただの中小企業になりました。
退職後、かつての社長から、彼らの就職のときのことを聴きました。
あるとき、在日系の大物さんの娘さんを、採用したのだそうです。
するとその父親の大物さんがとても喜んでくれて、「何か困ったことがあったら、いつでも」と言ってくれたのだそうです。
そしてその娘さんが、たいへん素直で良い子であったこと、その大物さんの紹介もあったことから、数名の男性社員を採用したのだそうです。
若い頃は、素直で良い子で、社長の前では、常に明るくて笑顔を絶やさない若者たちだったのですが、周囲から聞こえてくる評判は、とんでもなくいかがわしい連中というものでした。
社長は、「差別は良くないから」と、逆に彼らを若いうちに役職に付けました。
すると極端に、その部門の成績が下がりました。
本社の部門では、影響が大きい。
そこで社長は、彼らを現場の支店長にしました。
大物さんはとても喜んでくれたのですが、彼らが支店長になった支店は、わずかの間に営業成績が半分以下に落ちました。
これはよくない。
そう思っていた矢先、ある社員が、暴力団に拉致されるという事件が起こりました。
生命の危険があると感じた社長は、その大物さんに相談しました。
大物さんは、「とてもむつかしいが、やってみましょう」と、間に立ってくれました。
社員は空港の埋め立て現場から無事に奪還できました。
社長は大変喜びましたが、同時に、彼らのグループの社員の地位も保全を約束することになりました。
けれど営業成績を下げることしか知らない連中です。
処置に困った社長は、彼らに特殊な任務を与え、彼らに肩書だけを与えて、体裁よく本社内で飼い殺しにしていました。
その社長が退任したとき、彼らは、前社長体制下で干されていた「アンチ前社長」であったことから、新社長の新体制下で、地位を得ました。
新社長は、前社長が在日採用の失敗で苦労したことを知りません。
そして気がつけば、社内は疑心暗鬼が横行するようになり、営業成績がまったく伸びなくなりました。
普通に成績を上げる社員は、「何か悪いことをしているに違いない」と言われるようになりました。
従業員数4500名の大手企業でしたが、会社はそれからわずか10年で倒産しています。
私は、退職後に、在日の顛末(てんまつ)を前社長から聴きました。
そして彼らが同和ではなく、在日であったことを知りました。
日本の歴史は、実は鎖国と開国を繰り返しています。
以下の通りです。
600〜894 ( 264年)開国 遣隋使、遣唐使
894〜1100 (約100年)【鎖国】
1100〜1185(約 85年)開国 平家全盛期
1185〜1401( 216年)【鎖国】
1401〜1557( 156年)開国 足利幕府
1557〜1868( 311年)【Chinaについて鎖国】
1639~1868( 229年)【鎖国】 江戸幕府 

1868〜2012( 144年)開国
開国は、交易をする人たちに巨万の富をもたらします。
けれどそれによってChinaやKorea半島から「異人」たちが入ってきます。
「異人」とはよく言ったものです。
古い言葉ですが、もともとの「異人」は、白人たちを含む外国人一般を指す言葉ではありません。
ヤマト民族以外の人たち、なかでもChineseやKoreanの人たちを指して言う言葉でした。
意味は、「人の形をしているけれど、人でない人たち」という意味です。
だから「異人」です。
要するに「ひとでなし」という意味です。
日本にも、平安末期の保元の乱以降の時代や、あるいは戦国時代など、国が荒れ、世の中の秩序が乱れた時代があります。
けれど、たとえば戦国時代に日本にやってきたフランシスコ・ザビエルは、日本を「世界一治安の良い国だ」と本国に手紙を書き送っています。
いまの日本は、毎日のように凄惨な殺人事件が報道され、日本に古くからある仏像などに油が欠けられ、また神社が焼き討ちに遭い、家には二重に鍵をかけなければならないという、日本人の目からみたら「異常なほど治安の崩壊した酷い国」ですけれど、それでもなお、世界中の人々からみれば、日本は世界で一番治安の良い安全で安心な国です。
このことは古代や中世においても、実はまったく同じです。
ウシハク国であるChinaやKoreaは、完全上下社会です。
これはインドのカースト制とも異なります。
カーストは、身分を固定していますが、これは社会秩序という側面を持ちます。
ChinaやKoreaにおける上下関係は秩序ではなく、専横と収奪の関係です。
とにかく人の上に立ちさえすれば、下の者に対して何をしても良い。
ときたまYoutubeに流れる映像で、Chineseたちが集団でひとりに暴行を加えているものが度々登場します。
よくもまああそこまで薄情になれるものだと驚きますが、彼らの国や民族においては、それがあたりまえの常識です。
ですからそんな暴行の被害者になりたくないならば、ひたすら上位の者には媚びへつらい、隙を伺ってひとたび彼らの上位に立ったならば、そこで徹底した報復が行われる。
国の上から下まで、すべてがそういう上下と支配、支配と隷属、不満とストレス、恨みと復讐、嫉妬と報復で出来上がっています。
そんな彼らが開国した日本にやってくると、日本人がアホに見えてしかたがないのだそうです。
日本人は誰もがやさしいし、無防備だし、おもいやりがあって親切だし、女達は美しい。
駅のホームでは、入ってくる電車を待って、誰もがおとなしく並んでいます。
そんな駅の構内で、電車がホームにやってきたとき、列を無視して電車に乗り込んでも誰も文句を言わない。
もう、甘い、馬鹿としか思えない。
だから、自分が偉くなったかのように錯覚してしまう。
そして日本人が無防備なことを良いことに、日本国内で好き放題に悪さを始めます。
歴史を振り返ると、日本人はいつの時代も、はじめのうちは異人たちを、珍しがって歓迎しています。
遠い外国からやってきた人たちであり、言葉も通じないのでは、さぞかしたいへんでしょうと、おもてなしまでします。
けれど、その実態は、「地獄の悪鬼たちが天国にやってきた」ようなものだったのです。
彼らにしてみれば、日本は天国です。
だから、親戚や友人たちまで日本に呼び寄せます。
かつての満州がそうでした。
そして彼らが集団をなすようになったとき、日本国内では、考えられないような悲惨な事件が相次ぐようになります。
それでもお人好しの日本人は、それが異人によるものとは当初は考えません。
同じ人間なのだから、そんな悪いことはするはずないし、彼らも人の子なのだし、差別はよくない、と考えます。
けれど、それが何年も続くようになると、さしもの日本人も、異人と人間の違いに気づくようになります。
そして鎖国する。
差別は良くないという意識がありますから、徳川幕府の鎖国のときだって、人種や民族を特定しての鎖国は行っていません。
また、国家として諸外国の動静はきちんと情報をとれる環境を保持しなければなりませんから、実際には部分的な鎖国しかしていません。
そして鎖国が行われると、日本国内の治安は一挙に改善されてきました。
そしてその都度、国風文化が花開きました。
この2千年、日本は、ずっとその繰り返しです。
日本語を話すから日本人ではないのです。
日本人のような姿、かたちをしているから日本人ではないのです。
私も差別はいけないと思います。
しかし、お隣さんであっても家風が異なるのです。
まして歴史伝統文化がまったく異なる人たちは、やはり異人です。
そして「異人」の中でも、特に悪魔は、排除していかなければならないものであると思います。
ただ、それに加えて、ひとつ付け加えておきたいと思います。
人間は誰しも、自分自身の中に、上で鶴見先生がご指摘されているような悪魔的な心を持っています。
そしてその悪魔的な心を開放することが、あたかも良いことであるかのようにされてきたのが、戦後の日本といえます。
けれど、少し考えたらわかるのですが、ごく一部の特殊な国を除いては、世界中どこの国にあっても、上に指摘されている悪魔的心は、唾棄すべき対象です。
そのことに思いをいたし、私も今日からまた決意も新たに、自分の中にある悪魔を退治していきたいと思います。
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やまと新聞 小名木善行の「百人一首」 4番歌 山部赤人
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