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江戸城天守閣(復元図)
20150515 江戸城天守閣

次世代の党の松沢成文先生が、このたび次世代の党首都圏政策研究会において、「江戸城天守を再建する会」の
会長で、江戸城を築城した太田道灌の18代子孫でもある太田資暁氏を講師にお迎えして、
『太田道灌18代子孫が語る 甦れ!江戸城天守閣』と銘打ったオープンフォーラムを、5月27日に参議院議員会館で開催されるそうです。
私のところにも案内のメールがきました。
はじめに申し上げておきますが、私は次世代の党を応援しています。
また松沢先生も応援させていただいています。
けれど江戸城天守閣の再建については、私は賛成しかねます。
なぜなら江戸城は、
「天守閣がないことが誇り」だからです。
ですので以下のメールを松沢先生にお返しさせていただきました。
こちらに転載します。
===========


松沢先生、こんばんは。
次世代の党を応援し、先日の次世代の党を応援する会におきましても壇上で応援メッセージを申し上げさせていただきました小名木善行です。
江戸城天守閣の再建についてですが、
私ども徳川直参旗本の家に生まれた者としては、江戸城は、
「天守閣がないことが誇り」です。
なぜ「天守閣がないことが誇り」なのか。
江戸城天守閣は、四代将軍家綱の時代に起きた「明暦の大火」で消失して以降、再建されずに今日に至っています。
なぜ徳川幕府は江戸城天守閣を再建しなかったのか。
武門の頂点として天下に権威権勢を誇るなら、そびえ立つ天守閣は不可欠です。
けれど徳川幕府は、天守閣の再建をしませんでした。
お金がなかったからではありません。
当時の徳川将軍というのは、日本一の大金持ちです。
そして当時の世界にあって、日本一ということは、世界一の大金持ちでさえもありました。
しかも通貨の発行権さえも持っていました。
大判小判から一分銀まで、通貨の発行権は徳川幕府が一元管理しています。
つまり、お金はあったのです。
けれど、天守閣の再建はしませんでした。
なぜか。
答えは「必要がなかったから」です。
それどころか、「天守閣の再建をしないこと」こそが、必要だったのです。
徳川幕府は、もともとは戦国大名の徳川氏です。
そして家康、秀忠、家光の三代で、国内の統一はほぼ完了しました。
この段階で必要なことは、武力にものを言わせる時代から、人々が平和に安心して暮らせる時代の構築です。
そういう武威を否定し平和を求めるという「志」を明確に持ったからこそ、幕府は武力の象徴としての天守閣をあえて再建せず、その経費をむしろ民生にまわしたのです。
それが4代将軍家綱の時代のできごとで、5代将軍綱吉の時代になると、生類憐れみの令が出ています。
生類憐れみの令のことを、お犬様と呼んだアホな将軍だとか犬公方だとか、悪口は多々あります。
江戸政権に言論の自由があったからです。
けれど、生類憐れみの令の本質は、お犬様ではありません。
殺すこと自体が悪だとして、猛烈な取り締まりを行ったのです。
犬より前に、人が人を殺す、人が武力を用いて人を殺したり傷つけたりすることの一切を禁じたのです。
武士は、人と戦い、人を殺す職業です。
けれどその武士たちに、腰の刀を用いてはいけないというおフレは出せません。
だからこそ、生類憐れみの令だったのです。
犬でさえ殺さないなら、人はもっと殺せないからです。
徳川幕府は、武家でありながら、武威の象徴である天守閣さえも再建しませんでした。
生類憐れみの令まで出して、武をあの時代にあって極限まで否定しました。
そしてそのことが、結果として、平和な江戸時代を築き、また武よりも学問を優先する時代を築き、また、何のための武なのかを武士が先頭をきってしっかりと踏まえる、平和な江戸武士の時代を築いたのです。
だからこそ、江戸城に天守閣が「ないこと」が、私達幕府旗本にとっては誇りでした。
そしてそのことは、同時に日本人にとっての誇りと誰もが考えました。
松沢先生は、そうではなくて、武力を用いて他人に無理やり言うことを聞かせる、そういう時代を望んでおいでなのでしょうか。
そうでないなら、江戸城の天守閣の再建は、不要だし、すべきでないと私は思います。
再建の前に、なぜ徳川幕府は天守閣を再建しなかったのかを、しっかりと啓蒙していくことの方が、余程大事なことだと私は思います。
まして、いまの江戸城は、明治以降、皇居です。
天守閣は、その皇居を一般の観光客が「間近に見下ろす」ことになります。
そのような施設を、どうして作らなければならないのでしょうか。
単に観光になるからとか、儲かるからという前に、なぜ天守閣を作らなかったのか。
是非、そのことをいまいちど先生にお考えいただけたらと思います。
小名木善行 拝

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関連してひとつ申し上げておきたいと思います。
私は、松沢先生の江戸城天守閣再建には反対ですが、だからといって松沢先生を否定するとか、次世代の党を応援しないとか、そういうことはまったくありません。
よく保守系の方の中に、政治家の先生のご意見が、自分の意見とひとつでも違えば、まるで火が着いたようにその先生の攻撃を始める方がおいでになります。
ひとつのことに反対だからと、それまで応援していた先生を、まるで手のひらを返したように敵対し腐す。
それは日本人らしい態度とはいえないと思います。
そもそも、100%意見が一致する人など、この世にいません。
6割意見が合えば、それは平均点以上に意見が合うということです。
意見が違えば、なぜ違うのか、彼我の意見の違いを冷静に考え、意見は意見として申し上げる。
その際に感情的にならない。
一方的に言い張らない。
これは、あたりまえの常識であろうと思います。
そうでなければ、議論などできません。
ちょっとでも意見が食い違ったら、全人格的に否定するというのでは、まともな議論などできるはずもないです。
十七条憲法にもあります。
「以禮為本」です。
「うやまうことをもっと本となせ」と読みます。
相手に対する尊敬と互譲の精神を失うことは、議論そのものを否定することになります。
まして、議員の先生というものは、多くの人の支持を得て一定数以上の得票を得て政治家になっておいでの方です。
方は自分自身は、一介の市井のオヤジにすぎないわけです。
意見は意見として述べる。これは当然のことと思いますが、それはどこまでも尊敬と謙譲の心を持って行うべきことと思います。
上から目線などもってのほかです。
なぜなら私達は日本人だからです。
対立と闘争は、共産主義的価値観です。
少なくとも、日本を取り戻したいと願うなら、私達にとって最大の敵は、敵対し対立し、悪口を重ねることなのだと私は思います。
人を責める前に、自分が大人になっていく。
そういう真面目さが大切なのだと私は思っています。
そして松沢先生を尊敬申し上げているがゆえに、あえて「江戸城天守閣の再建」には「反対」を表明させていただきました。
皆様には、趣旨お汲み取りいただければ、ありがたく思います。
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