■オーディオブック■
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人! 第二巻: 「和」と「結い」の心と対等意識』
■ねずさんの百人一首本は2015年3月発売予定です。
■【CGS ねずさん】第6話 植民地支配に反対した日本

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今日は、どうしても、みなさまに読んでいただきたい本のご紹介です。
この本は、今月8日に出版されたばかりの本です。
タイトルは『英霊に贈る手紙』です。
これまで、大東亜戦争を戦い、英霊となった方々の遺書を集めた英霊たち「からの」手紙は、たくさん本にもなり、またその一部がネットでも公開され、あるいは本に引用されるなどして、ご覧になられた方は多いかと思います。
このブログでも、そのいくつかをこれまでに何度もご紹介させていただきました。
けれどこの本は、こうした今までい出版された本と異なり、英霊となり、散って行かれた方々に「ご遺族の方が綴ったお手紙」集なのです。
「愛」という字は、訓読みで「おもひ」と読みます。
日本人にとって、人を想うこと、それが愛です。
戦争が終わって70年、いまはじめて明かされる遺族の「おもい」、この本にはそんな「愛」と、そして感謝がいっぱい詰まっています。
出版にあたり、寄せられたご遺族からのお手紙は584通にのぼったそうです。
今回、その中から珠玉の60通のお手紙が、この本に収録されています。
その中に、アッツ島で玉砕した山崎保代陸軍中将の娘さんのお手紙が掲載されていました(164頁)。
山崎中将とアッツ島の玉砕のことは、当ブログの過去記事「5月29日アッツ島玉砕」でご紹介させていただきました。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1906.html
アッツ島守備隊2,650名、その最後の玉砕戦が終わった後、累々と横たわる日本の突撃隊の遺体の先頭には、山崎中将のご遺体がありました。
これは米軍が確認した事実です。
山崎中将は、突撃攻撃の最初から、先頭にいました。
当然のことながら、先頭はいちばん弾を受けます。
おそらく山崎中将は、途中で何発も体に銃弾を受けたことでしょう。
その度に、倒れられたのでしょう。
それでも中将は、撃たれては立ち上がり、また撃たれては立ち上がって、そしてついに味方の兵が全員玉砕したときにも、山崎中将は突撃隊の先頭に這い出て、こときれていました。
享年51歳でした。
米軍戦史は、このときの戦いを次のように記しています。
「突撃の壮烈さに唖然とし、戦慄して為す術が無かった。」
そんな山崎中将以下のアッツ守備隊に向けて、昭和天皇は、
「すぐにアッツ島の部隊長に電報を打て」と指示されました。
アッツ守備隊は、すでに突撃し、全員お亡くなりになったあとのことです。
杉山参謀総長が、
「閣下、電報を打ちましても、残念ながらもう通じません」と、お答えしたところ。
陛下は、
「たしかに、その通りだ」と、うなずかれ、「アッツ島部隊は、最後までよく戦った。そういう電報を、杉山、打て』とおっしゃっられました。
その瞬間、涙があふれて。
その山崎中将への娘さんの手紙には、中将が、家で食事をしているときにも、ふと箸を置かれ、隊に電話をかけ、
「今夜は風も強いし寒いから十分火の用心をし、営倉の兵は特に寒いだろうから水筒に熱い湯を入れて差し入れるように」と、いつも兵隊さんのことを気にかけ、その親御さんの気持になって、大切にしておられた、そんな人であったエピソードが綴られています。
昨年、靖国神社遊就館で行われた「大東亜戦争七十年展」に、その娘さんが行かれたところ、お父さんの山崎中将の遺影の下に、「兵の名前と顔を1ヶ月で覚え、ひとりひとりに声をかけてまわり、分け隔てなく部下に接するその人柄に、皆感激して奮い立った」と、生還された方の証言が書かれていたそうです。
娘さんは、そんな父のエピソードを、そこではじめて知り、「兵隊さんを大切に思うお父様のお気持ちとそのご苦労に頭が下がりました。皆様のご冥福を祈りながら。さようなら」と綴られました。
おひとりおひとりの英霊へのご遺族のお手紙。
そのお手紙は、いまを生きるわたしたち日本人、全員から、英霊の皆様に贈るべき感謝のお手紙なのではないかと思います。
1冊1200円+税で、決してお高い本ではないかと思います。
是非、一家に一冊、そしてお友達の方にも、お薦めいただければと思います。

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